ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本国のゲルジム山とエバル山

 

 「見よ。私(モーセ)は、きょう、あなたがたの前に、祝福と呪いを置く。

 もし、私(モーセ)が、きょう、あなたがた(神の民イスラエル)に命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道(神に従う神の霊の道)から離れ、あなたがたの知らなかった神々(天地万物、また人類を造らなかった偽りの神々、神の霊でないもの、偶像)に従って行くなら、呪いを与える。

 あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神(人を造られた生けるまことの神)、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲルジム山には祝福を、エバル山には呪いを置かなければならない。」(申命記11:26-29)

 

 これらのみことばは、奴隷の家エジプトから連れ出した預言者モーセが、イスラエルに命じた神の命令です。

 このみことばを、どの時代、どの世代、どの国民にも、語っておられる、ユダヤ人の神の普遍性をもって、今の時代に照らし合わせて捉えてみました。

 これから所有しようとしている地は、精神的霊的世界の先にある神の国、永遠のいのちの「千年王国」です。

 

 終わりの時代、日本から世界の救い主とされる人が起こると言われています。神が遣わされる救い主は、ユダヤ人から出ます。すなわち、日本列島の中に、古代ユダヤのユダヤ人の血統の人々が日本人として暮らしている、ということです。

 

 私は、モーセを通してユダヤ人に命じられた祝福の山と呪いの山は、終わりの時代の救いの道を開く日本列島の中にもあると考えました。

 

 神は、イスラエルに命じられました。

 「あなたがた(エジプトから連れ出されたイスラエル)がヨルダンを渡ったとき、次の者たちは、民を祝福するために、ゲルジム山に立たなければならない。シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフ、ベニヤミン。

 また次の者たちは呪いのために、エバル山に立たなければならない。ルベン、ガド、アシェル、ゼブルン、ダン、ナフタリ。」(申命記27:12,13)

 

 並んで立つふたつの山は、祝福と呪いの象徴です。神は、民の目に見えるかたちで、イスラエルに、神の祝福と神の呪いとを意識させられます。

 ゲルジム山に、神の祝福を見ます。

 エバル山に、神の呪いを見ます。

 

 民が神に聞き従い、いのちを持つ神の霊とともにいるならば、神は、ゲルジム山から民を祝福されます。

 民が神の霊ではなく、いのちのない偶像に聞き従い、神を名乗る偽りの霊とともにいるならば、神は、エバル山から民を呪われます。

 

 2025年は、日本列島に封印されていたものが解かれて、日本人の魂が覚醒し、本来の状態(もともと日本人は霊的な精神性を持っており、自然を愛し、目には見えないけれども大いなるいのちの源であられる存在を恐れて崇拝し、すべてのものは一つのいのちによってひとつであると考えて、和を重んじる大和魂だった)に回復される流れとなるようです。

 

 しかし、古神道の「日月神示」によれば、大和魂を持つ大和民族の子孫は、現在、四割ほどだそうです。

 

 いのちの神に受け入れられる精神性に鍛えて、霊的な神の国の建国を目指す「国常立命」は、長い間、地上の神々によって封印されていました。2000年に、世の終わりに向けて、富士山に鎮座されたようです。

 

 その封印が解かれるのが、2025年だそうです。すると、精神的霊的な神の国の建国が始められます。

 目に見える現象の物質世界の中にあって、目に見えないとこしえの神の国が起ころうとしているのです。

 神は、目に見えないとこしえの国を、この日本国から造り始められます。

 

 古神道で待ち望まれていた、草木も喜ぶ「みろくの世」です。すべての被造物がいのちに溢れ、すべてのものが調和して一つとなる、平安な神の世です。

 仏教で多くの人々が目指している、「涅槃(ねはん)」です。すべての煩悩から解かれて、輪廻転生から解脱した魂の世界です。生老病死の悩みが完全に解決し、完成した魂の永久の世界です。

 キリスト教でキリストの再臨が待ち望まれている、キリストが王となって治められる争いのない平和な「千年王国」です。

 ユダヤ教で待ち望まれている、すべての被造物の回復の時、「エデンの園」の回復です。

 

 イスラエルが四百年の間奴隷であった奴隷の家エジプトから、イスラエルを連れ出し、イスラエルの先祖に与えた約束の地、彼らの父祖アブラハム、イサク、ヤコブの相続地であるカナンの地に連れ上るために、神は、モーセを遣わされました。

 

 神は、聖書に書かれたエデンの園の回復のすがたである「千年王国」にはいらせるために、罪にまみれた滅びの世から連れ出す、モーセのような指導者を、日本国に立てられるようです。

 

 生けるまことの神は、日本人の大和魂を甦らせて、霊とまことによって神に仕える「七つの御霊の教会」を建て上げられるのです。

 「みろくの世」を待ち望んだ古神道を含む神道、「涅槃」を目指す仏教、「キリストの再臨」と「千年王国」を信じるキリスト教、「メシア」の現われと「エデンの園の回復」の成就を待ち望むユダヤ教。おのおのの願いが成就するときです。

 それは、神のひとり子イエス・キリストの御霊によって成し遂げられます。御霊の教会は、肉に死に御霊によって死から甦り永遠に生きるキリストの、生かす御霊によって建てられます。

 

 キリストの御霊は、キリスト教徒のものではありません。キリストは、キリスト教の神ではありません。キリストは、あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の、すべての人、すなわち、全人類の救い主なのです。

 

 全人類の救世主イエス・キリストは、キリスト教、ユダヤ教、仏教、神道、また、そのほかのすべての信仰の上に立つ、とこしえの祭司です。

 天のまことの聖所で、天地万物の創造主、全能の神、裁き主であられる、いのちの根源「生けるまことの神」に仕えるキリストは、神と人との仲介者であり、天と地とを繋ぐいのちの道であり、神から出た唯一の救世主です。

 

 キリストは、「いのちの道」へ導くために、地球に聖霊のバプテスマを授けられます。生かす御霊を注がれるのです。一度死んでも、死から甦って、永遠に生きる新しい人に造り変える「真理の御霊」です。

 キリストは、世界を救う唯一の救い主であり、死に定められている人間の罪を贖い、永遠のいのちを得させられる、神のひとり子なのです。

 

 世の終わりに、キリストは、モーセのような指導者を立てられます。彼に、キリストの御霊を与えて、神の御霊に聞き従う人々を、死と滅びが定まっている罪の奴隷の世から救い出し、いのちを与え、「千年王国」にはいる希望と信仰を与えます。その信仰により、御霊の教会は建てられ、また、御霊の教会は、エデンの園の回復である「千年王国」にはいります。

 

 「御霊の教会」は、目に見えない教会です。霊によって捉え、魂によってはいる教会(神の家)です。霊とまことによって神を信じる魂たちは、信仰の家族です。

 

 目に見える物質世界の日本列島の中で、目に見えない精神的世界の信仰の神の国が造られるのです。そして、その国は、日本からアジアへ、世界へと広がり、イスラエルで完成します。

 

 さて、霊的イスラエルの国の始まりである日本列島に、霊的な二つの山が置かれました。日本の歴史の中心にあって、日本国を支えて来た皇室に、二つの山を置かれたのです。

 

 ひとつは天皇家、もうひとつは秋篠宮家。

 天皇家には光があります。日本を照らす太陽の天皇陛下と、日本国に働く闇の世界の中にあって、闇に光を灯す月の皇后陛下と、太陽と月に守られ、日本人に神とともにある正しい生き方を教えてくださる愛子内親王。

 

 天皇家と並ぶこの一家が関わる事柄には不吉なことが起こるとのジンクスを持つ秋篠宮家。

 秋篠宮が名誉総裁である大阪・関西万博では、100万人以上の人が払い戻しされることのない死に券を握らされました。

 

 霊的に捉えるならば、恐ろしい事態です。これから、日本が光の魂と闇の魂とに分けられるとき、大阪の多くの人たちが光を受けていても、光を持ち続けることが困難な状況になるでしょう。

 チケットの件は、大阪が、誠実な精神ではなく金銭を選んでしまったことの現われです。精神よりも物質を選んだのです。

 

 5年後に、大阪でカジノの施設が営業開始される予定ですが、その成功とともに、多くの人がカジノの虜となり、欲望の町となってしまうでしょう。神のいのちを軽んじる魂となって、魂から光を消してしまうのです。

 

 大阪・関西万博ですから、関西もはいるのかどうかはわかりませんが、聖徒たちは、霊的なこの事態を知って、祈らなければなりません。

 霊の働きは巧妙です。自分は大丈夫と思っていても、クリスチャンがその闇に飲まれてしまうこともあります。どうか、神の霊を選び、信仰に勝利することができるように、絶えず祈ってください。

 

 日本から立つ救世主と言われる人。光の子らは、彼に従うのではありません。彼らの霊が彼の霊に従うのです。霊が研ぎ澄まされていなければ、闇の霊の妨げを見抜いて神の霊を見分けなければ、正しい道を歩むことができません。いのちの道に辿り着く事ができません。

 

 山は目に見えないものではなく、目に見えるものです。隠されてはいません。

 どちらの山を見ますか。

 精神の山ですか。物質の山ですか。

 精神の山を見る人の、この世の楽しみは砕かれます。彼らが目指すのは、霊的世界です。闇の策略で、多くの罠が仕掛けられ、戦いがあります。しかし、霊的な平安、魂の喜びがあります。信頼と信仰によって、心にともった光が希望を与えてくれるのです。

 

 物質の山を見る人の、心の光は暗いです。彼らが目指すのは、この世の延長です。物質的豊かさと欲望の満たしです。しかし、その先にあるのは、霊的な不安と、魂の嘆きです。物質的豊かさと引き換えに、目には見えないとこしえの財産(永遠のいのち)を失うからです。