「初めに、神が天と地を創造した。
地は形がなく、何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」(創世記1:1,2)
聖書の創世記には、私たちの住む地球の成り立ち、人類の成り立ち、神のことばである「聖書」をゆだねるために造られた神の民の成り立ちが記録されています。
もし、聖書を与えられたユダヤ民族が存在しなければ、人類は、どこから来てどこへ行くのか、なぜ人は死ぬのか、また、何よりも「全能の神」の存在を知ることはなかったことでしょう。
聖書をユダヤ民族にゆだねられた神は、天地万物を造られた創造主、全知全能の神、主です。
「主(しゅ)」とは、主人であり、かしらです。目に見える世界の中心におられ、世界を所有し支配する、唯一の権威者であり、みずから存在する方です。これは、肉体を持つ人間が捉える解釈です。
聖書の主は、目に見えるものだけではなく、目に見えないもの、天にあるものも地にあるものも地の下にあるものも、すべてのものの神であられる「主」です。
地球に住む人類も生き物、鳥や魚も、植物や海も陸も山も、天体も宇宙人も、肉の目には見えない悪魔やもろもろの霊も、おひとりの神によって造られたということです。
すべてのものの神、すべてのものの創造主は、天体が造られる遥か昔からおられた方です。
神である主を「創造主」と呼ぶならば、天地万物は神によって造られた「被造物」であるということになります。
日本では、八百万の神(やおよろずのかみ)と言って、多くの神々の名を呼びます。
宇宙神と呼ばれる「国常立神(くにとこたちのかみ)」は、すべての神々の頂点に立つ神のようです。
その国常立神が御祭神の神社の宮司が、「神はおひとりなのです。」と言われた時、私は本当に嬉しかったです。心の中で「アーメン。(その通りです)」と言いました。
八百万の神を崇める日本人は、一神教ではないと思われていますが、本当はおひとりの神を見ているのだ、と私も感じています。
聖書をユダヤ民族にゆだねられた神は、万物の存在の目的であり、また、原因でもある方です。神が造られたので、すべてのものは存在しているのです。
地球が造られる前の世界は、闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていたとあります。
地の形はなくて、何もなかった。闇と大いなる水と神の霊がありました。
闇は、天から追放された堕天使たち、すなわち、悪魔と悪霊どもの世界です。そこには大いなる水があったようです。そして、その大いなる水の上を神の霊が動いていました。神の霊とは、聖霊のことです。聖霊がその大いなる水に生命を与えるために動いていたのではないかと思います。
「そのとき、神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。」(創世記1:3)
神には暗いところが一つもありません。闇はないのです。全き光です。しかし、天から追放された堕天使たちの所には光がありません。漆黒の闇です。
宇宙の映像を思い浮かべると、地球の外の世界は炭のように真っ黒で恐ろしいほどの暗闇であることが理解できます。
その漆黒の世界に、神は光を生じさせられました。神が光を生じさせられる以前の宇宙はどんなに暗かったことでしょう。その世界では肉体の人間は、空間を知ることができないことでしょう。自分がどこにいるのか、何者なのか、という思考も働かない、ただの一点のようです。
次に神は、大いなる水を上と下の二つに分けて、その間に大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水とを区別され、その大空を天と名づけられました。
「神は、『天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。』と仰せられた。するとそのようになった。
神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。」(創世記1:9,10)
最初に闇にあった大いなる水は、光の存在によって認識されるものとなり、上の水と下の水とに分けられ、水と水との間に「天」と呼ばれる大空ができました。
神は、天の下の水を一所に集めて、かわいた所(地)を生じさせて、かわいた所を「地」と名づけ、水の集まった所を「海」と名づけられました。
このようにして、水から地ができあがったことが書かれています。
日本神話の国生みでは、イザナギとイザナミの二神が天の沼矛(ぬほこ)を指し降ろしてかきまわし、潮をかき鳴らして引き上げた時に、その矛からしたたり落ちた潮が積もり積もって島(日本列島)になったとあります。こうして、漂っている国はつくり固められたようです。
水から造られたということは、聖書と似てますね。
「天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界(ノアの時代)は、その水により、洪水におおわれて滅びました。(ノアの時代の被造物は、被造物を生み出した源の水によって滅んだのです)」(ペテロ第二3:5,6)
地は水から出たもの、地にあるすべてのものは水によって成ったものである、と神のことばである「聖書」をゆだねられた神の民ユダヤ人のペテロは言います。
水がすべての物の源であり、神は、この水から、神のことばによってすべてのものを造られたようです。神は水を物質の源とされました。
土も水から出たものなのですね。土から造られたという人のからだもまた、水が源なのです。あらゆる物質、物体の源は水なのですね。
神は、水から現われた地に、おのおのその種類にしたがって植物を芽生えさせられました。神は植物を種類にしたがって造られたのです。
神は、天に二つの大きな光る物を造られました。大きいほうの光る物(太陽)には昼を司らせ、小さいほうの光る物(月)には夜を司らせ、星も造られました。
最初に光あれと仰せられたときの光は、啓示の光なのでしょうか。天から追放され漆黒の闇に閉じ込められた堕天使たちの希望のともしびだったのではないかと思います。
天から追放された堕天使たちの全部が悪魔の支配下の悪霊になったわけではありません。私たちが宇宙人と呼ぶ生命体は、悪魔の支配下にはいらなかった堕天使たちなのではないでしょうか。
アダムが造られてから現在までの人類の歴史は短いものです。堕天使が天から追放されてから聖書に書かれている天体が造られるまでの時間は、想像できないほどの悠久の時でしょう。光が現れるまでは漆黒の闇が何万年も何億年もの間支配していたのかも知れません。
神は、水の中にその種類にしたがってすべての生き物を、その種類にしたがって翼のあるすべての鳥を創造されました。
神は、地に、その種類にしたがって生き物、家畜やはうもの、その種類にしたがって野の獣を生じさせられました。家畜は家畜として造られたようです。
「そして神は、『われわれ(父なる神、子なる神、聖霊)に似るように、われわれのかたち(愛の交わりと調和と平和の一致)に、人を造ろう。そして彼ら(人)に、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。
神はまた、彼ら(すべての被造物)を祝福し、このように神は彼ら(人)に仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』
ついで神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。』すると、そのようになった。」(創世記1:26-30)
人類の最初の人が造られました。
水が上と下に分かれ、その間に大空が生じ、下の水から地が生じて地と海に分かれ、地に植物を生じさせられ、また、大空に昼を司る太陽と夜を司る月とを造り、また星を造られました。神は、昼も夜も光に照らされる地球を造られたのです。
水の中のすべての生き物と翼のあるすべての鳥を、その種類にしたがって創造されました。また、地には、その種類にしたがって生き物、家畜やすべてのはうものを造られたのです。
このようにして、私たちの周囲にあるすべて自然のものは、神によって造られました。神の思いつきや道楽によるのではありません。目的をもって、それぞれ種類にしたがって造られたのです。人間の手によって造られたものは一つもありません。進化して増え広がったのではありません。初めから種類にしたがっておのおの造られているのです。
「神は、われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられました。おひとりの神によって造られた宇宙ですが、神は、「われわれ」と仰せられます。全知全能の神は、父なる神と子なる神と聖霊の、三位一体の神です。三つの位格の神格を持たれる御父、御子、聖霊ですが、一つ心、愛と調和の一致のおひとりの神です。
神の霊は水の上を動いていました。神の聖霊は、創造のために働かれました。水の中にいのちを生じさせられたのです。
ヨハネは神のひとり子を、次のように証言しています。
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方(神のことば)によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:1-3)
人の子として、肉体をもって来られた神のひとり子イエス・キリストは、神のことばとして、父のみもとに存在しておられたのです。
御父の意志で御意志で神のことば(御子)が発せられ、聖霊がそのことばの成就のためにみわざをなさいます。神のことばとみわざ、すべておひとりの神のものなのです。
神は、地に生じさせられた草と木の実を人の食物とし、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのものに、食物としてすべての緑の草をお与えになりました。
すべての環境を整えたその最後に、神は、地を従え、神が造られたすべての生き物(被造物)を支配させるために、人を造られたのです。