ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

光の世の精神の礎として選ばれた大和魂

 

 「あなたが、悪い者たちを我慢する事ができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いた事も知っている。

 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。」(黙示録2:2,3)

 

 奈良に行った時のこと、路線バスで乗り合わせた老婦人に話しかけられました。

 私、新しい一万円札が嫌いだと言われるのです。渋沢栄一が嫌だというのです。

 日本経済の父と言われている人のようだから、お札になったんでしょうね、と言うと、渋沢栄一はあっちこっちに子どもをつくって品行が悪い、なんで、あんな不徳な人がお札になってしまったのかと、しきりに異議をとなえておられました。

 

 そのとき、私は我に返りました。

 そういえば、昔の日本人は二宮金次郎のような徳のある人に敬意を払っていた。農民たちは、食べ物のない貧しい武士を貧乏だからといって軽蔑しなかった。かつての日本人は、金銭で人をはかるのではなく、精神性で人の価値をはかっていた。

 

 渋沢栄一がそのような品行上に問題のある人であったことをその時知った私は、思わず、昔は徳のある人が敬われ日本国民の誇りだったのに、今は道徳的観点からではなく、経済的に豊かな人や経済的な貢献をした人が評価される日本国となってしまったんですね、と同意しました。

 

 日本人は変わったんだ、と気づきました。私もまた、世の流れに思いがくらまされていたのです。

 奈良の老婦人は、昔の日本人のように、精神の深みで物事を見定める人でした。私は、目からうろこで、闇に覆われた日本国の中で精神的価値観ではなく偽の光にすっかり騙されていたことに気づかされました。

 

 日本人は目に見えないものをあるもののようにして敬い、尊び、へりくだる民族でした。長い歴史の中で培ってきた、実直な魂と霊的感覚に優れた民族だと思います。まやかしに騙されない真実を見抜く感性があったはずです。

 

 神社では、手水舎で手と口をきよめ、心を整えて神の御前に出て手を合わせます。身魂のきよい人は心が洗われ感謝に満たされます。しかし、手水舎でかたちばかりのきよめをしても、身魂のきよめのない人は内省の時を持ちます。自分のうちにある惑いの雲に気づかされるのです。

 

 日本人にとって、神に手を合わせることは、自分自身を顧みる時となります。声にはならない声や肉眼で見ることのできない気配を捉えて何かを察する、精神的な深みにあるものを見つめ直す機会となるのです。このようにして、日本人は自分自身で自分の魂の有り様に気づく機会を持っていました。

 

 これが、日本人の精神の土台であり、霊的体験でした。日本人は霊的な民族だったのです。

 

 日本人が経済成長のために知恵も力も駆使している間にも、この先祖から受け継いだ精神性はうちに在りました。

 古来の精神を、「大和魂」と呼びます。ほかの民族にはない、日本列島で培われた独自の精神性です。

 自然と共生し、自然界に目に見えないけれども生きておられる霊なる神の存在を感じて神を恐れ、ひとつのいのちに繋がる霊的世界を生きていたのです。そして、他者との平和と自然との調和により、穏やかに生きてきたのです。

 

 日本人は、現象世界に生きていながら、魂に素直で、霊的な存在だったのです。魂が着物を着て生活していたような部分がありました。

 霊的な日本人の中には、捻じ曲げられた物質世界に適応できずに取り残される人たちもいました。物質社会に適応する日本人たちからは、精神的病の人として扱われました。

 

 しかし、神の目によれば、物質社会に溶け込む人が霊的な病人あるいは死人で、世の人たちから精神的病に定められた人たちを、健やかな大和魂の人としてご覧になっていたのかもしれません。

 

 健やかな魂は、崩れ行く精神的に堕落した日本には居られません。人里離れるか、社会性を断って修行に走るか、宗教に逃げ込むか⋯。

 

 日本から起こると噂されている世界を救う人についての預言が、世界のあちらこちらからネットで配信されています。

 様々な人たちの予知夢や預言を総合的に捉えると、その人は、50代くらいの男性で、古武道思想と古来からの大和魂を秘めており、正しく生きる道を極めている人のようです。

 地位を求めず、へりくだっており、華やかな見栄えはないけれども、言葉には魂を引きつける真実と憐れみとがあり、目はすべてを見通すような深さと、慰めを与える力癒す力があるようです。

 

 地位ある人々からは「この人に何があるのか。」と言って蔑まれ、その影響力を怪しまれ拒まれるが、目覚めた大和魂の民は、彼に安らぎと希望を認めて彼のあとについて行くようになるそうです。

 そして、彼の存在は、世界中の光を求める人々の希望となるそうです。彼は、多くを語らないが、語ると魂に響く言葉が発せられるそうです。

 

 闇に生きる人々にとっては、煙たい存在。しかし、真理に飢え渇き、光を求める人たちにとっては、いのちの希望です。

 

 日本国民は、おのおのの魂によって、道を選択します。世界を救うと言われているその人は、新しく起こる霊的な神の国、光の世の精神を持つ人です。

 大和魂の目覚めた日本人は、彼の言葉に引き寄せられます。それらの日本人は、光の世の精神の礎として、神に選ばれた光の子らです。

 

 闇を愛するこの世の人たちにはわかりません。

 財力ではなく、学歴ではなく、年齢ではなく、職業ではなく、宗教ではなく、精神性によって、日本国民の価値観が二つに分かれるようです。

 

 古いこの世の価値観を脱ぎ、健全な大和魂に回復した日本人の存在は、世界中にいる光を求める人々の希望となります。

 

 アニメや日本文学などの日本文化は、世界中の人に受け入れられ、影響を与えています。日本語を話す外国人も増えています。実は、日本語の音に、生けるまことの神に近づく響きがあるそうです。

 日本文化の影響によって、日本の伝統、古武道、神道、仏教、禅など、日本人の知らない部分にまで、武士道に通じる精神性を慕い、心の平安をこれに求める現象が世界的に起こるようです。

 多くの外国人も大和魂の影響を受け、調和と平和の愛を目指して、この仲間に加わるのでしょう。

 

 女性のように生きているある男性の言葉を思い出します。もともと男性であるその人は、女性であることを維持するために、言葉遣いやホルモン注射や立ち居振る舞いに並外れた努力をしているそうです。女性よりも女性らしく感じるのは、そのような努力の結果なのだと知りました。

 しかし、その人は言います。「本物の女性にはかなわない。」彼女らは努力しなくても肌は綺麗だし、身体のかたちも女性そのものです。

 

 大和魂を身に着けるために努力する外国人よりも、もともとその遺伝子を持っている日本人はより優位なはずです。

 眠っていた魂が覚醒するならば、普通にしている言動や考えていることが、自然に大和民族の在り方となるのでしょう。彼らは、神が日本人に与えて下さった賜物、大和魂によって生きるのです。

 

 日本人の大和魂が目覚めることは、世界中の魂が光の世の精神性を共有する恵みの中にはいることです。

 

 世界を救う日本人は、キリスト教の福音宣教のように宗教を伝道する人ではないようです。存在そのものからにじみ出るキリストの香り(救い主の憐れみに満ち、安らぎのある優しい真実な言葉の響きといのちの香り)によって、その香りを愛する人、いのちのともしびをともす人、真理に通じる精神性を持つ人たちが集まるようです。

 

 大和魂の目覚めときよめは、光の子らの希望です。

 試みを経て身魂を磨いた仏教と古神道の精神性に守られ育てられた日本民族に託された大和魂を覚醒し、いのちの神の働きを感謝と喜びをもって受け、生けるまことの神、主の御霊と交わる魂として整えられましょう。

 

 光の子らの精神性が、世界を救う日本人と繋がる信仰となるのでしょう。

 その信仰は、天と繋がる信仰、神の子羊イエス・キリストの父、そして、真理の御霊の与える「永遠のいのちの信仰」なのです。