YouTubeの皇室華伝「高市早苗がついに本音を漏らした⋯”愛子天皇”を巡る衝撃発言」の動画を観て、神は、確かに働いておられると思いました。
日本人の集合意識は、日本国を光の方向に向かわせているようです。
日本国民のそれぞれの意識が、真実を求め、真の解放と自由を願い始めたからでしょう。
日本人の霊が不真実な闇の力に覆われていたときは、開放感のない生きづらさがありました。声をあげても何も変わらない、一人ひとりが自分の人生でありながら社会的に目に見えない壁に追いやられてすでに決められている道を歩むだけでした。
何かが違う。誰もが納得しているわけではないのに、違和感を口にすることができずにいました。みながはっきりとした光のないうす暗い行列を乱さないように並び、スマホに目を落としていました。
しかし、光を求める人々の声が聞かれるようになると、多くの人々が光を求めるようになりました。日本はこれで終わらない。日本はまだまだ捨てたものではないぞ。日本にはまだまだ望みがあるぞ。
ひとりふたり、十人二十人、弱人二百人、千人二千人、それぞれの群れが育って行きます。そして、それぞれの群れが交流し始め、とうとう日本人の集合意識のかたちが出来上がりました。
若い人たちも多くいます。若い人の中にも、魂の飢え渇きがあったんだ。目に見えるものにおかされていなかったんだ。彼らの霊魂は生きているんだ。いや、大人の方が見えてなかったのかも知れない。
日本人一人ひとりの思いや願いが一つとなると、祈りとなって、神のもとに届けられました。
光を求めること、正しいことを願うこと、不正に騙されず真実を知りたいという純真な心は、知らず知らずのうちに、目に見えない大きな力を捜していたのでしょう。
現在、多くの日本人が神社仏閣巡りをしているようです。アニメの聖地巡りではなく、本当に心から祈りをかなえてくださる存在を求め、心の平安、魂の安らぎを求めて、心を注ぎ出して祈っています。
日本人の一人ひとりが各人において、神に触れられているようです。神がひとりひとりの名を呼んで、御自分に引き寄せておられるのでしょう。
私たちは、自分自身の意志で自分の歩む道を選ぶことができます。重苦しい霊的空気は軽くなり、私たちに意思を持たせてくれています。
自分自身で考えることができます。
自分自身で見つけることができます。
自分自身で選択することができます。
自分のうちにある思いを受け取ってくださる、目に見えない方がおられることを、自分自身の霊魂で感じ始めているのです。
壊死寸前の細胞に血が巡り始めると、内側から生きたい、生きるぞという、強い確信のような、いのちの根源への目覚めが起こっているかのようです。
今まで味わったことのない魂の喜び、霊的な解放、根拠はないのに心の底にある信じて疑わない希望のようなもの。
重い空気の中で日本人の魂が深い眠りについていたときも、天皇陛下は静かに、国民の為に執り成しておられました。闇に覆われ偽物に毒された皇室の中にあっても、光のない中であっても、御自身のうちにある油注がれた血統に流れる信仰によって、忠実にご自分の任務を完遂しておられました。
国民の中にも必ず火がともることを信じて、天皇陛下は、神が大和民族に託された大和魂の火をともしておられました。
政府もまた、闇の中でした。日本国民は、闇の中にいることに気づかずに、八方塞がりな日本列島の闇の中でもがいていました。
日本人の集合意識は、もともとあったものです。
それが、回復し始めたのです。
先日、電車の中で、ひとりの男性が電車を出ようと立ち上がり、電車の開いたドアから降りようとした時に、財布を落としました。おそらく、お尻のポケットに入れていたのでしょう。
私の隣に座っていた五十代くらいの男性が「あっ!」と小さく声をあげました。私が見ると、ドアの手前に落ちている茶色の長財布がありました。
すると、その瞬間、そのそばに立っていた若い女性がスッとしゃがみ込んで、パッと財布を手に取り、ホームに降りた男性の後を追って行き、手渡して電車の中に戻って来ました。
一瞬の出来事でしたが、みんなが一つになった気がしました。
この一体感は何だろう、と少し考えました。
私の隣に座っていた男性も、ドアのそばに立っていてホームに出て行く男性が財布を落としたことに気づいた若い女性も、私も、一瞬で、同じ思いを抱いたのだと思います。
心の中にあったのは、おそらく「あっ、財布落とした。財布がなくなったら困る。大変だ。」と、落とした男性の気持ちになっていたのだと思います。
日本人だなぁ。私たち日本人は、互いに思いやり、互いに分け合い、互いに助け合って生きていたではないか。
ひとつの家族のように、近所の子どもを自分の子どものように叱り、隔てるもののなかったあの古き良き時代。
日本民族は同化するものを受け入れながら、大きくなって来たのです。それゆえ、自分と他人という個ではなく、「みんな」という意識がありました。
歴史的に大陸からの渡来人たちは日本人の間にあって、自分の民族のまま暮らすのではなく日本人に寄り添い、長い時間をかけて、互いに寄り合って、「おかげ様」の精神と、「お互い様」の垣根をもって暮らすうちに、同じ感性を有して一つに膨れて来たのだと思います。
ところが、近年では、個の意識が蔓延し、同じ感性を持つ一つの民族ではなくなっているように思います。
日本人同士を結び合わせていたシナプスが欠損した状態です。
かつての日本人は、村の誰かが痛めば、村中の人の心が痛みました。自分事だったのです。村中の人々に神経が張り巡らされたひとりの日本人みたいです。
かつての日本人は、霊魂が生きていて、霊的部分においても繋がっていたように思います。それゆえ、心に律法があるので、文字の律法は必要がありません。しかし、人口が増え違反者が増えると、文字の律法を作らなければ、社会の規制が取れなくなったのでしょう。
日本国に、世界の国々のような規制が少ないのは、日本人は律法がなくても、互いに気遣い、戒め合っていたから、また、神社仏閣の祈りによって、自分を顧み自分を律する柔らかな心があったからなのでしょう。
しかし、大和魂は眠らされていました。
神経細胞同士が繋がっているかのようであった日本民族ではないのです。
しかし、電車の中の出来事で、日本人の心の一体感を味わって、安心しました。日本人はまだ生きていたんだ、私たちはまだ生きているんだ、と心に同胞である喜びの息吹が流れて来ました。
天皇陛下は国民のために祈っておられます。私たちも祈りを持って答えましょう。
高石総理も国民のために戦ってくださいます。
私たちは、私たちの祈りと願いを聞き届けてくださる神を信じて、天皇陛下のお務めのために、また、高石総理のお働きのために、また、日本列島の霊界を守ってくださるすべての人々が悪い者から守られ、神の知恵を得て、神の御心が日本列島に成就されるように祈ってまいりましょう。
「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が照った。」(イザヤ9:2)
光を求める人たち、天の神は、私たちを喜んで受け入れてくださいます。