二千年前、ローマ帝国の圧政に苦しむローマ帝国の属州となっていたイスラエルに来られたユダヤ人の王「キリストの油を注がれたナザレのイエス」を、ユダヤ人たちは信じず嘲り憎しみ呪って、十字架につけて殺しました。
そして、イエスを十字架につけたユダヤ人たちは、ローマ帝国によってイスラエルの地を追われ、外国の地に散らされました。
ホロコーストで流されたユダヤ人たちの犠牲の血によって、背信のユダヤ人たちへの怒りを鎮めた神は、彼らの先祖たちに誓われたとおりに、諸国に散らされたヤコブの子孫ユダヤ人たちをイスラエルの地(ユダヤ人の先祖たちの国イスラエル王国のあった地、しかし、ローマ帝国によってイスラエルの名は消され、パレスチナと名づけられた地)に帰還させておられます。
帰還者たちは、二千年前、神のキリストを十字架につけてののしったユダヤ人たちの子孫です。
神は、アッシリア捕囚のときに散らした十部族のユダヤ人たち、そしてバビロン捕囚のときに散らしたユダヤ人たちも、御自分の民の中にいれておられます。
彼らは、ナザレのイエスを知らないユダヤ人たちの子孫です。イエスが地上に来られた時に、彼らの先祖はイスラエルの地にはいませんでした。
イエスの時代にイスラエルの地にいなかったヤコブの子孫は、二千年以上の時を経た今、自分たちがユダヤ人であることを忘れていることでしょう。
自分たちがユダヤ人であることやイスラエルの地の記憶を残していなくても、彼らのDNAには神への恐れと、生けるまことの神を礼拝する信仰が残っていました。
ユダヤ人たちは、世界各国様々な地域に分散して、それぞれ生けるまことの神を中心に置いた群れを作り、信仰を継承して来たのだと思われます。民俗信仰として継承されているのでしょう。
イエスが復活のからだで天に上られた後に、イエスが言われたとおり、神殿は崩壊されました。神の神殿を失ったユダヤ人たちは、律法を守ることによって神に近づくことを信仰としました。諸国に散らされたユダヤ人たちは、安息日を守ること、律法を子どもたちに教え継承すること、ユダヤの祭りやしきたりを守ることで、神の民としてのアイデンティティを保って来ました。彼らの心には、エルサレムがありました。
エルサレムも、イスラエルの記憶も、ユダヤ人であることも忘れた古い離散の民は、それぞれの地で、神を敬い、礼拝することを自分たちの群れの存続理由としました。彼らは、神がユダヤ民族に与えられた「神の祭司の国民」としての約束だけは忘れなかったのです。
それぞれの地で、目の前に神を置いて神にへりくだり忠実に神に仕えて、神を礼拝し、祭儀を子々孫々に伝承して来ました。
その一つの場所に日本列島があったと思われます。
日本列島は特別でした。
先住民の縄文人たちは、神の知識を知らないのに、自然の中に満ち満ちた目に見えない霊なるものを、目に見るようにして恐れ敬っていました。神概念のない彼らには、いのちという概念があったのです。
ユダヤ人たちが渡来して来ると、縄文人たちは、自分たちの霊魂で、ユダヤ人たちのうちにある神を敬う信仰を捉えました。
ユダヤ人たちを通して、縄文人は、「神」を知ったのです。ユダヤ人の神概念と、縄文人のいのちを敬う信仰が一つとなって、神を「○○命」ミコトと名づけました。
すべての物質、すべての現象、人を取り巻くすべてのものに、いのちの主を見ていました。律法の下にあるユダヤ人たちは、律法がない異邦人の縄文人が、神の律法を守っているかのような、争いのない和合した暮らしをしていることに驚いたことでしょう。彼らには愛があったのです。ユダヤ人たちは神の民イスラエルの中でも味わうことのなかった深い安らぎを得たと思われます。
霊とまことによって目に見えない神々を拝む彼らの純真な信仰は、律法の民ユダヤ人たちの信仰に影響を与えたのではないかと思います。律法よりも優れた、生けるまことの神に仕える、生きた信仰を得たのでしょう。彼らは、神殿と律法の信仰から、先住民たちの純真な信仰に影響されて、父祖アブラハムの生きた信仰を取り戻したのです。
日本列島では、ユダヤ人たちに神の権威を認めた先住民が、ユダヤ人たちを神の民として迎え入れ、彼らの祭儀を敬ったことでしょう。平和な縄文人は、ユダヤ人たちが指揮を執って神に仕える民を日本列島に築き上げることに、喜んで従ったのではないかと思います。
イスラエル王国の国民であったユダヤ人たちは、統一国家を知らなかった人々に神の知恵と知識を与えて、国造りをしたのではないでしょうか。
ほかの国々に離散したユダヤ人の群れは、辿り着いた国々の一部の地域にひそやかに暮らしたことでしょう。ほかの国々では争いがあり、あとから来た少数民族のユダヤ人たちはよそ者だったでしょう。
しかし、日本列島では、あとから来たユダヤ人たちが中心となって国造りがなされたのでしょう。
神の祭司の国民として召されているユダヤ人たちがつくる国の中心には、天地万物を造られた全能の神がおられます。祭儀が重んじられます。
ある神社に貼ってあった神道の名言です。
「神は人の敬によりて威を増し 人は神の徳によりて運を添ふ」「御成敗式目」
「いかなる神も人間の崇敬をうけてこそ、その御威光を輝かすのであり、御神意を高めるのは人の敬の力である。その人が人としての運、人としての生命を与えられるのは、神の徳によってであるという意味です。神道の立場での神と人との密接な関係が的確に述べられている言葉です。」と説明がされていました。
目には見えないけれども人に生命をお与えになる、生きた神を、精神的霊的に、古来の日本人は知っていたのです。
渡来して来たユダヤ人たちは、日本列島において、確かに神の民を育てたのです。日本列島に渡来して来たユダヤ人たちは、極東の島国に、信仰の国を造ったのでした。
祖国イスラエルは争いが絶えません。また、王も民も堕落して、神に背く者たちによって腐敗しています。とうとう、ユダヤ人たちは国を失い、イスラエルの地から追放される結果となったではありませんか。
日本列島に渡来したユダヤ人たちは、聖書を土台とする新しい国造りを夢見てアメリカ大陸に渡ったピューリタンたちのようです。
アメリカは、異邦人のキリスト者たちの信仰によって国造りがなされました。
日本国は、ユダヤ人たちの信仰によって国造りがなされました。そして、日本国は、信仰の国、祭司のいる国となったのです。
神殿が崩壊され、ユダヤ人たちが追い払われて、ユダヤ人たちの国イスラエルが廃墟となっている間も、日本列島では祭司が神に仕えていました。世界の平和の為に祈られていたのです。
「背信の子らよ。帰れ。―主の御告げ。―わたし(主)が、あなたがたの夫になるからだ。わたしはあなたがたを、町からひとり、氏族からふたり選び取り、シオンに連れて行こう。
また、あなたがた(ユダヤ人)に、わたしの心にかなった牧者たち(反キリストが覇権を握る世界で、三年半の間預言する「ふたりの証人」)を与える。彼らは(主の御霊の)知識と分別をもってあなたがたを育てよう。」(エレミヤ3:14,15)
氏族からふたりとは、神が油注いで任命しているふたつの氏族の子孫のことでしょう。
神は、ユダ族のダビデに「王の油」を注ぎ、ダビデの子に特別な使命をお与えになっておられます。
また、神は、レビ族のアロンに「大祭司の油」を注ぎ、アロンの子に特別な使命をお与えになっておられます。
町からひとりとは、神が油注ぎをしているのではないけれども、神が特別な働きを与えている者でしょう。ユダヤ民族十二部族の長子ヨセフ族の人なのでしょうか。
ユダの総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアと預言者ゼカリヤの霊の人たちが、終わりの時代に、日本列島から起こります。
今なお、神がイスラエルに遣わされたキリストを信じることができず、不信仰の罪の中にあるイスラエルのユダヤ人たちのところへ、この三人を遣わし、神はユダヤ人たちの不信仰を取り除かれるのでしょう。
この三人とは、日本列島から起こる「イスラエルのメシア」と「アロンのメシア」と火のごとき女の「聖霊の器」です。彼らによって、「すべてのユダヤ人は救われる。」と仰せられる主のみことばは成就するのでしょう。
彼らは、目に見えない神々に守られた日本列島で育てられた精神的霊的な日本人であり、また、神道の信仰を土台に仏教の教えとの融合の大和魂を持つ、神に召された三人のユダヤ人の血統の人たちでしょう。
彼らは、目に見えないけれども心に光を与える霊なる存在への信仰を持ち、生けるまことの神とすぐれた不変の愛を知る人たちです。
日本列島から起こる三人の日本人(血統は古代ユダヤ)が、聖書のみことばを成就するのでしょう。