ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

世界の御救いのために、イスラエルの良いものを日本列島に残された神

 

 「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。

 また、きょう、私があなたがたの前に与えようとしている、この御教えのすべてのように、正しい掟と定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。

 ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。

 あなた(モーセ)がホレブで、あなたの神、主の前に立った日に、主は私に仰せられた。

 『民をわたし(主)のもとに集めよ。わたしは彼ら(イスラエル)にわたしのことば(神のことば)を聞かせよう。それによって彼ら(神の民)が地上に生きている日の間、わたし(天地万物を造られた全能の主、いのちの根源である「生けるまことの神」)を恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。』

 そこであなたがたは近づいて来て、山のふもとに立った。山は激しく燃え立ち、火は中天に達し、雲と暗闇の暗黒とがあった。

 主は火の中から、あなたがた(神の民)に語られた。あなたがたはことばの声を聞いたが、御姿は見なかった。御声だけであった。

 主は御自分の契約をあなたがた(イスラエル)に告げて、それを行なうように命じられた。十のことばである。主はそれ(十戒)を二枚の石の板に書きしるされた。

 主は、そのとき、あなたがたに掟と定めとを教えるように、私に命じられた。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地(父祖アブラハムの相続地であるカナンの地)で、それら(十戒を守り)行なうためであった。

 あなたがたは十分に気をつけなさい。主がホレブで火の中からあなたがたに話しかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからである。」(申命記4:7-15)

 

 神は、ユダヤ民族が四百年の間奴隷であったエジプトへ、モーセを遣わされました。  

 モーセは、神のことばに聞き従い、神の奇蹟としるしによって、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出し、荒野で主にお会いしました。

 

 イスラエル人は、激しく燃え立つ山のふもとに立ち、火の中から語られる主の御声を聞きました。しかし、御姿は見ませんでした。

 それゆえ、モーセは言います。

 

 「あなたがたは十分に気をつけなさい。主がホレブで火の中からあなたがたに語りかけられた日に、あなたがたは何の姿も見なかったからである。(神は、人の目には見えないお方です)

 (あなたがたは、神の御姿を見なかったのだから)堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も、女の形も。地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も。地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。

 また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのもの(偶像)は、あなたの神(イスラの神)、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである。(神の御姿を見たこともなく、主の御声を聞いたこともなく、天地万物を造られた神が存在することすら教えられることのない異邦人たちには、全能の神、主の存在を知らせ、主に思いを向けさせるために、偶像であっても拝む対象を持つ事が許されたようです。しかし、生けるまことの神、主を知るイスラエルの民には、偶像を拝むことは許されません)」(申命記4:15-19)

 

 モーセは、イスラエルに言いました。

 「私たちが主を呼ばわるとき、主はいつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。

 また、神から直接御教えを受け、人としての正しい掟と定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。」

 

 イスラエルは、神がともにおられる特別な民でした。世界を造られた神のために、すべての被造物が、神に秩序正しく仕える世界を整える責任があったのです。

 

 しかし、イスラエルの民は堕落し、ほかの国々の民と同じように、偶像を造り、偶像礼拝をすることで、神を怒らせました。

 神の憤りは激しく、ユダヤ民族の十二部族を二部族と十部族とに分裂させた神は、まず、十部族をイスラエルの敵国アッシリアに捕囚させました。十部族の上に下った神のさばきを見ながら、二部族もまた、神に罪を犯し続けました。神は、二部族をバビロンに捕囚させました。

 

 七十年の間、神は、イスラエルの地から、神に背く罪深いユダヤ人たちを追い出して、イスラエルの地をきよめられました。

 七十年が満ちると、神は、バビロンの地に連れ去っていたユダヤ人たちを、イスラエルの地に帰還させられました。

 神が、イスラエルの王ダビデに約束された、ダビデの子(とこしえにダビデの王座に着く「人の子」キリスト)を遣わすために、二部族はイスラエルの地に戻されました。

 アッシリアに捕囚された十部族は、離散していましたが、そのとき、十部族のわずかな者たちも帰還しているのではないかと言われています。

 

 バビロン帝国に崩壊されたエルサレムの神殿は、二部族によって建て直されました。

 イスラエル国が、ローマ帝国の属州とされた時代に、ダビデの町ベツレヘムで、処女マリアから神の御子イエスはお生まれになりました。

 

 ユダヤ人たちは、イスラエルが待ち望んだメシアは、ローマの圧政からユダヤ人たちを救い出し、イスラエル国を復興させてくれる人である、と期待していました。

 

 しかし、キリストと噂される「ナザレのイエス」は、政治的な指導者ではありません。神と神の国とを宣べ伝える人です。病人を癒し、悪霊を追い出し、罪を赦し、死人を生き返らせています。ローマ帝国の圧政の中で、罪の赦しに何の意味があるのでしょう。ユダヤ人たちは、神殿で神を礼拝しているではありませんか。ユダヤ人たちには、神がおられるのです。

 神のことよりも、現実世界のユダヤ人社会を変えていただきたいのです。

 

 「(アブラハム、イサク、ヤコブの神、イスラエルの神)主は、あなた(ユダヤ民族)の先祖たちを愛して、その後の子孫(ヤコブの子イスラエル)を選んでおられたので、主御自身が大いなる力をもって、あなた(イスラエル)をエジプトから連れ出された。それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなた(イスラエル)を彼らの地(神がユダヤ民族に与えられた、カナンの住民が住む地)にはいらせ、これ(彼らの父祖アブラハムに与えたカナンの地)を相続地としてあなた(アブラハムの子孫イスラエル)に与えるためであった。」(申命記4:37,38)

 

 神は、イスラエルを選ばれたではありませんか。神は、ユダヤ民族よりも大きく、強い国々を、イスラエルの前から追い払って、先祖たちをカナンの地にはいらせ、相続地として、ユダヤ民族にイスラエル国をお与えになったではありませんか。

 

 ユダヤ人たちは、イスラエルを再興してくれないイエスをキリストとは認めませんでした。イエスは偽キリストです。自分でキリストと証言する偽り者です。ユダヤ人の民衆を騙す男です。

 

 ユダヤ人たちは知りませんでした。ナザレのイエスが、神に遣わされた「神の御子キリスト」であることを。

 神が遣わされたキリストは、政治的指導者ではありません。魂の救い主です。罪の世から救い出し、永遠のいのちを得させて、いのちの根源であられる生けるまことの神のみもとに導く霊的指導者なのです。神の御子イエス・キリストは、天のまことの聖所で仕える神と人との仲介者、とこしえの大祭司なのです。

 

 生けるまことの神から、心が遠く離れたユダヤ人たちは、ナザレのイエスを捕まえて、十字架につけて殺しました。神が遣わされた人の子キリスト(神のひとり子)を嘲り蔑み呪いながら殺したのです。神のはらわたは煮えくり返りました。

 しかし、神の怒りは、十字架上の神の子羊イエスの上に注がれました。木にかけられた者が呪われた者だからです。

 

 神は、罪の生贄の神の子羊を、死から甦らせなさいました。イエスの墓は封印がされており、見張りの番兵がついていました。

 イエスが墓から甦ったのを目撃した番兵たちは、急いで、祭司長たちのもとへ行って報告しました。祭司長たちは、番兵たちに多額のお金を与えて、「イエスの弟子たちがイエスのからだを盗んで行った。イエスは墓から甦ってはいない。」と嘘の証言をするように命じました。

 

 それで、祭司長たちの話を信じるユダヤ人たちは、甦られたイエスを信じることはありませんでした。

 神が遣わされた神の御子キリストを、ユダヤ人たちは信じませんでした。

 

 モーセはイスラエルに命じていました。「神が遣わされるひとりの預言者(キリスト)に聞き従わなければならない。聞き従わない者は、聖なる神の民から断ち滅ぼされる。」

 

 モーセの命令に聞き従わなかったイスラエルに神の怒りが下り、ユダヤ人たちはローマ帝国によって先祖の地から追い出されて諸国に離散し、千八百年以上の間、外国の地で寄留者として生きながらえました。自分たちがユダヤ人であることを忘れた人々も大勢いるでしょう。

 

 一方、極東の島国には、祭司が立って神に仕える国民が造られていました。国の安寧と世界の平和のために神の御前に出て執り成す天皇の座が置かれています。

 

 大和民族は、目に見えない神を恐れ、霊なる神を霊とまことによって礼拝する民です。神の律法はありませんが、彼らの心には神の律法を知っているかのような良心が置かれています。

 

 廃墟となったイスラエルには、神を礼拝する神殿はありませんでした。

 しかし、極東の島々、日本国には、森や山や川やすべてのものに神の気配を感じ、神を恐れ、神を崇める国が造られていました。

 

 生けるまことの神を恐れる国民が住む、神を崇める国です。

 神と民との間に立って執り成す大祭司の天皇がいます。天皇は国民を祝福し、国民は天皇を敬う和の国です。

 

 イスラエルは、いのちの根源であられる生けるまことの神を教える神の御子イエスを信じませんでした。ユダヤ人たちの思いは暗く、霊は死んでいたからです。自分の霊によってイエスの本質を捉えることはできませんでした。

 

 日本国では、自分の霊によって生けるまことの神を捉える人々がいます。目に見えない神を恐れ、正しい生き方をすることを受け継ぐ人たちがいます。

 神は、この日本国から、終わりの闇の時代に立つメシア(ふたりの証人)を起こされるようです。天皇の祈りが、日本国を、神の働かれる国として守って来たのです。天皇の執り成しに守られて、日本人の中には、健やかな魂で神に祈る人々がいるのです。

 

 主は、いつも近くにおられます。日本列島のあらゆるところで、目に見えない神の気配を感じ、いのちの臨在を体験することができます。

 大和民族は、神の律法は持たないですが、いのちの神の正しい掟と定めを持っているかのような国民です。