ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天の御国に迎えられるキリストの戦利品

 

 「キリストにあって、あなたがた(主にある異邦人)は人の手によらない割礼(キリストの御霊)を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼(真理の御霊、すなわち、信仰による心の割礼)を受けたのです。」(コロサイ2:11)

 

 それで、

 「(異邦人であった)あなたがたは、(罪の悔い改めとキリスト信仰の)バプテスマによって(神の御子イエス)キリストとともに(肉のからだは死に)葬られ、また、キリストを死者の中から甦らせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともに(死から)甦らされたのです。(新しい人に造り変えられるのです)

 あなたがた(異邦人)は(神を信じない不信仰の)罪によって、また肉の割礼(の契約のしるし)がなくて死んだ者(救いがなく死ぬべき者)であったのに、神は、そのようなあなたがたを(神の約束のない異邦人さえも)、(神が遣わされた救い主・神の御子イエス)キリストとともに(真理の御霊によって)生かしてくださいました。」(コロサイ2:12,13)

 

 神の憐れみは異邦人に及びました。

 神と契約を結び、神から律法を受けて神のことば『聖書』とともに歩んで来た神の民イスラエル。

 神のことばから外れている異邦人の知らない恵みが、イスラエルとともにありました。

 全地において、御救いが約束された民族はユダヤ民族だけ、神の民と呼ばれる国民はイスラエルだけでした。

 

 ノアの時代、神のことばを聞き、神のことばに聞き従う民は、ノアとノアの家族だけでした。それで、神は、神のことばに聞き従うノアとノアの家族を取り分けて、ほかの民を、大水で滅ぼされました。

 そして、神は、次は火で滅ぼすと誓われたのです。

 

 神の裁きが行なわれることは、定まっています。

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(へブル9:27)

 これが、人類に課せられた宿命です。

 

 人が、神はいない、神を知らない、と神を否定したとしても、永遠の昔から生きておられ、天地万物を創造し人を造り、被造物を滅ぼす権威を持たれる神御自身が定めておられることなのです。

 

 「人はみな死ぬ」ということを、すべての人は同意します。自分たちの目で人の死を目撃し、歴史の中ですべての人が体験している事実だからです。

 目に見えないもの、目に見えない事柄の存在を否定し、実在の確認がとれず立証できない事柄に懐疑的で、思いは闇の中、無知なままの人間には、死後の裁きのことがわかりません。

 

 しかし、目に見えないものに心を向け、信仰の領域にいのちを宿す人には、教えてくださる方がおられます。神の霊です。

 頭では理解できなくても、霊が反応します。肉体の中に宿る霊魂が警告してくれるのです。

 

 イスラエルは、神の裁きがある事を知っていました。それで、救いを求めていました。

 神は、イスラエルに約束されました。イスラエルに救い主(神の御子キリスト)を遣わすことを。その救い主が、ユダヤ人としてベツレヘムで生まれ、ダビデの子として住民登録されたイエス・キリストです。

 

 神は、神のひとり子に肉体を造り、人の子(ユダヤ民族ユダ族ダビデの子孫)として、イスラエルにお与えになりました。

 神の御子イエスは、天から来られた救い主キリストです。神は、世の終わりの火の滅びから救い出すために、救世主イエス・キリストを遣わして、火の滅びから救い出す「キリストの民」を整えられるのです。

 

 神から水による滅びを聞かされたノアが、神のことばに聞き従い、大水から救い出されるために、「箱舟」を造って備えたように、神は、火による滅びから救い出すために、イスラエルを造り、イスラエルにキリストを遣わされました。

 

 神に律法を与えられたユダヤ民族を神の御救いの約束を持つ「神の民」と呼び、ほかの民族を「異邦人」と呼んでいます。

 全地は、御救いの約束を持つイスラエルと、神のことばを知らず御救いの約束のない異邦人とに区別されていました。

 

 イスラエルは、神の律法を守る民。異邦人は、神の律法を知らずに好き勝手に生きる民。律法の違反には刑罰が伴います。イスラエルは、その刑罰を恐れていました。彼らにとって、律法は呪いをもたらすものとなっていたからです。

 

 肉の欲望を持つ人間にとって、肉を殺す神の律法を守ることはできません。律法を知っているだけに、イスラエルは苦しみます。

 一方、律法の下にいない異邦人は、死後の裁きのことを知らず、神に対して自由に振る舞う罪の奴隷です。

 

 神は、律法の違反、罪の呪いに怯えるイスラエルの嘆きを知っておられます。

 異邦人は、生老病死の苦しみに嘆きます。

 イスラエルは、神のことばに従えない律法の違反による罪の呪いに苦しみます。

 

 神が遣わされたキリストは、イスラエルの罪の呪いを負う生贄の子羊でした。

 「木につるされた者は、神に呪われた者」と申命記21:23に書いてあります。

 神は、十字架につけられたナザレのイエスの上に、人類の罪の呪いを置かれました。

 

 十字架で流された神の子羊イエス・キリストの血は、裁き主であられる神が受け入れられる唯一の「贖いの全き血」です。

 神は、キリストの血によって、罪の贖いを完成され、世の罪を取り除かれました。

 

 神は、世の罪を赦されたのです。

 その神の奥義を悟る者は多くありません。

 イスラエルの中でも、多くのユダヤ人が、その真理を受け入れるに至っていません。真理を受け入れない者に、真理の御霊が遣わされることはありません。

 

 神は、ユダヤ民族をほかの民族と聖別しておられました。ユダヤ民族には御救いの約束をされ、異邦人には約束がありませんでした。

 しかし、キリストの十字架は、ユダヤ民族と異邦人との間にあった隔ての壁を砕き、神のことば(神の律法)を知らず御救いの約束のなかった異邦人にも、御救いが及びました。

 

 神は、神の子羊イエスの全き聖なる血によって、イスラエルの律法の違反の罪の贖いとともに、異邦人の罪の贖いもされました。

 すべてのものは、キリストの血によって、罪の呪いである「死」から救い出されるのです。

 神は、神の子羊イエスの血によって、すなわち、キリストの血によって、すべての罪を赦されました。

 

 神は、死が定まっていた人類に、御救いの手立てをお与えになりました。

 水で滅ぼされた世にいたノアに、箱舟を造るように命じられた神。神のことばに聞き従って、箱舟を造ったノアとノアの家族は、箱舟に入って大水の滅びから救い出されました。ノアは信仰により神に聞き従って、大水から救い出されました。

 

 火で滅ぼされる世にある人類に、神の御子イエス・キリストを信じるように命じられた神。神のことばに聞き従って、神の子羊イエスの血の贖いと罪の赦しを信じ、救い主・神の御子キリストの割礼【キリストの御霊、すなわち、真理の御霊】を受ける人たちは、火の滅びから救い出されます。

 

 御霊を受ける人は、滅びの火に焼き尽くされることがありません。肉は焼き尽くされても、霊魂は新しいからだを得て死から甦るのです。

 御霊を受けていない人は、滅びの火に焼き尽くされます。御霊を持たないので、肉も霊魂も永遠に焼かれるのです。救い主イエス・キリストを信じなかったので、そこから救い出してくれるものは誰もいません。

 

 神はイスラエルに与えたいろいろな定めによってイスラエルが救われるために不利な律法の違反の問題、イスラエルを責め立てている債務証書を無効にされました。神はこの債務証書をイスラエルから取り除け、神の子羊イエスの十字架に釘づけされました。

 

 ユダヤ民族と異邦人。神の律法により、またさまざまな神の規定によって聖別され区別されていた二つのものを、神は、キリストにおいて平和を実現し、また、ユダヤ人とキリストを信じる異邦人を一つのからだとして「新しいひとりの人」(キリストの十字架によって神と和解させ、キリストの御霊によって神を「アバ、父。」と呼ぶ神の子ども)に造り上げるのです。

 

 「私たちは、この(神と人とを和解させる神の御子イエス)キリストによって、両者ともに(ユダヤ人も異邦人も)一つの御霊(聖霊)において、父(なる神)のみもとに近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがた(キリストを信じる異邦人)は、もはや他国人(神の契約の外にいる無割礼の民)でも寄留者でもなく、今は聖徒たち(イスラエル)と同じ国民(神の民)であり、神の家族なのです。

 あなたがた(キリストを信じる異邦人)は使徒と預言者という(イスラエルの神の信仰の)土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石(私たちの信仰の土台)です。

 この方(天から遣わされた救い主・神の御子イエス・キリスト)にあって、組み合わされた建物の全体(七つの御霊の教会)が成長し、主にある聖なる宮(聖霊の器、神の神殿)となるのであり、このキリスト(神の御子)にあって、あなたがた(キリストを信じる異邦人)も(ユダヤ人と)ともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。(キリストがあなたがたの心のうちに住んでくださいます)」(エペソ2:18-22)

 

 「奥義とは、福音(真理の神の良き知らせ)により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者(キリストとともに天の御国を相続する者)となり、ともに一つのからだ(キリストを頭とするキリストのからだ)に連なり、ともに(永遠のいのちの)約束にあずかる者となるということです。」(エペソ3:6)

 

 律法もしきたりも伝統も掟も、次に来るものの影でした。

 本体はキリストにあるのです。

 

 ユダヤ教、神道、仏教、キリスト教、そのほかの宗教、民俗信仰、無宗教、それらのどの教えの中にあっても、彼らが求める真理の本体は、神の御子キリストにあるのです。

 キリストの与える御霊を受けるならば、すべてのものは、御霊の教会の中に入り、一つとされるのです。真理の御霊によって生かされる者は、だれであっても、神の子どもなのです。

 

 「神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし(どんな民族、どんな宗教、どんな信仰であっても、その武装を解除して純真な魂とし)、彼ら(あらゆる宗教から集められた真実な魂)を捕虜として(信仰の勝利者の)凱旋の行列に加えられました。(彼らは、キリストの戦利品として天の御国に迎えられるのです)」(コロサイ2:15)