ノアの子セムの子孫アブラハムは、ノアとノアの家族を大水から救い出してくださった全能の神、主を信じる正しい人でした。
ノアは、神の御声を聞き、世が水で滅ぼされることを知りました。ノアは、神に聞き従って、神の設計どおりの箱舟を造り、水の滅びから救い出されました。
ノアの信仰を息子のセムが受け継ぎました。セムの子孫、セム族には、生けるまことの神を恐れ、神を礼拝する信仰を受け継ぐ者たちがいました。
セム族はアジア系の有色人種の祖です。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も仏教もヒンズー教も儒教も日本神道も、セム族から出ています。ユダヤ民族も日本民族もセム族です。
セム族に、生きたまま天に移される信仰の正しいエノクがいました。携挙される御霊の教会のひな型です。
エノクの子孫にノアが生まれました。
暴虐に満ちた世の慰めとなるように、との願いをこめて、父レメクは、「ノア(安息)」と名づけました。
「レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。彼(レメク)はその子をノアと名づけて言った。
『主がこの地を呪われたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。』」(創世記5:28,29)
父の願いは叶えられ、神を恐れて正しく歩んだノアは、主が地を大水で滅ぼすときに、神の慰めとして地上に残されました。
主は、大洪水で一掃した地上に、ノアとノアの家族から人類の歴史を再スタートされました。
ノアの子セムは、ノアが聞き従った全能の神、主を恐れる者でした。
ノアの子ハムの子孫は、主に敵対する二ムロデを生みました。二ムロデは、人々を集めて、バベルの塔を建て始めました。しかし、主は、一つの民一つの言語だった人々の言葉を混乱させて、互いに言葉が通じないようにされたので、彼らは意思疎通できなくなり、塔の建設は中止しました。
主は、多言語となった人々をそこから地の全面に散らされました。こうして、多言語が生まれ、それぞれの民族に分かれたのです。
これは、セム族のペレツの時代のことです。ペレツとは「分ける」という意味です。ペレツの時代に、地が分けられました。
セム族には、全地にあって、時のしるしの役割があるようです。まるで、太陽のようです。
神は、太陽を造られたときにこう仰せられました。
「光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のため、役立て。
天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」(創世記1:14、15)
神が太陽に命じられたとおり、太陽は大空にあって地上を照らし、時のしるしのために役立っています。
キリストが十字架につけられた時には、十二時から三時までの間、太陽は光を失って、神の怒りとともに、救い主イエス・キリストがまことに神の子であることを証ししました。
世の終わりにも、太陽が暗くなり、月の全面が血のように赤くなるしるしが天に現れることが、聖書に預言されています。
セム族から神と契約を結んだアブラハム、イサク、ヤコブ、また、ヤコブの双子の兄エサウ、そして、ヤコブの子イスラエル(ユダヤ民族十二部族)が生まれました。
イスラエルに救世主(神の御子イエス・キリスト)が生まれ、地上に救いの時が訪れました。しかし、キリストを信じないユダヤ人たちは、神の怒りを買い、国を取り上げられて、諸国に散らされました。紀元70年のことです。
イスラエルが1948年に建国されると、世界に離散していたユダヤ人たちが、イスラエルの地に帰還して来ました。このことは、黙示の時代が近づいている神のしるしです。
二千年近くイスラエルの地は荒地でした。相続人のユダヤ人たちを失った土地は、国が建てられず、主人(ユダヤ民族)が帰って来るのを待っていました。
帰還するユダヤ人たちによって、イスラエル共和国が、先祖の地(ダビデ王のイスラエル王国の跡地)に建国されました。
ユダヤ人は、神の御子イエスによって試みられました。
律法の下にいるユダヤ人たちの思いには覆いが掛けられており、ユダヤ人たちは、ナザレのイエスが神の御子キリストであることがわかりませんでした。
神は、不信仰で不従順なユダヤ人を怒り、先祖の地から追放し、キリストの福音は、異邦人に及びました。ユダヤ人の不従順ゆえに、御救いは異邦人に及んだのです。
神に受け入れられる信仰を四つに分類してみました。
アブラハムは、ノアの信仰を受け継ぎ、全能の神、主を恐れる正しい人でした。アブラハムは、目に見えない生けるまことの神を見えるようにして従いました。
アブラハムは、ノアのように、神の御声を聞く人でした。純真な心と、純粋な信仰がありました。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこへ行くのかを知らないで、出て行きました。」(へブル11:8)
「信仰によって、(妻)サラも、すでにその年を過ぎた身(閉経した女)であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。」(へブル11:11)
アブラハムは、約束のものを手に入れることはありませんでしたが(手に入れたのはヤコブの子孫イスラエルであり、アブラハムの時代には他国人のようにして住み、イサクやヤコブとともに天幕生活をし、地上では寄留者であると告白していました)、天の故郷に憧れていました。
「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束(土地の相続の約束とイサクの子孫の祝福の約束)を与えられていましたが、自分のただひとり子の子をささげたのです。
彼(アブラハム)は、神には人を死者の中から甦らせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。」(へブル11:17,19)
イサクは、父アブラハムにされるまま、燔祭のたきぎの上に横たわりました。
イサクは、三十代半ばを過ぎた若き力ある青年です。父アブラハムは百三十歳を過ぎた老人です。しかし、イサクは、父に素直に従いました。
イサクのしもべたちが井戸を掘ると、ゲラルの羊飼いたちがイサクの羊飼いたちと争いました。
イサクのしもべたちは、もう一つの井戸を掘りました。ところが、それについても彼らは争いました。
イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘りました。その井戸については争いがなかったので、「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地で増えるようにしてくださった。」と主をたたえました。
イサクは従順な心の人でしたが、争いを好まない穏やかな人なので、真偽を見分けることには疎い人でした。
アブラハムは自分の全財産をイサクに与えました。
異母兄弟の兄イシュマエル(サラの女奴隷ハガルの息子)は奴隷の子で、相続の資格はありませんでした。
イサクは、神がお定めになった跡取りとして、父アブラハムに愛されていました。父の愛も、相続も、イサクのものでした。
イサクに双子の息子エサウとヤコブが生まれました。
リベカの胎内にいるとき、神は、胎内に双子がいることと、兄が弟に仕えることとを告げておられました。
「兄エサウは巧みな猟師、野の人となり、弟ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。
(父)イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。(母)リベカはヤコブを愛していた。」(創世記25:27,28)
母リベカは、神が選んでおられる弟のヤコブをイサクの跡取りと考えていました。
父イサクは、長子のエサウが跡取りであると考えていました。
二男のヤコブは、長男エサウから長子の権利を買いました。長子エサウは、全能の神、主を恐れない愚かな子でした。父の愛に満足し、長子の権利を軽んじていました。神のものの価値がわからなかったのです。
年老いて目が見えなくなったイサクに、兄エサウの名前を名乗って、ヤコブはエサウになりすまして、アブラハムの祝福の祈りを受けました。
ヤコブは、アブラハムの土地の相続の権利を持つ長子の権利と、アブラハムの祝福(あなたを祝福する者を神は祝福し、あなたを呪う者を神は呪う)を信仰によって勝ち取りました。
また、ヤコブは神の人と格闘し、「夜が明けるからわたし(神の人)を去らせよ。」というその人を離しませんでした。ヤコブは言いました。「私はあなたを去らせません。私を祝福して下さらなければ。」(創世記32:26)
すると、その人は言いました。
「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」(創世記32:28)
ヤコブは、人と戦って勝利し、信仰によって祖父アブラハムの相続財産を受け継ぎ、また、神と戦って勝利し、信仰によって「イスラエル」の名と、アブラハムの祝福を受け継ぎました。ヤコブは、戦って勝利した、信仰の勝利者です。
アブラハムの信仰は、縄文人に受け継がれているように思います。純真な心で、目に見えない神を信じ従う純粋な信仰です。大和民族の大和魂の中にある信仰のようです。
信仰の実体(救い主、神の御子)を見ることなく、信仰によって「ミロクの世」を目指す古神道の信仰のようです。また、人として正しい生き方を目指す仏法の信仰のようです。
イサクの信仰は、日本民族に見られるように思います。仏教や儒教など様々な信仰を受け入れ融合する日本神道の信仰のようです。
イサクは、神が選んだヤコブを見分けることができず、あいまいな信仰の愚かな息子エサウを愛する、清濁併せ呑む信仰の人です。
井の中の蛙的な閉鎖的な島国育ちの日本民族の倫理観は、堕落した世界では通用せず、日本人独自の価値観のように扱われて無宗教の信用ならない人々と評価されてきました。
穏やかで平和的で良い人ですが、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる弱点があり、秩序と和合を重んじる日本社会の中では素直で純粋な部分を悪しき者から守り管理する能力が訓練されておらず、騙されやすく、真理をつかむためには、霊を見分ける見分けの訓練が必要です。
エサウの信仰は、ユダヤ人のようです。神の契約に甘んじています。生ける神を霊によって知ることがなく、祝福を勝ち取る信仰がわかりません。
もともと相続人ですので、戦わなくても、生まれつき持っているもののようです。ところが、持っていると思っていた長子の権利もアブラハムの祝福も弟ヤコブに取られてしまい、ヤコブを恨み、憎みます。そして、イサクの兄、相続できなかったイシュマエルの子孫と一つとなって、イスラエルを攻撃します。
イスラエルに遣わされた救世主イエス・キリストを異邦人に取られても、何とも思わないユダヤ人は、まさに、エサウの過ちをおかしているのです。
それぞれの信仰には良い点と弱点とがあります。
大和民族は、自分の魂の声を大切に、神の霊に忠実に従うことです。
日本民族は、霊を見分ける力をつけることです。
聖霊を受けたキリスト者は、悪しき霊と戦って戦って、勝利を取り続けることです。
聖書を信じていることで安住しているクリスチャンは、御霊の人たちを迫害したり、古神道や仏教や日本神道の人たちの御救いを妨げないことです。