ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰の勝利を得るために

 

 「天にまします我らの父よ。

 ねがわくは御名をあがめさせたまえ。

 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

 我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

 我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

 我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。

 国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。アーメン。」

 

 この祈りは、父なる神に受け入れられる祈りとして、イエスが弟子たちに教えられた祈りです。

 

 イエスは言われます。

 「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。(施しをするとき、偽善者たちは、人にほめられたくて会堂や通りで施しをします)

 まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報い(人からの賞賛)を受け取っているのです。

 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸を閉めて、隠れた所におられるあなたの父(天の父)に祈りなさい。(あなたは、施しをするときは、施す右の手のしていることが左の手に知られないように、まただれにも気づかれないようにそっと施しなさい)そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父(霊の父)が、あなたに報いてくださいます。

 また、祈るときには、異邦人(神の民ではない人、生けるまことの神を知らない人々)のように同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。(神は、うわべではなく心を見られる方です。祈りをささげる者のうちにある真実な心をご覧になります)

 だから、彼ら(異邦人)のまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」(マタイ6:5-8)

 

 私たちを造られた、天におられる私たちのまことの父よ。

 どうか、地に住む卑しい私たちにも、栄光に輝く永遠に生きておられる神の御名を崇めさせてください。天をも地をもすべてを所有しておられる天の父、神よ。あなたの御住まいである天の御国の御支配を地上にも来たらせて、この世の神々が支配する地上をも、まことの所有者であられる天の神がお治めください。

 神の御心が天を御支配しているように、天の神の御支配をもって地にも平和をお与えください。

 私たちの日常生活に必要な物や食べ物を途絶えさせることなく、今日もお与え下さい。(父なる神の養いによって私たちを養いお守りください)

 私たちに罪を犯す者を、天の支配を待ち望む私たちは神にゆだねます。自分でさばくことはしません。あなたにゆだね、怒りや憎しみや恨みや呪いをあなたの御前に置きます。私たちが憎しみを手放してゆるすように、主よ、私たちの罪を赦してください。

 (神にゆだね神の御心に仕える)私たちを、どうか、試みにあわせず、悪から救い出してください。(悪しき者は私たちに立ち向かって来ます。悪しき者の思い通りにはさせないでください)

 (私たちの待ち望む神の御支配される平和な)国と(とこしえの主権者であられる神の)ちからと(天においても地においても栄光に輝く生けるまことの神の)栄えとは、とこしえに、天の父、あなたのものだからです。アーメン。

 

 この世の君、悪魔はキリストにつく者、神の子らに立ち向かって来ます。

 神に反逆する悪魔は、天の神の御支配を憎み、破壊する者です。

 闇を愛する者たちは、彼(神に敵対する悪魔)に従います。彼らは、悪魔の子らです。

 

 私たちは、この闇の力に苦しめられています。

 

 イエスは、神の御子イエスを憎み、イエス・キリストのことばに耳を傾けることのできないユダヤ人たちに言われました。

 「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父(悪魔)の欲望を成し遂げたいと願っているのです。

 悪魔は初めから人殺しであり、真理(神)に立っていません。彼(悪魔)のうちには真理(神)がないからです。彼(悪魔)が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼(悪魔)は偽り者であり、また偽りの父である(人を造った本当の父ではない)からです。

 しかし、このわたし(神のひとり子イエス・キリスト)は真理(神のことば)を話しているために、あなたがた(偽りの父悪魔に従う悪魔の子ら)はわたし(神から出た神の御子イエス)を信じません。(闇を愛する者、悪魔の言葉を慕い、悪魔のわざを行なう者は、神から出た者を憎み、神のものを信じることができません)」(ヨハネ44-45)

 

 なぜ、神は私たちに試練を許されるのでしょうか。

 試練は、私たちの肉を砕き、また、肉の心を裂いて肉を殺し、御霊によって生まれる新しい人として、天の御国にはいる神の子どもに造り変えておられるからです。

 

 神は、悪者にも役割を与えておられます。神は、義に飢え渇き、義を求める正しい人たちを新しく造り変えるために、悪者たちを使って正しい人たちのうちにある古い人を打ち砕く務めをさせておられます。

 

 神は、ヤコブの子孫ユダヤ人たちの肉を壊して、目に見えない霊なる神に仕える民に備えるために、エジプト人を用いられました。彼らならば、大胆にユダヤ人たちを痛め苦しめることを知っておられたからです。

 そして、ユダヤ人たちの自我を破壊し、アイデンティティを失わせたエジプトの任務が解かれると、神御自身が、情け容赦なくヤコブの子孫を苦しめたエジプトを裁かれました。

 

 「我らを試みに会わせず、悪より救い出したまえ。」と祈ることは、守りの祈りです。試みに会わなくてよいならば、それに越したことはありません。

 この祈りによって、敵である悪魔が敷いた誘惑の道に迷い込むことがないように守られるでしょう。

 

 しかし、神は愛する者を、神の御子イエスにふさわしい者とするために、懲らしめる方でもあります。私たちの父だからです。神は、私たちを子として扱っておられるのです。

 

 「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」(へブル12:6)

 霊の父は、私たちの益のため、私たちを御自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

 

 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(この義の実は、だれも奪うことのできない天の宝です)」(へブル12:11)

 

 聖書には、神は脱出の道を用意しておられることが書かれています。

 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。

 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(コリント第一10:13)

 

 神の許される試練は、耐えられるだけの、一人一人に見合った試練です。滅ぼすためではありません。

 「打って傷つけるのは悪を洗い落とすため。腹の底まで打ちたたけ。(傷つくまでに打てば悪しき所は清くなり、打つむちは、腹の底にまでも達し、腐った根性や邪な考えは叩かれて清まる)」(箴言20:30)

 

 アメリカのフランクリン・ルーズベルト元大統領は言っています。

 「背負う荷物を軽くしてほしいなどと願ってはならない。

 背負えるだけの強い背中にしてほしいと願いなさい。」

 

 試練が来た時には、苦しみの中で、神の御名を呼び求めましょう。そして、耐える力と勝利する力を求めましょう。神は耐える力を着せてくださいます。

 人は打たれると、心が素直になります。幼子のように着飾らない裸の心で神にお会いするのです。大魚の腹の中にいた預言者ヨナを思い出しましょう。

 

 「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった(罪人であった私たちに神のひとり子のいのちを与えて、御子イエスの血によってきよめ、キリストの御霊を与えて天の御国に招き入れてくださる)神御自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで(きよめて)完全にし、堅く立たせ(信仰の根を深くし)、(戦いに)強くし、(神への信頼によって)不動の者としてくださいます。」(ペテロ第一5:10)

 

 「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔(悪魔は私たちの敵であることを承知していなさい)が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを求めて歩き回っています。

 堅く信仰に立って、この悪魔に(私たちの主イエス・キリストの御名によって)立ち向かいなさい。(この悪魔に向かい、信仰に堅く立って、抵抗しなさい)ご承知のように、全世界にいるあなたがたの兄弟たち(主にある兄弟たち)も、同じ苦しみ(霊の戦い)を通って来たのです。(私たちの通る試練は、人の知らない苦しみではありません。聖書の中には、戦いに勝利した聖徒たちのことが書かれています)」(ペテロ第一5:8,9)

 

 「神の御心に従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分の魂をお任せしなさい。(神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、〈それでも〉善を行ない、そして、真実であられる創造者〈父なる神〉に、自分のたましいをゆだねなさい)」(ペテロ第一4:19)