ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本人の集合意識

 

 新しい総理が決まり、日本国には、静かな平安の空気が流れています。

 神は、日本列島の封印を解かれる2025年に、石破総理という霊的な覆いとなる信仰者を総理の座に置き、また、高石総理という新たな覆いを置いてくださいました。

 

 石破総理はおそらく意識しておられないでしょうが、石破さんが総理の座に着かれたことで、今までひそやかにまた確実に、国民の知らない権力をもって働いていた闇の勢力の働きに歯止めを効かせていたと思われます。

 

 石破総理が日本国の政治界の長であることで、日本国全体で自由に働いていた闇の勢力は一時息をひそめました。

 いのちの祭典である「大阪・関西万博」に用意された、いのちの神の恵み(目に見えない生けるまことの神を霊で感じて、いのちを大切に思う日本人古来の魂の感覚を目覚めさせ、起動させてくださいました。神は、石破総理という霊的な守りのある中で、日本列島の封印を解かれ、また、万博を開催する日本国では、会場に限らず、日本列島に多くの天の御使いが訪れて、多くの魂を目覚めさせていることでしょう)は、日本人の魂にいのちの光をもたらしたのです。

 

 日本国には、終わりの時代に、世界の救世主を出現させる務めと、世界の国々の精神的模範国となるという務めがあるようです。

 この務めを果たすためには、日本人は目覚めなくてはならないのです。ほかの国々と同じであってはならないのです。目に見えない神の働きを日本列島に歓迎しなければなりません。

 

 日本人は、ほかのどの国民よりも、先だって、目覚めなければいけません。闇の覆いは、日本人の魂を眠らせます。日本人が、新しい時代に備えることができないようにしているのです。闇に覆われた日本列島の中では、政界でも財界でも宮内庁でも宗教でも、あらゆる分野で偽りが横行します。

 闇に覆われた日本人は、偽りに気づきません。わずかな目覚めた魂は光を得て、闇の子らの働きを知ります。光を得ていない人々に「騙されている。」と忠告しても、理解してもらえません。それどころか、批判中傷をしていると非難して、闇の子らを守ります。

 

 2025年に日本列島の封印が解かれる、と声をあげる人々の中に、日本人の目覚めを願い、祈る人々が起こりました。

 

 もし、もうひとりの候補者のようなこの世の流れだけを見て、霊的な事柄に思いが閉じており、神を恐れない人が総理であったならば、日本列島の霊界は闇に覆われたままで、闇街道まっしぐらな日本国となっていたでしょう。

 多くの日本人の思いは閉じたままで、霊的な国づくりの神の御計画は難航していたことでしょう。日本人の眠りは、世界をも苦しめることでしょう。

 

 目覚めた日本人はわずかであっても、彼らの祈りは山を動かしました。

 日本人が昔から持っていた集合意識が発動したのです。彼らの祈りは一つとなって、天に上りました。

 

 目に見えない神の霊は、闇の勢力の要塞に、天からの光を当てて、目つぶしされました。

 

 アブラハムの甥ロトの住んでいたソドムの話に、目つぶしされる神のみわざを見ることができます。

 

 ソドムの人々は、怒ってロトに言いました。

 「『こいつ(ロト)はよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどい目に会わせてやろう。』

 彼ら(ソドムの人たち)はロトのからだを激しく押しつけ、(ロトの家の)戸を破ろうと近づいて来た。

 すると、あの人たち(ロトをソドムの滅びから救い出すために来た御使いたち)が(ロトに)手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家(ロトの家)の中に連れ込んで、戸を閉めた。

 家の戸口にいた者たち(ソドムの人たち)は、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。」(創世記19:9-11)

 

 神の御使いは、闇の勢力の前に立ちはだかって、神に逆らう者たちの働きを止められます。

 日本人の集合意識が、神の御手を働かしたのでした。日本人の祈りが、日本人の魂の覚醒の時を開いたのです。また、世界中の目覚めた人たちの祈りに支えられました。

 

 アブラハムは、御使いたちが罪深いソドムの町を滅ぼすことを知った時、ソドムの町にいる甥のロトを案じたのでしょうか。

 「もしや、ソドムの町の中に五十人の正しい人がいるかも知れない。その五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。」と懇願するアブラハムに、主は「五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その五十人のために、その町全部を赦そう。」と仰せられました。

 アブラハムは、四十人、三十人、二十人、と交渉し続けて、とうとう、「十人の正しい人のために、滅ぼさないでください。」と懇願しました。

 主は仰せられました。

 「滅ぼすまい。その十人のために。」(創世記18:32)

 

 しかし、主は、ソドムの町の中に、十人の正しい者を見つけることができませんでした。

 

 日本人の祈りの人の数は、神の御旨にかなっていたのです。しかも、ばらばらの祈りではありません。自分の私利私欲から出る祈りではありません。霊とまことによって神を恐れ、目に見えない神の御前に心を注ぎ出したのです。

 

 日本人の神を恐れる心、他者を思いやる心、日本を愛する心、同胞愛が甦りました。彼らは、闇ではなく、光を求めたのです。神は、日本人たちの祈りに答えてくださいました。

 日本列島の闇に穴が開き、いのちの光が注がれました。

 

 日本人の心が天に向けられました。目に見えない霊なるお方に、意識が向けられたのです。人間世界を見、地に属する意識で生きていた日本人が、目覚めて、天のものを求め始めたのです。

 

 ひとりふたりではありません。宗教も関係ありません。ひとりひとりの魂が、光を求め、いのちの源である天を仰いだのです。

 日本人の集合意識は、神の御手も動かします。山をも動かす信仰となって、天と地が繋がれました。

 

 石破総理辞任に、闇の勢力が息を吹き返す機会を狙いましたが、日本人の意識は、精神的な安息を求めました。

 世の奴隷となって魂をすり減らす生き方に疑問を持ち、自分の心を取り戻し始めたのです。雨風しのぐ家があり、着る物、食べ物を日々得られているならば、それが幸せだった、と、生活の基盤への感謝を忘れていたことに気づいたのです。

 

 生きていることへの感謝は、日本人の心に喜びを吹き込みました。争う心や不足感ではなく、感謝の中に、精神的な安らぎと充足感を味わうようになったのです。

 

 神は、日本国の中に、霊的なもう一つの国を生まれさせておられます。精神的に満たされ、喜びと感謝に溢れ、和合し、自然と調和する、いのちあるものの国です。

 この国は、日本からアジア、世界へと拡大していきます。

 

 日本人は精神的充足感を味わうと、精神的な成長を目指します。

 そして、愛と調和と平和の新しい生き方を始めるのでしょう。

 

 いのちがすべてであり、いのちの主がすべてのうちにおられるのです。

 「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

 互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満をいだくことがあっても、互いに赦し合いなさい。主(永遠のいのちを得させる神)があなたがた(の罪)を赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。(あなたがたも互いに赦し合いなさい)

 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

 キリストの平和(罪の赦しと神との和解と永遠のいのち)が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」(コロサイ3:12-15)

 

 新しい総理のもとで、神のみわざの続きが始まります。

 日本人は、精神的な幸福を望んだのです。

 その集合意識によって、恵みの時(救いの時)を、この日本列島に迎えることができます。