ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本列島の禊と火のバプテスマ

 

 日本国は世界のひな型であり、日本で起こる事は世界で起こるようになる、と言われているそうです。

 

 神は、試みを与え、おのおのの人の選択によって、心に光を選ぶ人と、心に闇を選ぶ人とに分けて、光の魂を滅びから救い出されます。

 

 2020年のパンデミックから、人の心のうちに据えられていた常識を砕いて、目に見える物質を心に据える肉の生き方とは別の、目に見えない永遠に続く霊的な生き方、精神的世界の扉を開かれました。

 

 世界情勢の予期しない動きによって、堅い殻に覆われていた魂は揺さぶられ、傷つきました。傷ついた魂のその傷の隙間から光が差し込んだのです。

 

 固く閉ざしていた貝が少し開いて、外の光を感知する状態です。貝を開いてよいものなのか、それとも、危険なのかと思案し、自分自身で確認している状態でした。

 

 変化を望まない人と、変化せざるを得ない人と分かれます。従来の生き方だけがすべてではないことに気づきます。世の流れにより、生活形態は少しずつ変化し、変化する状況がいつの間にか、日常となります。

 

 本人の気づかないうちに、眠っていた魂が目覚めると、霊的なことに飢え渇いていることを自覚する人々が現われます。精神的な安らぎに望みを持ちます。人生で、精神的な豊かさを渇望することも、意識することもありませんでした。

 しかし、日本人の心は、人手にはよらず、精神的なものに引かれ始めます。しかも、それは、自分だけではないのです。目に見えない集団的な移行なのです。

 

 2025年から、精神的な安らぎが自分に必要なものと自覚されて、より顕著に、精神的幸福感を慕い求めるようになっていくようです。そして、物質的豊かさよりも精神的豊かさ、目に見える現実よりも非現実のように思っていた魂の感覚を大切にするようになります。

 

 精神的な安らぎを求めると、自然に、自分のうちで安らぎを与えるものと安らぎを与えないものとが判別されるようになります。自分自身の知識や知恵や人からの情報や教えではなく、自分自身のうちにある魂が反応しているようです。

 こうして、日本人は知らないうちに、自分自身で自分にとって大切なものを選択するようになります。

 

 精神的なものに開眼した人たちは、救いを求めるような感覚を持ちます。自分は本当に正しい道にいるのかと、自問自答するようになるからです。魂が覚醒すると、光を求めるようになります。真実な心で光を求める人は、偽りの光に違和感を感じます。

 

 2025年は、いよいよ、一人ひとりの選択がはっきりしてくるようです。光を求める人は、魂が求めるままに光の道に進みます。魂が光のない世界に満足できなくなるからです。

 その魂は光を見、また、光を慕う魂のうちに希望の光がともります。

 

 しかし、魂の開眼のない人、目に見えないことは非現実なことであると否定する人、現実から目をそらして逃げているだけだと嘲る人たちは、光を求めません。この世の中に希望があると思っているのです。光を求めない魂に、光はともりません。彼らの関心は現実世界にあり、闇の世界に満足しているのです。

 

 聖書の神も、神道の神も、「聖なる神」です。神のもとに行くために、身を清める必要があります。また、日本の仏教は、正しい生き方を説きます。

 神道と仏教の影響を受けている日本人の目覚めた魂は、きよくなること、人として正しくあることを求め始めます。

 自然界との調和に安らぎを見い出し、また、自分は自然の一部であるという立ち位置を知ると、霊的に縛られていた目に見えない縄目からの解放感を得て、力みはゆるんで魂は素直になり、自分との、また、他者との和の心が芽生えます。

 

 神は、世界のひな型とされる日本列島に禊をされます。あちらこちらを、水で洗っておられます。

 地に属していた魂を覚醒させるためです。自分のうちにある魂の存在に気づかせるためです。神仏を忘れて生きていた人生に気づき、目に見えないものへの恐れを取り戻させるためです。

 

 水のバプテスマを授けるヨハネは、ユダヤ人たちに、キリストを迎える備えをするために、遣わされていました。

 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)

 

 神から心離れたまま生きていたユダヤ人たちは、悔い改めて、ヨハネから、水のバプテスマを受けました。

 水のバプテスマは、悔い改めのバプテスマです。心の向きを変えるバプテスマです。

 人間中心の生き方を悔い改めて、心に生けるまことの神をお招きし、神とともに歩む人生を始める誓いです。

 

 神は、日本列島に水のバプテスマを施し、神の御前に出る備えの禊をしておられるようです。

 

 自分自身が自分の主人であった生き方の向きを変えて、私たちにいのちを与えて生かしてくださる「まことの主人」、私たち一人ひとりの魂の所有者であられる「創造主」に立ち返る時をお与えになっておられるようです。

 

 光を選択する人と、選択しないで闇に留まる人とは、価値観が一致しなくなるでしょう。

 

 光を選択する人は、天に属する者に造り変えられるために、火のバプテスマを受けます。

 光を選択しない人たちの不理解と心無い言葉、中傷、迫害、貧困。しかし、この痛みと悲しみ、苦しみと嘆きには報いが伴います。

 

 神は、光の子らに、永遠の住まいを用意しておられるのです。

 「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。(世の人々に卑しめられても、あなたがたは、やがて、神の国の国民となるのです)

 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(あなたがたを惑わし、また、苦しめて、信仰を取り去り、永遠のいのちを奪い取ろうとしています)

 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。(希望の光を奪われないようにしなさい)ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。(神の御子イエスは、ののしられ、嘲られて、十字架で殺されました。闇を愛する世の人々は、光を憎むのです)

 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリスト(永遠のいのちを得させる救世主)にあってその永遠の栄光(天の御国の神との交わり)に招き入れてくださった神御自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで(迷いを取り除いて)完全にし、(信仰に)堅く立たせ、強くし、不動の者(迫害の中でも信仰を手放さない、信仰の勝利者)としてくださいます。」(ペテロ第一5:6-10)

 

 きよめの火をくぐる人は、不純物を取り除かれて、純真な信仰者とされます。

 信仰の大盾を取り、悪い者が放つ火矢を、消しましょう。

 救いの確信をもって、御霊の与える祈りを受け取りましょう。

 

 「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって(心に浮かぶままに)祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒(光を宿す人たち)のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)

 

 神の御救いのみわざは、日本列島から始まっているのかもしれません。

 

 火のバプテスマはきよめのバプテスマ。神のきよめの霊が注がれると、隠されていた事が公になるかもしれません。闇の者にとっては恐ろしい事態です。

 しかし、この事は恥をかかせるためにではなく、我に返って明るみになった罪を認め、悔い改めて、闇から光に移させるためでしょう。

 

 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行なうでしょう。そして、光を憎んで正しい者を苦しめるでしょう。

 

 ヨハネに黙示録を託したイエス・キリストは言われます。

 「正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なる者とされなさい。」(黙示録22:11)