ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記五章 人類の寿命

 

 「神はアダムを創造されたとき、神に似せて彼(人)を造られ、男と女とに創造された。彼らが創造された日に、神は彼ら(男と女)を祝福して、その名をアダム(土から取られた人)と呼ばれた。

 アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。

 アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。

 アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。

 セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。

 セツはエノシュを生んで後、八百七年生き、息子、娘たちを生んだ。 

 セツの一生は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。

 エノシュは九十年生きて、ケナンを生んだ。

 エノシュはケナンを生んで後、八百十五年生き、息子、娘たちを生んだ。

 エノシュの一生は九百五年であった。こうして彼は死んだ。」(創世記5:1-11)

 

 神が、ユダヤ民族にゆだねられた『聖書』には、人の始まりと、最初の人アダムから、大水で世が滅ぼされるノアまでの、アダムの歴史が記録されています。

 人となってイスラエルに遣わされた神のひとり子イエス・キリストの系図を明らかにするためです。

 

 アダムからノアまでの系図は、全人類の祖です。なぜならば、ノアの時代に、一度人類は水で滅ぼされており、現在生き残っている私たちはみな、ノアの子孫だからです。

 あらゆる国、あらゆる民族、あらゆる言語の人の最初の祖は「アダム」であり、「ノア」なのです。人類はひとりの人から始まっています。

 

 それゆえ、民族が分かれ、国境があり、言語も異なる人類ですが、人類はおひとりの神によって造られ、ひとりの人から生まれているのです。

 しかし、罪によって、霊の目と耳が閉ざされた霊的死人の人は、生まれつき意識が神から離れており、造り主を忘れて、破壊者である悪魔につき従う罪の奴隷です。

 

 人の意識は、目に見えるものに向けられており、目に見えないものを見る目の前には隔てるものがあって光がないのです。光のある人は稀にいますが、それでもすりガラス越しに見ているようで、はっきりとは見えません。

 ぼんやりと見えるものを脳が自分なりに判断しているような状態で、本当はしっかりと見えているわけではないのです。

 

 なぜ、人の意識に、ぼんやりと映し出されるのか。それは、その実体は確かに存在しているからです。目には見えないけれども、存在するものがあるのです。

 人を造られた神と、神に造られた人との間には、罪という隔ての壁があります。この壁は、人が建てたものです。

 神は、人と和解しようと、和解の務めを神のひとり子に託して、人類に遣わされました。「人の子」として、聖書を託したユダヤ民族の中に生まれた神の御子イエス・キリストは、神と人との仲介者として、天の神について語り、人の思いに覆いがかかってわからなくなった神、人類を造られた創造主について証言し、神の実体を明らかにされました。

 

 そして、御子イエスは、ご自分の血で罪の呪いを打ち砕かれました。神の子羊イエスの贖いの血は、世の罪を取り除いたのでした。神は、神の子羊の生贄によって、人類の罪を赦されました。

 神の子羊イエス・キリストは、神と人とを隔てていた罪を砕かれました。神と人との間には、神の子羊イエス・キリストが立たれました。罪の壁ではなく、キリストの血の赦しが置かれたのです。

 

 神の方から手を差し伸べて、天から御子を遣わし、「人の子」となって生まれたユダヤ人ナザレのイエスは、罪の壁を作った人の世界から、その壁を壊されました。

 キリストは、神との間にそびえ立つ人の罪による隔ての壁を、自らのいのちで、砕かれました。

 

 罪の奴隷の意識に、いのちの神の光が照らされました。

 光を愛する者は、仲介者キリストのみもとに行きます。

 闇を愛する人は、光の方に行こうとはしません。

 各々の人は、自分の心の求めに応じて選びます。他人に言われたからといって、光に向かうわけではありません。めいめい、自分の心の赴くまま、光に行くか、闇に留まるのかを選択するのです。

 

 神は、人類に真理のことばを与えて、闇に真理の光を照らすキリスト、罪の滅びから魂を救い出す神の御子キリスト、永遠のいのちを得させる真理の御霊を世に与えられます。

 それは、アダムを造られた神が、いのちの根源である神のことばに背いたアダムの罪によって、人に罪が入り、また、罪の呪いを受けて必ず死ぬものとなった人のために、お定めになった御救いの手順です。

 

 アダムは九百三十歳、セツは九百十二歳、エノシュは九百五歳、ケナンは九百十歳と、寿命は現在よりも長いものでした。

 ノアは、九百五十歳でした。

 

 人は、その歴史の中で、ますます、神から離れて堕落し、暴虐に満ちたものに成り下がって行きました。

 ノアが生まれた時代には、罪人の乱れは頂点に達していました。世は悪に満ちていたのです。

 

 アダムもほかの子孫も、それぞれ、息子、娘たちを生んでいました。しかし、系図として残されたのは、ノアに至る系図だけです。私たち、生き残っている人類の祖は、ノアだからです。

 

 それ以外の息子、娘たち、また彼らの子孫はみな、悪いものとなって、ノアの時代に、大水で滅ぼされました。

 神は、ノアに仰せられました。

 「わたしの霊(いのちの息)は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。(人の霊は罪によって死に、霊的死人の人の中に、いのちの息はとどまらず、中身を失った空っぽの肉体は土に還る肉なのだ)

 それで人の齢は、百二十年にしよう。」(創世記6:3)

 

 人は長く生きると良いものになるわけではありません。

 人の悪は増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのを、神は御覧になりました。

 

 善悪の知識の木の実を食べて、神に背く者となった人が、手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、神から離れ罪あるまま永遠に生きないように、と神がいのちの木への道を閉ざされたのは、正しかったのです。神は、これから起こる事全部、御存知なのです。

 

 死に定められた罪人の寿命は、神によって、短くされました。

 しかし、神は、回復の時を設けておられます。

 

 神は、地上のすべて肉なるものを大水で滅ぼした後、ノアに仰せられました。

 「わたしとあなたがた(人類)、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。

 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。

 わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。

 虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約(すべて肉なるものは、もはや大洪水の水では断ち切られない。もはや大洪水が地を滅ぼすようなことはない)を思い出そう。」(創世記9:12-16)

 

 神は、どんなに世が悪くなっても、ノアの時代のように、大水で地を滅ぼすことはしないと、人類と契約を立てられました。

 虹がその契約のしるしであって、神は雲の中にある虹を御覧になって、契約を思い出して、怒りを思い直されるのです。「これまで」と命じて、大水を止められるのです。

 

 人は、虹を見て嬉しい気持ちになり、心が晴れます。

 しかし、この虹のしるしは、神の憤りを御自身でコントロールされたしるしでもあるのです。

 

 災害を恐れるだけではなく、その背後にある目に見えない神の御意思に思いを向けましょう。

 虹のしるしは、神がかつて大水で、地上のすべての生き物を滅ぼされたという史実を物語っているのです。

 

 「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。(どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。[詩篇7:9])

 私のうちに傷ついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道(いのちを得る正しい道)に導いてください。」(詩篇139:23,24)

 

 自分自身をかえりみる時を持ちましょう。

 「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」(コリント第二13:5)

 

 神は、次は、火で滅ぼすことを定めておられます。

 神は、悪いものを火で滅ぼすと、闇の世に神の栄光を現わされます。

 

 「見よ。まことにわたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。

 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。

 見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。」(イザヤ65:17,18)

 

 ヨハネは、聖なる都、新しいエルサレムが整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見ました。(黙示録21:2)

 死から甦って永遠に生きられる私たちの主イエス・キリストが天から来られて、地上を治められます。

 

 仏教が待ち望む、宇宙すべてがひとつとなる「三千世界」の成就の時です。

 古神道が待ち望む、すべての被造物、草木も喜ぶ「弥勒の世」の成就の時です。

 キリスト教が待ち望む、キリストの再臨と「千年王国」の成就の時です。

 ユダヤ教が待ち望む、エデンの園の回復の時です。

 

 「いのちの書」に名前が記されて、墓の中にいる人はみな墓から甦り、また、生きている人は都に入っていのちの木の実を食べることが許されます。

 

 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とします。エデンの園のように、生き物の食べ物は、緑の草であり、木の実です。

 

 「そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命の満ちない老人もない。」(イザヤ65:20)

 「わたしの民(神の子羊の血で罪が贖われ、新しい創造を受ける御霊の教会)の寿命は、木の寿命に等しい。」(イザヤ65:22)

 

 人生百歳時代と言われる昨今ですが、信仰で生きる光の子らの目指している、次の世は、数百歳生きる人々の世界です。

 

 神と人との仲介者(神の子羊)によって、神と和解する人々の寿命は、最初の人のように長くなります。

 エデンの園が回復したような世界が、必ず、実現されるのです。

 私たちの信仰は、むなしいものではありません。