「アブラハムにはふたりの子があって、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生まれた、と(聖書に)書かれています。(アブラハムには、神の契約のしるしである「割礼」を受ける以前のアブラムであった頃に、妻サラの女奴隷ハガルに産ませた男の子「イシュマエル」がいます。また、神に「高貴な父」という意味のアブラハムという名前をいただいた後に、アブラハムの家の男子みなが割礼を受けると、神は、閉経した妻サラによってアブラハムにひとりの男の子を与える、と告げられました。神のことばどおりに、妻サラは男の子「イサク」を産みました)
女奴隷の子は肉によって生まれ、自由の女の子は(神の)約束によって生まれたのです。(奴隷の子は、跡取りを切望するアブラムの欲求によって生まれました。しかし、神は「奴隷の子がアブラハムの跡を継いではならない。アブラハムの妻サラにひとりの男の子を与えよう。」と仰せられました。アブラハムが神から受けた契約は、神の契約です。神御自身の御計画によって実現するものなのです)
このことには比喩があります。この女たち(女奴隷ハガルと妻サラのふたりの女)は二つの契約です。一つはシナイ山から出ており、(律法の)奴隷となる子を産みます。その女はハガルです。(ハガルは、律法の奴隷となるイスラエルのひな型です)
このハガルは、アラビヤにあるシナイ山(モーセの十戒)のことで、今のエルサレムに当たります。なぜなら、彼女(神に律法を与えられたイスラエル)はその子どもたちとともに(律法の)奴隷だからです。(女奴隷〈シナイ山でモーセの十戒を受けたイスラエル〉の子どももまた〈律法の〉奴隷です)
しかし、上にあるエルサレム(キリストが再臨し、千年王国が始まると、神のみもとを出て、聖なる都、新しいエルサレムが天から下ってきます)は自由であり(律法の違反の呪いから解放されており)、(キリストの血で贖われ、キリストの御霊によって生まれて、御霊によって新しい創造を受ける)私たちの母です。(私たちは女から生まれた肉体の子どもではなく、信仰によりキリストの御霊によって生まれた御霊の子どもです)」(ガラテヤ4:22-26)
神は、ハガルとサラを、地上に属する滅びゆく肉体の「律法の奴隷の神の民イスラエル」と、永遠のいのちを得て天の御国にはいるイスラエル、すなわち、キリストの血によって律法から解放され、御霊によって新しい創造を受けた「自由の御霊の神の民とこしえのイスラエル」のひな型としておられます。
奴隷の神の民は、人間の教えを守りながら、神のことばの奴隷となります。彼らに自由はありません。彼らは肉体に繋がれ悪魔の縄目に繋がれたままです。
自由の神の民は、御霊に教えられながら、神の子どもに造り変えられます。彼らは肉体のからだが贖われて御霊のからだを着せられ、永遠のいのちを得させられます。
聖書は神のことばです。神の霊によって書かれています。人間は神のことばを守ることができません。なぜなら、肉は御霊に従うことができないからです。
肉は肉のことば(悪魔の言葉)を好みます。御霊は神のことばに忠実です。
パウロは言います。
「私(パウロ)は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つ(肉と御霊)は互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。自分は善をしたいと願っているのですが、その自分に悪が宿っているという原理を見い出します。からだの中に異なった律法があるのです。それが自分の心の律法に対して戦いを挑み、自分を、からだの中にある罪の律法(肉の欲求)のとりこにしているのを見い出します)
しかし、御霊に導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。(御霊に導かれる者は、律法の奴隷ではありません。ハガルの子孫ではありません。永遠のいのちを得させられる神の子どもです)
「(御霊によって生まれた)あなたがたはイサクのように約束の子どもです。(神の御計画によって生まれた神の子どもです)
しかし、かつて肉によって生まれた者(イシュマエル)が、御霊によって(神の約束によって)生まれた者(イサク)を迫害したように、今もそのとおりです。
しかし、聖書は何と言っていますか。『奴隷の女とその子どもを(彼らの父祖アブラハムの相続地、約束の地から)追い出せ。奴隷の女の子ども(イシュマエル、すなわち、肉の子ども)は決して自由の女の子ども(イサク、すなわち、御霊の子ども)とともに相続人になってはならない。(神が、信仰の父アブラハムに用意しておられるのは、永遠の都です。律法の奴隷たちの都「地上のエルサレム」ではなく、アブラハムが契約を結んだ「生けるまことの神」を霊とまことによって礼拝する御霊の子どもたちが相続する「とこしえの王イエス・キリストの王座のある新しいエルサレム」です。永遠のいのちを得させる「いのちの木」のある都です)
こういうわけで、(主イエス・キリストにある)兄弟たちよ。(主キリストにある)私たちは奴隷の女の子ども(律法の違反の呪いに怯える肉のイスラエル)ではなく、自由の女の子ども(御霊によって、神を「アバ、父」と呼ぶ神の子どもに造り変えられた「新しいとこしえのイスラエル」です。」(ガラテヤ4:28-31)
アブラハムの契約を受け継いだイスラエル、すなわち、アブラハムの神、イサクの神、イスラエルの神と契約を結び、神の律法を与えられたイスラエル。
かつて、神はアブラハムに仰せられました。
「あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなた(アブラハム)はその子をイサクと名づけなさい。わたし(神)は彼(イサク)とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫(ユダヤ民族、イスラエル)のために永遠の契約とする。
イシュマエルについては、あなたの言うこと(アブラハムの願い)を聞き入れた。確かに、わたし(神)は彼(イシュマエル)を祝福し、彼の子孫(アラブ民族)を増やし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。私は彼を大いなる国民としよう。
しかしわたしは、来年の今ごろサラがあなたに産むイサク(ユダヤ民族)と、わたしの契約を立てる。」(創世記17:19-21)
アブラハムは、妻サラのひとり子イサクを跡取りとし、女奴隷ハガルとその子イシュマエルとを送り出しました。
「アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた。
しかしアブラハムのそばめたちの子らには、アブラハムは贈り物を与え、彼(アブラハム)の生存中に、彼らを東のほう、東方の国にやって、自分の子(妻サラのひとり子)イサクから遠ざけた。」(創世記25:5,6)
しかし、現状はどうでしょう。イシュマエルの子孫がアブラハムの相続地に国々を設けています。アブラハムの相続人であるイサク(ユダヤ民族)は、日本の四国ほどの面積の部分の土地しか所有できていないのです。
神は、地上のカナンの地を相続することをイシュマエルの子孫(アラブ民族)に許しておられます。
神は、約束の子イサク(ユダヤ民族)には、もっとすぐれた相続地を用意しておられるからです。
終わりの時代に中東が世界の勝者となり、その中(おそらく、トルコ)から反キリストが起こるでしょう。
すると、反キリストはカナン全土を反キリストの国とするでしょう。
律法の下にいるユダヤ人、ユダヤ教という宗教に、神の国を建てることはできません。宗教はこの世のものです。神は、この世のものを土台に置くことはされません。
神は、イスラエルに遣わされた御自分の御子イエス・キリストによって、とこしえの神の国を造られます。
キリストの罪の贖いの血と、死から甦られたキリストの御霊によって、死から甦り、永遠に生きる「新しい人」を創造されます。
キリストは、死から甦り御霊によって生まれた「新しい人の子」の初穂です。
神は、キリストを信じる者に御霊を与え、御霊によってキリストに似た「新しい人」に造り変えて、いのちの道を歩ませます。
その信仰の勝利者たちに、「とこしえのイスラエル王国」をお与えになるのです。
「聖書」の文字に仕える宗教のユダヤ教やキリスト教には、見ることのできない、新しい創造です。
永遠のいのちを得る神の子どもたちは、キリストのお与えになる御霊によって生まれ、御霊の生きた信仰によって、復活のキリストのからだとされるのです。
カナン全土を支配し、悪魔のものとした反キリストと偽預言者は、天から来られるキリストと天の軍勢によって滅ぼされます。そして、反キリストの支配した中東の十の国(カナン全土)の国民は滅ぼされます。
そして、新しいエルサレムが天から下って来て、千年王国が始まります。
キリストの御霊によって生まれた神の子どもたちが、キリストとともに世界を支配します。カナン全土は、自由の女の子ども(宗教ではない御霊の教会、すなわち、キリストにつく、アブラハムの血肉の子孫と、信仰の子孫)が相続します。
終わりの時に、神は、すべてのユダヤ人を救われます。
「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」
宗教の奴隷は、都に入ることが許されません。都の中にあるいのちの木の実を食べることが許されません。
神がアブラハムにお与えになった相続地は、神と和解し、キリストの御霊によって新しい創造を受けた神の子どもたちのものです。神は、カナン全土をユダヤ民族十二部族に等しく分け与えられて、アブラハムに約束したことは成就します。