ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

平安

 

 今朝目が覚めると、頭の中に聖歌476の「やすけさは川のごとく」が静かに流れていました。

 

 1 安けさは川のごとく 心満たすとき 

           悲しみは波のごとく わが胸を満たすとき

   すべて安し 御神ともにませば

 2 悪しきもの迫りくとも 試みありとも

   御子イエスの血のいさおし ただ頼むわが身は

   すべて安し 御神ともにませば

 3 見よわが罪は十字架に 釘づけられたり

   この安きこの喜び だれも損ない得じ

   すべて安し 御神ともにませば

 4 よしあめつち崩れさり ラッパの音(ね)とともに

   御子イエス現るるとも などて恐るべしや

   すべて安し 御神ともにませば

 

 安けさ(平安)が川のように心を満たすとき

 悲しみが波のように私の胸を満たすとき

 それでもすべてのことは神の御手の中にあることで私の心には神への信頼があります

 私の心は揺り動かされることなく平安です 御神が共にいてくださるから

 

 悪い者が迫り来るとも、また、試みの中でも

 悪魔を打ち砕いた御子イエスの血の力を頼みとし、ただ御子の勝利の血の栄光を瞳に映すわが身は

 すべてのことは神の御手の中にあって心は安らかです 御神が共にいてくださるから

 

 見なさい 主イエスの十字架に私の罪は釘づけられている 罪が赦された私のこの喜びをだれも害することも傷つけることもできない

 すべて安らかです 神は私を子として受け入れ御神が共にいてくださるのですから

 

 もし天地が崩れ去り ラッパのねとともに御子イエスが世に再臨されたとしても どうして恐れおののくことがありましょう

 神と和解する私には咎めるものはありません

 すべて神の愛と一つとなるのです 御神が共におられるのだから

 

 預言者サムエルは、神に命じられて、エッサイの子ダビデに、油を注ぎました。

 神の民イスラエルの君主の油です。

 

 神と心がひとつではない、ベニヤミン族の油注がれたサウル王は神に退けられました。主のことばを退け神の命令に聞き従わないサウルは、神の民イスラエルを導くのに、ふさわしい王ではありませんでした。

 神は、幼子のように神に従順な信仰のユダ族のダビデに、サウル王の王位を与えられたのです。

 

 神の霊が去ったサウル王は、ダビデに殺意を燃やし、ダビデの命を狙いました。

 ダビデは、避難しました。

 ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行き、食糧と剣(ダビデが打ち負かしたペリシテ人ゴリアテの剣)をもらい受けました。

 

 そこには、エドム人(ユダヤ民族の父祖ヤコブの双子の兄エサウの子孫)ドエグがいました。ドエグは、サウル王に、祭司アヒメレクがダビデのために主に伺って食糧を与え、ペリシテ人ゴリアテの剣も与えたことを知らせました。

 

 そこで、サウル王は人をやって、祭司アヒトブの子アヒメレクと、彼の父の家の者全部、すなわち、ノブにいる祭司たちを呼び寄せたので、彼らはみな、サウル王のところに来ました。

 サウル王は、アヒメレクとアヒメレクの父アヒトブの家の者全部を殺すように、サウル王のそばに立っていた近衛兵たちに言いました。

 「近寄って、主の祭司たちを殺せ。」しかし王の家来たちは、主の祭司たちに手を出して撃ちかかろうとはしませんでした。

 

 それでサウル王はドエグに「おまえが近寄って祭司たちに撃ちかかれ。」と言うと、エドム人ドエグが近寄って、祭司たちに撃ちかかり、八十五人を殺しました。彼らは、それぞれ亜麻布のエポデを着ていた祭司でした。

 神に退けられたサウル王は、神を恐れることなく、神の祭司たちを撃ち殺しました。

 

 ところが、アヒトブの子アヒメレクの息子のエブヤタルという名の人が、ひとりのがれてダビデのところに逃げて来ました。ダビデは一人ではありません。小さな群れでした。

 

 「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、ダビデのところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。こうして、約四百人の者が彼(ダビデ)とともにいるようになった。」(サムエル第一22:2)

 

 「(ドエグの手をのがれて来た)エブヤタルはダビデに、サウル王が主の祭司たちを虐殺したことを告げた。

 ダビデはエブヤタルに言った。

 『私(ダビデ)はあの日、エドム人ドエグがあそこ(アヒメレクのところ)にいたので、あれ(ドエグ)がきっとサウルに知らせると思っていた。私(ダビデ)が、あなた(エブヤタル)の父(アヒメレク)の家の者全部(祭司たち)の死を引き起こしたのだ。

 私(ダビデ)といっしょにいなさい。恐れることはない。私(ダビデ)のいのちを狙う者(サウル王)は、あなたのいのちを狙う。しかし私といっしょにいれば、あなたは安全だ。」(サムエル第一22:21-23)

 

 ダビデは何と言ったでしょう。

 「私のいのちを狙う者は、あなたの命を狙う。しかし私(ダビデ)といっしょにいれば、あなたは安全だ。」

 

 サウル王はダビデの敵でした。ダビデのいのちを狙う者です。

 

 悪魔の敵は、神のひとり子です。

 神のひとり子は、人の子となって、イスラエルに来られました。

 「人の子」となられた神のひとり子(神の子羊イエス)は、十字架につけられて、罪の贖いの血を流されました。神の子羊イエスの血は、世の罪を取り除く聖なる贖いの血です。

 

 神の御子イエス・キリストを信じ、神の子羊イエスの血を受けて罪を悔改める者は、神に罪が赦されて義とされます。

 神の御子キリスト・イエスの血によって、私たちは神と和解したのです。

 

 神と和解する者は、キリストの御霊を受けて天の御国にはいる神の子どもに造り変えられます。

 

 悪魔は、神に反逆する者、神のひとり子を妬み、神の御子に敵対する者です。

 悪魔は、神の子どもに造り変えられる者をも憎みます。悪魔の敵である神のひとり子のものである神の子どもたちを憎むのです。

 

 神の御子イエスのいのちを狙って十字架につけた悪魔は、御霊を受けて神の子どもとされる者のいのちも狙います。神の子どもたちの口にある神への賛美と神の御子イエス・キリストの御名を憎んでいるからです。

 

 神の御子イエスはいわれます。

 「わたしとともにいなさい。恐れることはない。わたし(イエス・キリスト)のいのちを狙う者(悪魔と悪霊ども)は、あなたのいのちを狙う。 

 しかし、わたし(主イエス・キリスト)といっしょにいれば、あなたは安全だ。」

 

 「平安」というテーマで開催された絵画のコンテストがありました。

 応募者は、静かな湖畔や穏やかな絵柄の絵画を持ち込みます。その中で、異質な一枚の絵がありました。

 大嵐の絵です。木が倒れんばかりに強風にさらされています。恐ろしくて暗い絵です。どこに平安があるのでしょう。心はざわめき希望が見えません。

 

 審査員は、その絵の作者に言いました。「あなたはテーマが平安であることを知っていますか。」

 その人は穏やかに答えました。

 「はい。この大嵐の中にあって強風にあおられている木のこの部分を御覧ください。」

 その人が指さしたのは、木の幹にある小さな穴でした。その穴の中には、親鳥の翼に覆われているひなたちがいました。

 

 「このひなは大嵐の中にあっても、親鳥の翼の下に守られています。ここに平安があるのです。」

 

 審査員たちは驚きました。これこそが平安の絵だと思ったのです。

 

 「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。(神の御子は私たちを生かすために、ご自分のいのちを与えてくださいました)

 人の子ら(キリストの御霊によって新しい創造を受ける新しい人)は御翼の陰に身を避けます。」(詩篇36:7)

 

 私たち一人ひとりとともにおられる神は、私たちを御自分の瞳のように見守り、御翼の陰にかくまってくださいます。

 

 「私の魂は、あなた(神)にすがり、あなたの右の手は、私を支えてくださいます。」(詩篇63:8)

 

 私たちは、私たちを愛して死んでくださった方(主キリスト)のその御翼の下に避け所を求めます。

 キリストの御霊が私たち一人ひとりとともにいてくださいます。