ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

霊的に二分される

 

 2025年、霊的に覚醒する人が起こっている日本列島。

 それは、石破総理の覆いの中で起こりました。

 

 肉体の目で見る世界と異なる、目に見えない霊的存在が働く世界があります。

 人間は霊的存在です。目に見えるものが現実世界と思い込まされていますが、人のうちにある魂は、目に見えない世界に永遠があることを知っており、永遠に飢え渇いています。

 

 動物は、人間よりも自然のサインを捉える能力があります。動物は、人間ほど汚れていないからでしょう。

 人間は、現象の世界にどっぷりとつかり、現象に価値を見出し、物質を創造する能力を進化させています。世界を治め、新しく創造する能力があるからです。

 

 動物は、神が造られた自然と共生し、人のつくった物を使う能力はありますが、みずから材料を加工して新しい物をつくり出す能力はありません。

 神がお与えになった姿で生きています。それゆえ、目に見えない事柄を感知する能力が残っています。

 

 人間は、原始的な能力を持っている動物の反応を見て、異常に気づきます。人間には、目に見えない神のサインを受け取る原始的な能力が埋もれてしまっているからです。

 

 人間は、長い間、目に見えない神という存在を意識しない生活をしてきました。神という存在を信じていて、信仰の対象にしている人たちの間でもそうです。自分の霊が霊なる神と交わるような、霊的な信仰を継承していないのです。

 

 昔の人たちの信仰は、もっと純朴でした。目に見えない神の存在を畏れ、気配を感じ、生活の中心に据える、現実的で霊的な信仰でした。

 彼らは、霊によって神を知り、神を霊とまこと(真実な心)によって礼拝していたのです。彼らの生活の中心には、目に見えない神がおられました。

 神は、目に見える偶像ではありませんでした。目には見えないけれども、確かに存在しておられ、私たちを生かしておられる神として崇められていました。

 

 人が神を畏れている世界では、魂の安らぎがありました。生き物はそれぞれの種によって生活し、自分の必要以上には捕獲しません。互いの生活の縄張りのようなものがありました。自然界は、彼らの家でした。人間は、自然界の中の一部として生活していました。

 

 しかし、人間に罪が増し加わり、神を恐れなくなると、調和は乱れ、それぞれが個々に生きるようになりました。神のいのちで一つだった被造物の中に、混乱が入ったのです。

 

 人は、神の御性質からどんどん離れて行きました。人のうちに神の御性質がなくなると、みなが動物のようになりました。獣の持つ自然のサインを持たない動物となりました。

 

 人間は文明を発展させて、被造物の王者のように振る舞っていますが、実は、自然を壊している破壊者であることを悟りません。

 破壊者たちは、もう一つの霊的存在である悪魔から知恵を受けています。物質的豊かさを与え、また、文明を発達させるために、悪魔は惜しみなく、能力を与えます。

 人間を栄えさせたのは、神々に姿を変え、信仰の対象の座を得た悪魔でした。悪魔は、人間に礼拝されることで力を増し、また、能力を与える代価として彼らの魂を要求します。

 魂は目に見えないものです。本当にあるものなのかどうかもわかりません。彼らにとって、目に見えないものの価値ははかることができません。価値がわからないものを差し出すのは容易いことです。

 

 本当の神、いのちを与え、すべてのものを生かしておられる神の存在がわからなくなった人間は、目に見えるものを追いかけて、それを捕らえることに夢中になっています。そのような人間に、神のことを話そうものなら、笑い飛ばされます。

 霊的存在である人は、霊の耳があっても聞こえず、霊の目があっても見えず、自然からサインを捉える動物よりも、劣るものとなってしまいました。

 

 人が神の存在を否定しようとも、天地万物を造られて今も生きておられる神は、造った人を滅ぼす権威を持っておられます。神は、最後の裁きをされる方であり、実は人間よりも現実の方です。というのは、人間は百年足らずで死に、世からいなくなりますが、神は、昔も今もこれからも永遠に生きておられる方だからです。

 

 人を造られた神は、かつて、この世を大水で滅ぼされました。神を神とせずに暴虐に満ち堕落した世を滅ぼされました。人も、家畜も動物も、すべての陸に住む生き物を、大水で取り除かれたのです。

 神は、大雨を降らせる前に、神を恐れる正しい人ノアに御自身の御計画を知らせ、ノアは、神に聞き従って箱舟を造り、大洪水から救い出されました。

 

 神は、神の御性質から離れ、神に敵対する悪魔のようになっていく人を、次は、火で滅ぼすと定めておられます。

 その定めの時は近づいています。

 ノアに水で滅ぼす御計画を告げて箱舟を造るように命じられた神は、神が選ばれた民イスラエルに、神のひとり子を遣わされました。

 

 神は、ひとり子に人間と同じ肉体を造り、人の子イエスの姿で遣わし、火の滅びから救い出す救世主(神の子羊イエス・キリスト)とされました。この救い主キリストに聞き従う者は、ノアが神に聞き従って洪水から救い出されたように、火の滅び、すなわち、永遠の火の池(地獄にはいる永遠の死)から救い出されるのです。

 

 神は、神の御子イエス・キリストのうちに永遠のいのちを置いておられます。神は、神に聞き従う正しい人を救い出すために、火の滅びから救い出す「永遠のいのち」を遣わされました。

 永遠のいのちを受ける人は、火の滅びから救い出されて、天の御国を相続する神の子どもとされます。

 

 世の滅びから救い出される者は、神が遣わされた救い主イエスを神の御子と信じる者です。

 神の御子を信じる者は、あかしを自分の心の中に持っています。あかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしていのち(永遠のいのち)が御子のうちにあるということです。

 御子を持つ者(キリストを信じて、イエスを神の御子と告白する者)は(永遠の)いのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(永遠のいのちを持たない者にあるのは、永遠の死と永遠の火の池です)

 

 神が御子についてあかしされたこと(神の御子イエスは世を救い、永遠のいのちを得させるキリストであること)を信じない者は、神を偽り者とするのです。神のあかしは真実ではないとする不遜な人々は、神の裁きを免れることができません。

 

 さて、今年2025年は、人類が霊的に二分される年にはいっているようです。

 闇の指導者が立つと、闇の子らは自由に活動します。

 しかし、光を持つ指導者が立つと、闇の子らは身を潜め、去って行きます。闇は、光を憎むのです。

 

 闇の指導者のもとでは、光の子らは息をひそめます。闇が覆うからです。闇は、光を憎み、光に居場所を与えないのです。

 

 世は、滅びに向かっています。すなわち、闇の子らの背後にいる闇の支配者(悪魔)が支配する時代にはいるからです。

 義を求めても義を見い出すことはできません。正しく生きたいと願う者は、義に飢え渇きます。しかし、その不義の世界に義を見つけることはできません。不法の世界だからです。不法がはびこると、人々の心はすさみ、多くの人たちの愛は冷たくなります。誰も信じられなくなるからです。

 

 そうなる前に、神は光の時を設けてくださいました。光を選択する恵みの期間です。長くはありません。この恵みの時に、霊的に覚醒して、自分の霊で目に見えない神の霊を知る者となることが必要です。

 

 霊の覚醒した者は、霊とまことによって神を礼拝することがどういうことなのかを悟る者となります。

 霊の覚醒した者は、いのちを感謝し、生かしてくださる神を見いだします。神に立ち返る魂は、神と和解し、心に平安と喜びを得ることでしょう。この神に繋がる信仰こそが、神が人に求めておられる信仰です。

 

 精神的に縛られていた、闇の縄目が解かれると、霊的に覚醒した者も覚醒していない者も、精神的な解放を得ます。

 これは、霊的世界のことです。光を持つ霊が指導者となるならば、その国のいのちを求める者に光がともされます。闇の力が遠のいている間にそれを達成しなければなりません。

 

 霊的に覚醒していない人にとっても、精神的な解放は、社会に変化を与えます。精神的な幸福を価値基準に置いた、新しい世界観をもって、技術の開発がされると、日本国だけではなくて、全世界の人たちの幸福となります。

 

 高石総理のために祈りましょう。闇の勢力から守られること、また、闇が離れて、光が集まって来て、日本列島に、霊的覚醒が起こり、いのちを選ぶ人、いのちの道を歩む人たちが守られますように。

 

 古代からの信仰の地、奈良の人たちは、先祖から譲り受けた信仰によって、高石総理が闇の勢力から守られ、日本国に光が放たれて、日本人の大和魂が目覚め、正しい道を歩むことができるようにお祈り下さい。

 

 天の聖所の大祭司キリストに祈るキリスト者は、日本国が闇の縄目から解かれて、縛られていた魂が解放され、いのちを得るようにお祈りください。そして、高石総理に神の霊を覆ってくださって闇の勢力から守り、神が敷かれる道を歩むことができるように、また高石総理に神の力を着せて日本国を守り、光の子らが守られて神の御霊が自由に働く国となるようにお祈りください。

 

 今は、選別の大切な時です。

 光の子らが光を選び、光の道を歩むことができるように、霊的に明るい覆いに守られて神の霊が働かれる日本国でありますように。