魂の覚醒した人から始めましょう。
日本列島に、平和に暮らす縄文人。彼らは自然と一体となって、愛と調和で、生きる事を楽しむ人々だったようです。縄文人の時代には、争いがなかったようです。
縄文人からいのちを感謝し、自然から学ぶことを教えられた大和民族。自然の中に安らぎを見い出し、火にも水にも岩にも山にも海にもすべてのものに、見えない神々の存在を認め、神を恐れることを知っていました。
しかし、国づくりとともに、アイヌ人など縄文人の暮らしのまま先祖の教えに忠実に生きる先住民を追いやっていきました。
穏やかで愛に溢れた縄文人の住んでいた土地は主人を失い、悲しみ、痛みました。
大和民族が増え広がると、神仏習合の精神が、大和民族の精神性の源流となりました。しかし、神仏に祈願して憎しみと恨みの対象者に呪詛をかけて、日本列島に呪いも積まれました。
武士の時代になると、日本列島のあちらこちらに多くの血が流れました。和合ではなく、争いと権威の奪い合いの時代です。
明治になると、神道の国教化政策を施行するために、神と仏を切り分ける「神仏分離令」を出して、神社に祀られていた仏像・仏具を排斥しました。
融合していた神道と仏教は、分離してしまいました。大和魂の基礎にあった神仏習合は、分離することで、大和魂にもダメージがあったことと思います。
それまで、親しい隣人だった人同士が、お互いの間に壁を建てて、交際しなくなったのです。和合は、不和となりました。
大和魂から「愛」を締め出したのです。
戦争や自然災害によって、多くの日本人が無念の死を遂げ、魂はさまよいます。
縄文時代、愛と調和と平和の世界を生み出していた日本列島に、日本人は怒りと憎しみ、嘆きと悲しみを積み上げ、神々を崇め祀っていた聖なる土地を汚して、日本人の邪念の墓場としました。
日本人は戦争の傷跡の上に、努力を積み重ねて近代文明を築きました。先祖たちの涙と犠牲の上に、欲望に満ちた虚構を築きました。日本人は、自分たちで気づかないうちに、精神的に堕落しました。
目に見えるところでは華やかで成功したかのようですが、倫理を嘲笑い背徳を熟した大人であるかのように振る舞う利己主義の自由が乱れ、人の心は神仏のレールから外れました。
成功は堕落の始まりでした。
昔ながらの人を古臭いと蔑み、若者と老人の間に橋を失いました。核家族は、大和魂を枯らします。精神性を重んじる人は社会から疎んじられます。
第二次世界大戦の終戦後、29年目に生還した旧陸軍少佐、小野田寛郎氏。終戦を信じず、フィリピンのジャングルに潜んでいました。
師団長横山静雄陸軍中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実をかじってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな。」と日本軍の戦陣訓を全否定する訓示を受けていたそうです。
上官に聞き従う日本兵小野田は、上官の命令がなければ、任務解除してはならないと頑なに終戦を認めず、なんと29年間もジャングルにいて、とうとう、元上官がフィリピンに行き、元上官から直接任務解除を受けて投降したそうです。
戦後29年と言えば、昭和49年。1974年です。東京オリンピックも終わり、新幹線も走っている、高度成長期を駆け上った新しい日本です。
戦前の日本しか知らない小野田さんには、よその国のようです。お国のために、と日本人の心がひとつとなっていた時の国ではありません。
小野田さんの目には、おそらく、進歩した日本国ではなく、堕落した日本の精神が映ったのでしょう。こんな国のために、いのちをかけ、人生をかけていたのか、とむなしくなったようです。浮かれたような日本社会になじめずブラジルに移住したそうです。
発展したと思っていた日本国が、実は精神的に劣化していたのです。自殺者は増えました。大和魂の残影を追い求める息絶え絶えの精神が、魂の抜かれた腑抜けな精神の蔓延する日本国内に居場所を失ったのです。
そして、現在、日本人の魂の拠り所であった神社仏閣を、金儲けの道具に変える成金中国人に売ってしまうような、神も仏もない国民に成り下がったのです。
日本列島は、虚無に服する望みのない被造物のたまり場です。かつては日本人に愛された自然は、他国人に売られて、日本人に見捨てられたと悲しんでいることでしょう。
日本列島の被造物は、かつてほかの国々の被造物から羨まわれていたことでしょう。日本人に愛され、大切にされていたからです。
しかし、日本人は変わりました。日本人が神から預かった日本列島の自然や被造物よりも、自分自身のことで精一杯なのです。自分のことも持て余しています。
日本列島は、日本人に愛が戻ることを待ち望んでいます。
「それは、被造物が虚無に服したのが自分(自然や動物、生き物たち被造物)の意志ではなく、服従させた方(神)によるのであって、(日本人が神に立ち返るならば)望みがあるからです。
(もし日本人が悔い改めて神にへりくだり愛を取り戻すならば)被造物自体も、滅びの束縛から解放され、(闇と破壊の心ではなく、愛と平安と平和の心の新しい人となった日本人、すなわち、)神の子どもたちの栄光(神に赦され、愛と和合と平和の心で大和魂を取り戻した日本人の社会)の自由の中に入れられます。」(ローマ8:20,21)
日本列島は、私たち日本人が正気に戻るのを待っています。
大和魂の回復を待ち望んでいます。
被造物も、切実な思いで神の子どもたち(日本列島の汚れをきよめてくれる祈りの民)の現われを待ち望んでいるのです。」(ローマ8:19)
日本人が愛と和解と和合と平和、感謝と喜びの心を選ぶならば、日本列島は息を吹き返すでしょう。
大和魂を取り戻して、被造物一つ一つに優しい言葉をかけ、慈しみ、また、日本列島に置かれた多くの人の無念と流された血を悼み、祈りによって癒してあげるならば、被造物は喜んで、私たちを守り、祝福してくれることでしょう。
日本列島を回復させるのは、神から列島をゆだねられた日本人の務めです。
私たちの自分勝手な欲のままに土地や自然や被造物を傷つけ、卑しめ、汚して来たことを悔い改めて、自然界に土地に海に山に川に感謝と和解の心をもって、愛を注いでまいりましょう。