ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

以外と知られていない世の摂理と人類の定め

 

 人は人生の中で、多くの死別を体験します。

 祖父母、親族、父母、隣人、友人、知人、子ども、ペットに至るまで、生きて動いていたものが冷たくなって硬くなる。

 死とは息をしないこと、魂が抜けること、動物が静物になること。

 

 多くの死を体験しながらも、普段の生活での実感は薄いものです。身近なものの死に遭遇すると、生き物は本当に死ぬんだ、と我に返ります。

 わかっていたはずなのに、知らなかったのです。

 

 仏教の教祖である仏陀は、生老病死の苦しみからの解放を求めて、出家しました。そして、悟ったことは、生老病死の苦しみにまとわりつく煩悩(欲望、心の迷いと汚れ)の存在であり、煩悩からの解脱をめざす先には悩み苦しみを超越した「空(くう)」なる場所があることでした。

 死をも恐れない精神的世界、煩悩の働かない全き魂の世界。

 暗闇の向こうにある、うっすらと見える光。人間界ではない崇高な世界。

 

 うっすらと見えてはいるけれども、生身の人間にはたどり着けない「空」なる場所。しかし、その「空」を求める心は真実であり、切望に近い憧憬の念に魂は揺さぶられます。

 「空」は悠久の静けさと魂の安息の場所なのに、それを求める心は静かな安息を求めて激しい炎の中をくぐるようです。

 

 仏陀は弟子たちにことばを残しました。悟りの教えではなく、「空」を求め続けた仏陀が悟った真理のことばを残しました。

 「私(仏陀)の後に(すなわち、仏陀が入滅して仏陀の生きて働く時代が終わった後で)、私(仏陀)が悟った悟り「空」を実践して生きる人が現れる。

 私(仏陀)の後に、「明けの明星」(新しい時代を開く人、すなわち、煩悩から解脱した魂で生老病死の悩みを克服し、「空(くう)」の世界を実現する人、仏陀の悟りを生き様として生き、「空(すべての悩み問題を解決した安息)」の生き方の模範を示し、まことの光へと導き入れてくれる人)が現れる。」

 

 使徒ヨハネは、神の御座の右に着座しておられる神の子羊イエス・キリストから黙示を受けました。

 キリストは、御使いを遣わして、神がキリストにお与えになった黙示を、イエスの弟子のヨハネに告げられたのでした。

 黙示は、これから必ず起こる事を、そのしもべ(主イエス・キリストの弟子)たちに示すために、神がキリストにお与えになったものです。

 

 キリストの御手には、信仰に勝利する七つの御霊の教会がありました。

 彼らの主イエス・キリストが悪魔に勝利を取られて天に上られたように、そのしもべである者たちも悪魔の惑わしと攻撃と妨害に勝利するために、どのような時代をくぐり抜けるのかを事前に知らされたのです。

 

  イエスは弟子たちに話しておられました。

 「あなたがたは、これらすべてのこと(イエスが弟子たちに前もって話しておられた世の終わりの前兆)を見たなら、人の子(御霊によって生まれ、御霊のからだで復活した神の子羊イエス・キリスト)が戸口に近づいていると悟りなさい。(復活の主イエス・キリストの再臨が近づいていることを悟りなさい。すなわち、キリストが治められる新しい世界「千年王国」が地上に起こる時が近づいていることを悟りなさい)

 はっきり言っておく。

 これらのこと(ヨハネに示された黙示録の出来事)がみな起こるまでは、この時代【人間世界】は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしのことばは決して滅びない。(私たちがいま見ている天と地、ノアの時代から保たれている天と地は必ず滅びる。イエスの話したすべてのことが起こるのを見たら、神の国【千年王国】は近いと知りなさい。すべてのことが起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません)」(マタイ24:33-35)

 

 紀元前543年に、仏陀は入滅しました。

 イエスが、ユダヤ人の処女から、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになったのは、紀元前3年から紀元0年の間とされています。

 

 仏陀が啓示を受けた「明けの明星」とは、ユダヤ人の神の御子イエス・キリストのことだったのではないかと思います。

 イエスがお生まれになると、東方の博士たちが星をたよりにベツレヘムの幼子イエスのもとに訪れ、幼子を見、ひれ伏して拝んでいます。

 東方の博士たちは、「ユダヤ人の王」としてお生まれになった方の星を見て、拝みにやって来たのでした。彼らは、幼子イエスに、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげました。

 この東方の博士たちは、仏陀の残した預言「明けの明星」の出現を待ち望み、星で知らせを受けて、ユダヤ人の王として生まれた方(イエス)がその新しい時代を開く「明けの明星」だと信じてやって来たのではないかと、私は考えています。

 

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」と聖書にあります。

 死ぬことはわかっていても、死後に裁きがあることを知る人はどれくらいいることでしょうか。

 

 また、仏陀が夢見た「明けの明星」が開く新しい世界。争いは止み、永遠のいのちを得る「いのちの木」が都にある世界。

 エデンの園の回復する世界。神と人との隔てはなく、すべての人を覆う神の愛と恵みと豊かさと、正義が治める世界。

 

 仏陀が夢見た涅槃が地上に実現したすがたの世界です。

 古神道「日月神示」のいう「弥勒(ミロク)の世」です。大峠を越えて現れる「半霊半物」の世界です。汚れなく草木も喜ぶ、健やかな自然界と回復された被造物の世界です。

 キリスト教で言われる「千年王国」です。患難期をくぐり抜けて夜(闇の世)が明けます。被造物は回復されて本来のすがたにもどり、天から来られるキリストによって治められる世界です。都にはいのちの木があり、いのちの書に名前のしるされた人たちはいのちの木の実を食べて「永遠のいのち」を得ます。

 すでに、永遠のいのちと御霊のからだを得ている復活の新しい人(神の子ども)もいます。また、宇宙の堕天使たちの魂は、女から生まれる人間となって肉体をもっていることでしょう。彼らもまた罪を悔改めて、いのちの木の実を食べる恵みの時です。

 霊のからだの人もいれば、肉のからだの人もいる世界です。

 

 こうして、千年の間に、キリストにつく霊のからだの人と、いのちの木を食べることなく肉のからだのままの人とがはっきりと分かれます。

 

 天地が滅びるなんてことは、起こりはしないと思っていた人々もいます。

 地球は滅びると危ぶんで、ほかの惑星に移住する計画を立てていた人々もいます。

 神の御霊に導かれるまま、身魂をきよめ、信仰をもって、新しい世界のために備えていた人々もいます。

 

 「千年王国」が始まると、その世界にはいる人はみな、人間の世界が終わったことを知り、神の御子イエス・キリストに治められる世界を体験して霊のからだの人たちに支配されるのです。また、天地が滅びるのを見ます。

 

 天地が滅びると、すべての死んだ人々は神の白い御座の前に立ちます。

 死んだ人々は、数々の書物に書き記されているところに従って、自分の行ないに応じて裁かれます。ひとりひとりの行ないは、書物に記録されているようです。

 そして、「いのちの書」に名前のしるされていない者はみな、死とハデス(死者のいた黄泉)が投げ込まれた火の池に投げ込まれます。

 

 天と地が滅びること、また、死後に裁きを受けることとは、神に定められていることなのです。

 

 霊のからだ(神の新しい創造、御霊によって生まれ御霊によって造り変えられた新しい人【第二のアダム、キリストのからだ】)の人たちは、永遠のいのちをもっており、霊のからだの人たち(神の子ども)が永遠に生きる「新しい天と新しい地」(滅び行く物質や現象の天と地ではなく、私たちが見たことも聞いたことも味わったこともない、全く新しい次元の新しい天と新しい地)にはいって、キリストとともに天の御国を相続し、とこしえの安息を得るのです。