ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ローマ書十六章 知恵に富む唯一の神

 

 「兄弟たち。私(パウロ)はあなたがたにお願いします。あなたがたの学んだ(キリストの)教えにそむいて、(教会に)分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。(彼らはもともと仲間ではなかったのです)

 そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼ら(毒麦)は、なめらかなことば、へつらいのことば(肉を喜ばす、人間の思いに心地よいことば)をもって純朴な人たち(心が素直な人たち)の心を騙しているのです。

 あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私(パウロ)は(信仰に従順な)あなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。(あなたがたは従順ですが、霊的な戦いを学んでいない純朴な者たちです。それゆえ、霊を見分けて退けることを学んでいない、その純朴なところが心配です。人を疑うことなく、偽りの親切な言葉や下手に出る腰の低い人の言葉をそのまま信じてしまう弱さがあります。エバは純朴なゆえに、蛇の狡猾な言葉に騙されました。キリストの御名により永遠のいのちの希望を持つあなたがたは、騙されないようにしなさい。エバが蛇の言葉に騙されてエデンの園を追放され「死」を受けたように、もともとキリストの仲間ではない偽りの信者たちの言葉に騙されて、「とこしえのイスラエル王国(エデンの園の回復の千年王国)」の恵みを失うことのないようにしてください。霊を見分けることを学んでください。そして、神に受け入れられる善には敏感で、神から出ていない悪(神に逆らう霊)には鈍感で反応せず右から左に聞き流す者であってほしいと、願っています)

 (人を思いやることの土台に神を思うことを置くならば、すなわち、神御自身を第一にするならば、あなたがたとともにいてくださる)平和の神は、(純朴なあなたがたを、心に欺きのある悪い者から守り)すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。(あなたがた自身の意識しないところで、悪魔の策略は踏み砕かれて、悪魔が偽りの信者たちを用いて働いてもあなたがたを騙すことはできない、という結果を生むでしょう)

 どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。(私たちの主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりがあなたがたの霊とともにありますように)」(ローマ16:17-20)

 

 パウロの祈り

 「私(パウロ)の福音(神のさばき、すなわち、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことを裁かれる日があること)とイエス・キリストの(福音の)宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や(真理、すなわち、神の奥義は)現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くために(預言の書を通して、永遠の神の命令〈神が遣わす神の御子キリストに聞き従いなさい〉に従い、信仰の従順に至らせるために、すなわち、キリストを信じる者がキリストの御霊【真理の御霊】を受けて、新しく創造される神の子どもに造り変えられるために)あらゆる国の人々に知られた奥義の啓示(聖書のみことばの成就として来られた神の御子キリスト・イエスの、十字架の罪の贖いの血による赦しと、死と悪魔に勝利する聖霊【真理の御霊、すなわち、キリストの御霊】を、キリストを信じる人々に分け与え聖霊により永遠のいのちを得させる、という神の約束が明らかにされたこと)によって、あなたがたを(信仰に)堅く立たせることができる方、知恵に富む唯一の神(父なる神、すなわち、天地万物を造られた生けるまことの神、主)に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。アーメン。」(ローマ16:25-27)

 

 神の奥義とは、私たちの中におられるキリストであり、栄光の望み(永遠のいのち)のことです。

 これは、神の選びの民ユダヤ民族の間でも多くの世代にわたって隠されていて、終わりの時代に、キリストを信じる聖徒たちに現わされた奥義です。

 この奥義は、啓示によってイエスの弟子たちに知らされました。

 

 「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた(ユダヤ人とともに、神の国の)共同の相続者となり、ともに(キリストを頭とする)一つのからだ(死から甦られたキリストの復活のからだ)に連なり、ともに(永遠のいのちと天の御国の)約束に預かる者となるということです。」(エペソ3:6)

 

 神の御救いの奥義とは、偉大な神の奥義です。

 「キリスト(魂の救い主、救世主)は肉において現われ(人間と同じように肉体をもって来られた神のひとり子であり)、霊において義と宣言され(罪を犯したことのない全き人である神の子羊イエスの血は、神に、世の罪を取り除く罪の贖いの血と宣言され)、御使いたちに見られ(神は「神の御使いはみな、彼〈神の子羊イエス〉を拝め。」と命じられ)、諸国民の間(あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の人々)に宣べ伝えられ、世界中で信じられ(世界中のキリストを信じる人々によって、キリストの再臨が待ち望まれ)、栄光のうちに上げられた(神の御座の右に着座しておられる神の子羊イエス・キリスト)。」(テモテ第一3:16)

 

 神は真実な方です。

 私たちは、私たちが信じたみことばによって、神に正しいとされ、神が世を裁かれるときには(信仰の)勝利を得るのです。

 

 「なんじはそのことば(神にゆだねられた聖書のことば)にて義とせられ、裁かれるとき勝ちを得給わんためなり。(最後の裁きのときには、信仰の勝利者として永遠のいのちを得させられるのです)」(文語体聖書ローマ3:4)

 

 神の啓示は御霊によるものです。

 御霊に教えられたことばは、人の知恵に教えられたことばとは異なります。人の思いには浮かばない新しい創造と「永遠のいのち」を得させることばなのです。

 

 「(人の)目がまだ見ず、耳が聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、御自分を愛する者(神のひとり子イエス・キリストを愛する者は、イエス・キリストを遣わされた父なる神をも愛する者)のために備えられた。」(コリント第一2:9)

 

 それは、神の子羊イエス・キリストの血による罪の贖いと、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる真理の御霊と、聖霊による永遠のいのちです。

 

 だれが、一度死んでも死から甦って、新しいからだと永遠のいのちが得られる、という「完全な救い」のシナリオを考えつくことができたでしょうか。

 

 知恵に富む唯一の神に、(私たちの魂の唯一の救い主)イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。