ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アダムのからだ キリストのからだ

 

 土から造られた人「アダム」は、妻の声に従って、神のことばにそむきました。

 妻エバは、蛇の言葉に従って、神のことばを軽んじました。

 

 蛇に言葉を与えたのは、神のひとり子に敵対し神に反逆する堕天使長、すなわち、天から追放された闇の王者悪魔です。

 アダムにことばを与えたのは、天地万物を造られた全能の主、いのちの根源であられる神です。神のことばは、神の御子(ひとり子)でした。

 

 悪魔は、神のことば(神の御子)に敵対し、神のことばとともにあったアダムのからだに、背きの種(悪魔の言葉)を蒔きました。

 アダムのあばら骨から取られたエバは、アダムのからだです。エバは、自分が取られたからだであるアダムの命令のことば(アダムが神から受けた命令)よりも、蛇の語る悪魔の言葉を愛しました。

 

 エバには、自分のからだの外のものが、とても魅力的なものに思われたからです。それで、アダムのことばよりも、蛇の言葉に従いました。

 アダムは、エバを愛していました。アダムは、神よりもエバを愛しました。神のことばよりもエバの言葉に従いました。

 

 神の命令よりも、エバのささやきに耳を傾け、いとおしく思ったのです。

 悪魔が、悪魔の思いを成し遂げる狡猾な蛇によって、アダムのからだに蒔いた罪の種は、エバを通して、アダムのからだに罪の根を生やしました。

 

 悪魔の死の種を受けたアダムは、罪の根を持つ闇の子となりました。一つも暗い所のない、全き光の神のみもとに居ることのできない、闇を持つ子となったのです。

 神に反逆した堕天使長は、天から追放されました。

 神のことばから外れたアダムは、エデンの園から追放されました。

 

 天から追放された堕天使長は、漆黒の闇(宇宙)の中で、闇の王者悪魔となりました。

 エデンの園から追放されたアダムは、漆黒の闇の中に浮かぶ地球で、悪魔の奴隷とされました。

 

 奴隷は、主人に縛り付けられています。アダムのからだは、悪魔に鎖でつながれているのです。

 アダムの子孫(罪を犯したエバを母とする、女から生まれた人類)の一人一人の魂は、生まれつき、鎖で悪魔と繋がれています。一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっているのです。

 

 アダムは、悪魔に捕らえられた罪の奴隷であり、また、囚われの身のアダムは、悪魔の家の裁きをともに受けることになります。

 

 奴隷の中には、悪魔の子となる者もいます。彼らの父は悪魔です。彼らは、悪魔の子どもらしく、神に敵対し、神の子どもを憎みます。

 悪魔は神のひとり子に敵対し、反キリストはキリストに敵対します。

 その性質はいつまでも隠されてはいません。

 

 神は、アダムの子セツの子孫ノアの子セム、セムの子孫に、アブラハムを見い出されました。

 神は、アブラハムを選び、アブラハムの子孫に、悪魔の鎖を断ち切るキリストを遣わすことを定められました。

 キリストは、神が肉体を造り「人の子」として、アブラハムの子孫イスラエルに遣わされた「神のひとり子」です。

 祭司、預言者、王の務めをもって、イスラエルに遣わされ、ユダヤ人の処女からベツレヘムの町で生まれ、ユダ族のダビデの子として住民登録された、ユダヤ民族のキリスト、ナザレのイエスです。

 キリストは、罪の贖いの血を流して、悪魔の鎖を断ち切られました。

 

 アダムは、罪によって悪魔と繋がれていました。しかし、神の子羊イエスの血によって罪が贖われて罪が赦されると、悪魔の所有ではなくなります。

 神のひとり子は、悪魔に勝利を取られました。

 

 「人の子」となられた神のひとり子(ナザレのイエス)は、人類の罪によって悪魔に繋がれていた奴隷の鎖を断ち切られました。そして、罪の奴隷であった魂を、ご自身の血(神の子羊の血)で買い戻されました。

 

 キリストの血で買い戻された魂は、キリストの所有となります。奴隷の鎖はありません。自由の子とされたのです。

 

 悪魔は、奴隷を罪でがんじがらめにします。

 神のひとり子は、魂の自由意思を尊重されます。神のことばは真理であり、真理を愛する者は、神の命令に従います。しかし、不義を愛し、真理を喜ばない者は、再び、闇へと戻って行くのです。

 

 女から生まれたすべての人は、アダムの一部です。アダムのからだは、悪魔に鎖で繋がれていることを思い出しましょう。

 アダムのからだは、生まれつき、死ぬことと死後に裁かれることとが定まっています。

 アダムのからだの頭は、悪魔だからです。自分自身の意思でなくても、怒りや悲しみ、妬みや憎しみ、感情は勝手に湧いて来て、自分のうちにあるものなのに、自分自身でコントロールすることは困難です。

 

 悪魔の鎖を打ち砕いてアダムを自由にし、罪を贖って罪を悔改める新しい心を与えて、神との和解を成就されたのは、天から遣わされた神のひとり子イエス・キリストです。

 

 キリストに罪を言い表わし、キリストの血によって罪が赦された人は幸いです。

 罪の縄目を打ち砕き、悪魔の鎖から自由にしてくださったキリストを信じ、神の御子イエスを私たちにお与えくださった神に感謝することは、アダムのからだの中には居ない証です。

 

 悪魔に繋がれていたときは、自分のうちにある罪の根に悩まされました。

 「私は、本当に惨めな人間です。誰がこの死の、(死が定まった、汚れと罪の思い〈人を羨んだり、憎んだり、赦せなかったりする暗い心〉が留まるこの)からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)

 

 しかし、神は、罪に翻弄される惨めな私たちを、主イエス・キリストの贖いのみわざと復活のいのちゆえに、この肉のからだ(アダムのからだ)から、救い出してくださいました。

 

 「神は、御自分の御子を、(私たちの)罪のために、罪深い肉(アダム)と同じような形でお遣わしになり、肉(イエスの肉のからだ)において罪を処罰されたのです。」(ローマ8:3)

 

 イエスの肉のからだは、十字架において死に、肉のからだの罪は処罰されました。

 神の御子イエスは、アダムの罪を、ご自分の肉において処罰されました。

 

 神の子羊イエスは、肉に従って歩む方ではありません。神のことばと一つであり、神の御霊とともに歩まれた方です。

 

 「肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。」(ローマ8:5)

 肉の思いは、アダムの思いであり、「死」です。

 御霊による思いは、キリストの思いであり、「いのちと平安」です。

 

 生まれたままの肉の人は、アダムのからだです。

 アダムのからだの頭は悪魔であって、神を悟ることができず、キリストの贖いを信じないので、アダムの罪は赦されることなく、すでに定められている死を迎えます。

 

 キリストを信じて罪を言い表わして義とされた人は、アダムのからだから、キリストのからだに移されます。

 キリストのからだの頭は、救い主キリストであり、キリストの御霊がイエスのことばを思い起こさせて真理を教え、神の国へと導きます。

 

 アダムは、キリストの律法に服従しません。キリストの御霊に服従できないのです。

 アダムのからだ(肉)に死んで、キリストのからだ(御霊)に生まれ変わらなければ、真理の御霊(永遠のいのち)を受けることはできません。

 

 「もしイエスを死者の中から甦らせた方(父なる神、いのちの根源であられる生けるまことの神)の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中から甦らせた方(全能の神、新しい創造をされる創造主)は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(神の子羊イエスのように、一度死んでも死から甦り、復活のからだ〈御霊のからだ〉を得て、神のみもとに帰るのです)」(ローマ8:11)

 

 アダムのからだ(肉のままの人)は、肉に従って生きて罪の中で死に、永遠に神から離れます。

 キリストのからだ(御霊による新しい創造を受ける新しい人)は、御霊によって(肉の)からだの行ないを殺して御霊に導かれると、神の子どもとされて、永遠のいのちを受けて、天の御国に入るのです。

 

 終わりの時代、アダムのからだと、キリストのからだとは、明確に分かれます。

 肉のままの人と、御霊の人とは、生きる次元が異なります。