神時間の六日間で、神は天地万物を造られました。
「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(ペテロ第二3:8)
ユダヤでは、西暦のほかに、ユダヤ暦というものがあります。
西暦2025年は、ユダヤ暦5786年に当たるそうです。ユダヤ暦はアダム誕生からの年数だそうです。
ユダヤ暦では、紀元前3761年が天地創造の年とされているようです。
ある正統派のラビ(ユダヤ教の教師)の話では、この世界は約6000年続き、メシアはその前に現れるとユダヤ教では信じられている、とのことです。
以前何かの文面で見たのですが、何かの要因でユダヤ暦に200年をプラスすると考える人もいるとのことでした。今年5786年に200年をプラスすると、5986年で、6000年まで14年ということになります。
単純計算して、この世界が6000年として、後に現れる千年王国、すなわち、反キリストが台頭して世界の主権を握り、反キリストがイスラエルに立つふたりの証人を殺した後、世界が悪魔の完全な支配下にはいって三年半が満ちると、神が隠されていた生き残りのユダヤ教徒たちが神の目隠しが取り除かれて荒野に反キリストの国民に見いだされます。すると、三年半の荒野生活で霊の目が開かれて、二千年前十字架につけたナザレのイエスが神の御子キリストであったことを悟り、激しい悔改めとともに新しい人に造り変えられ主キリストの民として整えられた残りのユダヤ人たちは、「主よ。来てください。」と天に向かってキリストを呼び求めます。悪魔は、世界中の王たちをイスラエルのメギド山(ハルマゲドン)に集めて、天からユダヤ人たちを救うために来られるキリストに戦いを挑みます。天からは、万軍の主(神の子羊イエス・キリスト)と天の軍勢が来て応戦し、キリストは聖徒たちを苦しめた反キリストと偽預言者のふたりを生きたまま、火の池に投げ込みます。また、反キリストの国(中東の十の国)を滅ぼし、その国民(十の国の国民)を絶滅します。こうしてハルマゲドンの戦いは、キリストと天の軍勢が勝利を取ります。地上では多くの死体が片づけられます。こうして、世がきよまると、キリストは再臨され、オリーブ山に立たれます。すると、ユダヤ人やキリスト者たちが墓から甦り、キリストが治められる新しい世界が始まるのです。永遠に生きられる復活のキリストにふさわしい霊的な新しいエルサレムが天から下って来て、聖書に預言されていた千年王国の時が始まります。この新しい都には、いのちの木があります。この千年王国の1000年をプラスすると、ちょうど7000年になります。
この7000年が満ちると、私たちが肉眼で見ている物体の天地万物はあとかたもなくなります。
「私(ヨハネ)は、大きな白い御座(裁きの座)と、そこに着座しておられる方(創造主であられる全能の神、父なる神と神の子羊イエス・キリスト)を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じて裁かれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。(第一の死は肉体の死、第二の死は霊と魂の死です。永遠の火の池は地獄であり、ここに入った者は二度とそこから出ることはできません。そこは、悪魔や悪霊ども、また、反キリストや偽預言者もいるところで、永遠に昼も夜も苦しみを受けます。最後の裁きの判決は、正義の神によって正しく裁かれます)
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:11-15)
神時間の六日間で、天と地とそのすべての万象を完成された主は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられました。
「すなわち、(神時間)第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。
神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。」(創世記2:2,3)
神は、その第七日目の祝福を宣言し、この日が聖であることを宣言されました。
私は、千年王国の完成をもって、あるいは、白い御座の最後の裁きをもって、神時間の第七日目が終了すると考えています。
人の世界は、神時間の第七日目であり、神に被造物の管理を任された人が被造物を支配するときであるように思います。
「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。」(創世記2:15)
土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造られた創造主であられる神は、人のところに連れて来られ、どんな名を人がつけるかをご覧になられました。
人が、生き物につける名は、みな、それが、その名となりました。
被造物を造られたのは、神である主。
被造物に名をつけたのは、被造物の管理者である人でした。
神が造られた被造物は、人によって名がつけられ、その名をもって呼ばれ、人との関係が築かれました。
ほかの被造物と同じように土から造られた人は、御父、御子、御霊の三位一体の神の交わりの中にあって、神のことばとともにありました。
神のいのちの息を吹き込まれた人は、被造物の管理者として、エデンの園を耕し、生き物の食糧を管理し、また、被造物の名もつけました。
神がご覧になると、人の助け手を見つけることができませんでした。神は、人に深い眠りを下されて、人が眠っている間に、彼のあばら骨を一つ取って、そのところの肉をふさがれました。
「こうして神である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。」(創世記2:22)
神は、人の助け手として、もうひとりの人を造られました。その人は、土から造られたアダムのあばら骨から造られたエバです。
神は、アダムからエバを造り、もともとひとりであった人を二つに分け、ふたりに分けた男と女を一体のものとして、人を完成されました。神は、人を男と女に造り、夫と妻のふたりは一体となって、互いを助け合い支え合い、充足する人として完成されました。
神は、第七日目を祝福し、安息されました。
この(神時間)第七日目は、被造物の管理者である人が働く時です。人の働く時代である世に、生けるまことの神に仕える神の民イスラエルを造られました。
神は、イスラエルにお与えになった十戒に、安息日を命じておられます。
「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。―あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。―
それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト20:8-11)
「われわれ(御父、御子、御霊の三位一体の神)に似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた主は、被造物の管理者である人(イスラエル)にも、神のようであることを要求されました。
「主はモーセに告げて(神の契約の民、聖書をゆだねた神の民イスラエルに)仰せられた。
『あなた(モーセ)はイスラエル人に告げて言え。
あなたがた(イスラエル)は、必ずわたし(主)の安息を守らなければならない。これは、代々にわたり、わたしとなたがたとの間のしるし、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、あなたがたが知るためのものなのである。
これは、あなたがたにとって聖なるものであるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず殺されなければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。
六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
イスラエル人はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。
これは、永遠に、わたしとイスラエル人との間のしるしである。それは主が六日間に天と地とを造り、七日目に休み、いこわれたからである。」(出エジプト31:12-17)
七日間の間に日曜日があるのは、この規則によるようです。
また、紀元前と紀元との境界にある出来事は、聖書の神がイスラエルに遣わされたキリストの降誕があります。西暦は、キリストの誕生を基準としています。
紀元前は、キリストが誕生される以前の年号。紀元は、キリストが誕生された以降の年号。世界は、聖書を知らず、キリストを知らなくても、キリストの誕生を基準として、人類の歴史を数えているようです。
ADは、人類に永遠のいのちを得させるためにキリストが来られ、神の御子と生かす御霊による新しい創造が施されて、肉体の人を御霊の人に造り変えて、天の御国にはいる神の子どもたち(七つの御霊の教会)を完成する、という神の創造の完全な姿(土による肉のからだではなく、御霊による霊のからだ)の完成までをさすようです。
世界基準となっている西暦と一週間七日制と日曜日は、神が創造主であることを知らない異邦人も含め、全世界において、聖書の神が生けるまことの神であり「万物の主」であることを証しているかのようです。
人類が気づかなくても、ユダヤ民族に「聖書」をゆだねられた主、すなわち、天地万物の創造主、全能の神が主権をもって、天地万物を支配しておられるのです。