パウロは言います。
「(主にある)兄弟たち。(天の御国にはいる人たち)私(パウロ)を見習う者になってください。あなたがたと同じように私たち(使徒たちの信仰の生き方)を手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。(成人している信仰者の生き方に目を留めてください)
というのは、私(パウロ)はしばしばあなたがたに言って来たし(忠告して来たし)、今も(信仰の脱落者たちに心を痛め)涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。(信仰告白した最初の愛から離れて、つぶやく者、感謝のない者、不信仰な者、神に背く者として歩んでいます。罪を言い表わしキリストの血によって神と和解した者の歩みをしていません)
(キリストの血の贖いをないがしろにする)彼らの最後は滅びです。(「豚は身を洗って、また泥の中に転がる」とかいう、ことわざどおりです。」[ペテロ第二2:22]キリストの血によって罪が贖われてきよめを受けた後に、また闇を愛して罪を犯す彼らの目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らは呪いの子です。彼らは正しい道〈天の御国に向かうキリストの道〉を捨ててさまよっています。[ペテロ第二2:14,15])
彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光(誉れ)は彼ら自身の恥(神には認められない地に属するもの)なのです。彼らの思いは地上のことだけです。(彼らに用意されているものは、真っ暗な闇〈闇の暗黒〉です。彼らは、むなしい大言壮語を吐いており〈自分は真理を知り、神に通じている者であるかのように高ぶって大きなことを言い〉、誤った生き方をしていて、ようやくそれを逃れようとしている人々を肉欲と好色によって誘惑し、その人たちに自由を約束しながら、自分自身が滅びの奴隷なのです。[ペテロ第二2:17-19])」(ピリピ3:17-19)
使徒パウロは、キリスト信者たちの歩みを見て嘆きます。
「主イエス・キリストのしもべ」を名乗りながら、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからです。
キリストの十字架は、ユダヤ人と異邦人との間にあった壁を打ち砕き、十字架によって一つのものとしました。
肉において異邦人であった者も、キリスト・イエスの中にあることにより、キリストの贖いの血によって神に近い者とされました。
しかし、彼らは和解を拒みます。
キリストは、ご自分の肉(十字架で裂かれた神の子羊イエスの肉)において、神の契約を持つ割礼の民(ユダヤ人)と、他国人で望みもなく神もない無割礼の民(異邦人)との二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、敵意を廃棄された方であり、私たちの平和です。神の子羊イエス・キリストにあって、とこしえの平和が訪れます。
「神の子羊イエス・キリストは、二つのものをご自身において新しいひとりの人(キリストを頭とするキリストのからだ、すなわち、神の子どもたち)を造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者(ユダヤ人と異邦人)を一つのからだ(キリストのからだ)として、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
それからキリストは来られて(宣べ伝える者によって伝えられて)、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
(神が遣わされた救い主、神の子羊イエス・キリストを信じる)私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。(キリストは神の子としてくださる御霊を与えてくださったので、私たちは御霊によって、父なる神を「アバ、父。」と呼びます)
こういうわけで、(主イエス・キリストを信じ、キリストの御霊を受けた)あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒(神の民)と同じ国民であり、神の家族なのです。」(エペソ2:15-19)
「主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれ(世の汚れや罪)に巻き込まれて征服されるなら(再び罪につながれて罪の奴隷となるなら)、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。
義の道(十字架の主イエス・キリストの罪の贖いを信じて罪を悔改めて神と和解し、永遠のいのちを得させてくださるキリストの御霊を受けて、この世の思いを捨てて、いのちの道へと導く御霊とともに歩む義の道)を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令(互いに愛し合うこと)にそむくよりは、それ(真理の教え)を知らなかったほうが、彼らにとって良かったのです。(真理の教えを知らずに罪を犯した者のほうが罰が軽いのです)」(ペテロ第二2:20,21)
キリストを信じながら、互いに憎み合う者に、真理の御霊は留まっていません。
キリストのからだに、不調和はありません。
頭はキリストであって、御霊が、すべての神の子らを一つにするのです。御霊は、キリストの御思いを知り、一人一人に知らせてくださるからです。真理の御霊は、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教えてくださいます。真理は一つです。また、御霊は一つであり、信仰は一つです。頭なるキリストの御思いは、赦しと愛と平和です。
国籍も民族も宗教も、隔ての壁とはなりません。
キリストの御霊によって教えられる人はみな、一つの御霊によって、キリストのからだであり、神の家族なのです。
キリストを信じたアラブ人はユダヤ人の兄弟となります。もはや、敵対する霊が敵意をもたらすことはありません。一つの御霊によって教えられるからです。
ユダヤ人にとっても、キリストにある兄弟のアラブ人は、天の国籍を持つ同じ国民となるのです。
本当に御霊に教えられるならば、ユダヤ人を憎む者ではなくなります。また、イスラエルに敵対する者ではなくなります。御霊が互いの間に愛を置いてくださいます。
キリストの御霊の愛によって、互いの間には、平和があるのです。
キリストの十字架に敵対して歩む多くの信者たちに心を痛めながら、パウロは私たちに言います。
「けれども、私たちの国籍は天にあります。
そこから(天から)主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ3:20)
これから、日本列島の中で、天の国籍を得る人たちが多く起こることでしょう。
日本国籍を求める外国人もいるでしょうが、私たちは、天の国籍を得るために天に思いを向けましょう。
「私たちの卑しいからだを(原罪を持つ肉のからだは聖くなるために、自分の思い通りにならない肉の死を体験し、御霊により、生かしてくださる方への感謝と喜びと祈りをささげつつ、それでもなお、この世の誘惑と戦い続ける死ぬべきからだの私たちを)、ご自身の栄光のからだ(死から甦られた神の子羊イエスの復活のからだ〈御霊が与えてくださる霊のからだ〉)と同じ姿(御霊のからだ)に変えてくださるのです。」(ピリピ3:21)
私たちが目指すものは、永遠のいのちであり、天の国籍です。
私たちは、生ける神の都、天にあるエルサレム、いのちの木のある都、無数の御使いたちの大祝会(千年王国)に近づいているのです。