ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

真理の御霊を受けて新しく生まれ変わろう

 

 「人の子」の姿をもって地上に来られた神のひとり子(イエス・キリスト)は、イスラエルの教師であるニコデモに、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われました。

 

 「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」(へブル9:27)と聖書に書かれています。

 女から生まれた、生まれつきのままの肉体の人間には、死が定まっています。肉体には寿命があります。人間はだれであっても、一度死ぬ運命です。そして、死んだ人間は、死後に神の裁きを受けることが定まっているようです。

 

 聖書をイスラエルに与えられたイスラエルの神は、天地万物を造られた「創造主」であり、死と死後のさばきの定まっている人間を、死と死後の滅びから救い出すために魂の救い主であるキリスト(救世主)を遣わされた「贖い主」であり、すべての人の言動を記録した書と「いのちの書」をもってさばかれる「裁き主」であります。

 

 十字架で世の罪を取り除くための罪の贖いの血を流す神の子羊イエスは、人の罪を贖って罪人を神に立ち返らせるために、神と人との仲介者として、天から遣わされた「人の子」です。

 神は、アダムの子孫の中に、罪のない「人の子」を造られました。

 「人の子」は、神が肉体を造って、聖書をお与えになった御自分の民イスラエルに遣わされた「神のひとり子」であり、イエス・キリストです。

 

 神の御子イエス・キリストは、「あなた(ナザレのイエス)は神のもとから来られたまことの教師です。」と告白する、ユダヤ人の教師ニコデモに、「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と言われました。

 それを聞いたニコデモは、人はどのようにして生まれ変わることができるのか、と不思議に思いました。

 「もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」とイエスに尋ねました。

 

 イエスは答えられました。

 「まことに、まことに、あなたに告げます。

 人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。

 肉によって(女から)生まれた者は(女と同じ)肉です。御霊によって(新しく)生まれた者は、(御霊と同じ)霊です。

 (神の国に入ることを望む)あなたがたは(御霊によって)新しく生まれなければならない、とわたし(神の御子イエス・キリスト)が言ったことを不思議に思ってはなりません。(神の国は御霊の国であり、御霊によって生まれなければ入ることができません。肉のままでは入れないのです。)」(ヨハネ3:5-7)。)」(ヨハネ3:5-7)

 

 神の国には死がありません。肉体の人は死にますが、御霊の人は死ぬことがありません。神の国には、死のない人が入ります。すなわち、御霊によって新しく生まれ、御霊によって新しく造り変えられた「御霊の人」が永遠のいのちを得させられて、神の国に入るのです。

 

 神は、イスラエルに神の子羊イエスを世に現わす前に、バプテスマのヨハネを遣わされました。ユダヤ人たちが神の御子イエスを受け入れるためには、悔い改めが必要だったからです。

 心の向きを正しく神に向けなければ、神の御子を知ることができません。神の御子を見る目は、人の意識が、滅びゆく肉体の住む世のものから、永遠のいのちの神に向けられると開かれるのです。

 

 バプテスマのヨハネは、ユダヤの荒野で、ユダヤ人たちに教えを宣べて言いました。

 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)

 

 ユダヤ人たちは、ヨハネのもとに来て、罪を悔改め、思いを神に向けて、悔い改めのバプテスマ(水のバプテスマ)をヨハネから受けました。

 神の祭司の国民として召されていたユダヤ人の心は、悔い改めによって神に繋ぎ直されました。神が遣わされた神の御子イエスを知るために備えられたのです。

 バプテスマのヨハネは宣べ伝えて言いました。

 「私よりもさらに力のある方(神に聖霊のバプテスマを授ける権威を受けるキリスト、神の子羊)が、あとからおいでになります。」(マルコ1:7)

 

 イエスは、バプテスマのヨハネが捕えられると、ご自分の時を知り、ガリラヤに行き、神の福音を宣べて言われました。

 「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)

 

 バプテスマのヨハネは、悔い改めて、神が遣わされる神の子羊を知る者となるように、と水のバプテスマを授けました。

 

 神の子羊イエス・キリストは、悔い改めて、キリストの福音を信じるように、と言われました。

 キリストの福音は、いのちを与えるものです。

 ユダヤ人たちが大切にして来た「聖書」のみことばをことごとく成就する「人の子」となられた神の御子イエスを信じることは、モーセの命令に従うことです。

 

 律法も、預言書も、詩篇も、神のひとり子キリストのことが書かれていたのです。

 そして、ついに、みことばの成就の時が来て、ダビデの子として生まれ、ナザレ人として育ったイエスは、罪の贖いの神の子羊の歩みを始められたのです。

 

 ニコデモは、「どうして、そのようなこと(御霊によって生まれること)があり得るのでしょう。」(ヨハネ3:9)と言いました。

 

 イエスは言われました。

 「だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち(天にいる)人の子です。(イエスは、地上を歩みながら、御父とともにおられ、天上の歩みをされました)

 モーセが荒野で蛇を(旗ざおに)上げたように、人の子もまた(十字架に)上げられなければなりません。(モーセが青銅の蛇を上げると、その青銅の蛇を仰ぎ見た罪人は罪が赦されて生きました。仰ぎ見ない罪人はその不信仰により自分の罪の中で死にました。そのように、神に遣わされた人の子イエスも木につけられます。それは、十字架の主イエスを仰ぎ見る者の罪が赦されて義とされ信じる彼らを滅びから救い出すためであり、また、仰ぎ見ない者を不義とし永遠の罪に定めるためです)

 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。(人の子を信じる者〈十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見、神の御救いのみわざを信じる者〉がみな永遠のいのちを持つためです)」(ヨハネ3:13-15)

 

 「神はまた、(天の御国に入るにふさわしい信仰があるという)確認の印を私たちに押し、(その)保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。」(コリント第二1:22)

 神は、「人の子」イエス・キリストによる御救いを信じる者に、その信仰のしるしとして、キリストの御霊を授けてくださいます。(肉によって信じる信仰にではなく、霊とまことによって信じる純真な信仰に、御霊を授けてくださるのです)

 神は、御霊によって心に割礼を授け、肉の思いを殺して御霊の思いによって生きる新しい人に造り変えられます。

 

 「定めの時が来たので、神は御自分の御子を遣わし、この方(神の御子イエス)を、女から生まれた者(人の子)、また律法の下にある者(ユダヤ人)となさいました。

 これは律法の下にある者(イスラエル)を(罪の世から)贖い出すためで、その結果、(神を信じ信仰によってキリストの御霊を受ける)私たちが子(神の子ども)としての身分を受けるようになるためです。

 そして、(神にとって)あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たち(信者)の心に遣わしてくださいました。

 ですから、(真理の御霊を受けた)あなたがたはもはや(この世の)奴隷ではなく、(神の国の)子です。子ならば、神による相続人です。(キリストとともに、天の御国を相続するのです)」(ガラテヤ4:4-7)

 

 神を知らなかった当時、私たちは本来は神でない神々(この世に属するもの)の奴隷でした。しかし、罪を悔改めて心を神に向け真理の御霊を受けると、新しい人に造り変えられて、神を知り神の御声に聞き従う御霊の人となったのです。

 

 真理を求め、神の御霊が与えられることを求めましょう。

 真理の御霊は、真実なきよい心、愛のある人のところにも訪れます。

 

 神は終わりの時には、神の霊をすべての人に注ぐことを約束しておられます。

 すると、神の霊を受けた人は預言をし、夢や幻で神の啓示を受けるのです。

 今がその時です。

 

 キリスト教会の話ではありません。すべての人に注がれるのです。

 キリスト教会に属していても、御霊を知らない人も大勢います。

 キリスト教会に属していなくても、また、神道や仏教の人、無宗教の人でも、心が砕かれてへりくだった魂、神の霊を受けるにふさわしく備えられている人は啓示の霊が開かれます。

 彼らの場合、神の霊を受けた後で、神の時に、真理の光が照らされて真理の御霊によって、十字架につけられた神の子羊を知ることとなるのでしょう。

 

 水(悔い改め)と御霊(真理を教える真理の御霊)によって、新しく生まれる人(御霊の人)が、神の国に入るのです。

 心の向きを神に向け、悔い改めとともに、身魂をきよめ、真理の御霊を受ける備えをしましょう。