ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

永遠のいけにえ

 

 レビ族の祭司のささげる生贄は、神に近づく人々を完全にすることができませんでした。もしそれができたのであったら、年ごとにささげられる生贄は止んだはずです。

 雄牛とやぎの血は、罪を除くことはできませんでした。それゆえ、生贄は年ごとに絶えずささげられました。

 

 キリストは、この世界に来て、こう言われました。

 「あなた(父なる神)は、生贄やささげ物を望まないで、わたし(神のひとり子)のために、からだ(人間と同じ肉体)を造ってくださいました。

 あなたは全焼の生贄(神の怒りを鎮め御心を慰めるための動物の生贄)と罪のための生贄(罪の贖いのための動物の生贄)とで満足されませんでした。(人間の罪があまりにも欲望に満ち、神の御旨を踏みにじる暴虐に満ちたものなので、動物の血では、贖いきれません。神は、最後の切り札、最後の手段として、完全な生贄、罪のない聖なる「人の子」の生贄を用意されました)

 そこでわたし(キリスト)は言いました。

 『さあ、わたしは(神のひとり子は「人の子」となって)来ました。

 聖書のある巻に、わたし(キリスト)についてしるされているとおり、神(イスラエルの神、神の御子キリストの父)よ、あなた(父)の御心を行なうために。』」(へブル10:5-7)

 

 キリストは、初めに、「あなた(天地万物を造られた全能の主、イスラエルの神)は、(動物の)生贄とささげ物、全焼の生贄と罪のための生贄(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした。」と言いました。

 

 ベニヤミン族から出たサウル王は、神が聖絶せよと仰せられた戦利品の中で最上のものを、神へのささげ物として取って置きました。

 するとサムエルは言いました。

 「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼の生贄や、その他の生贄を喜ばれるだろうか。(神は、「分捕り物を残してはならない。すべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。」と仰せられたのです)

 見よ。(神の命令に)聞き従うことは、生贄(神のために犠牲を払うこと)にまさり、(神の御声に)耳を傾けることは、雄羊の脂肪(神が喜ばれる最も上質なささげ物)にまさる。

 まことに、(神の命令に)そむくことは占いの罪(神の霊ではないほかの霊に頼る罪)、(神の霊に)従わないことは偶像礼拝の罪(神がもっとも忌み嫌われる罪)だ。」(サムエル第一15:22,23)

 

 こうして、サウル王は王位を取り除かれました。

 ベニヤミン族のサウル王は、主のことばを退けたので、主もまたサウルを王位から退けられました。

 神は、御自身のために、ユダ族のダビデに油を注いで、イスラエルの王とされました。ダビデの心をご覧になった神が、ダビデをイスラエルの王とされたのです。

 

 神に聞き従う者が、神に必要なしもべです。

 神は、動物の生贄に満足されませんでした。

 神に聞き従い、神と一つである神のひとり子に肉体を造って「人の子」とし、神に聞き従う完全な人の子の血を、罪の贖いの血として要求されました。

 

 キリストは言われました。

 「さあ、わたし(「人の子」となった神のひとり子)はあなた(父なる神)の御心を行なうために来ました。」(へブル10:9)

 キリストは、ご自身の肉体を生贄としてささげ、全き聖なる血を、父なる神にささげるために、来られたのです。

 

 神の望まれる生贄(罪のない「人の子」の血のささげ物)を立てるために、前者の生贄(動物の血のささげ物)は廃止されました。

 

 神の御心は、神の御子イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、すべてのものが聖なるものとされることです。

 

 レビ人の祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じ生贄(動物の生贄)をくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。完全な生贄ではないからです。

 「しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえ(罪のない聖なる「人の子」の血)をささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵(悪魔)がご自分の足台となるのを(反キリストが支配する三年半が満ちてキリストが反キリストの勢力をことどとく破るその日まで。すなわち、悪魔が民をメギド山〈ハルマゲドン〉に召集して、天から来られるキリストと天の軍勢の応戦するハルマゲドンの戦いで、キリストと天の軍勢が勝利するその日を)待っておられるのです。」(へブル10:12,13)

 

 神は、「人の子」となられた神のひとり子キリストの勝利と、悪魔の永遠の敗北とを定めておられます。

 すでに、勝敗の定まっている戦いの中で、私たちは生きています。その中で、キリストにつくのか、反キリストにつくのか、人間みずから一人ひとりが選択して自分自身で永遠の場所を決めているのです。

 

 キリストの血は、罪を贖いきよめます。

 「イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」(へブル10:10)

 信じる者は罪が贖われて聖とされますが、信じない者の罪は残ったままです。

 

 「キリストは聖なるものとされる人々(キリストの血の贖いを信じる人は、キリストを遣わされた神を信じる人々です)を、一つのささげ物(肉体を持つ人の子となられた神のひとり子キリストの肉体)によって、永遠に全うされたのです。」(へブル10:14)

 

 「(神の子羊)イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道(永遠のいのちを得させる信仰の道)を設けてくださったのです。」(へブル10:20)

 レビ族の大祭司だけがはいることのできる至聖所の垂れ幕は天から地に向かって裂かれました。イエスの肉体は、天と地を隔てていた垂れ幕(神と人とを隔てていた罪の呪い)を破って、神との和解を実現したのです。

 

 神は、神と和解する人たち(神の御子イエス・キリストを「主」と告白する人たち)に対してこう言われます。

 「わたし(主)は、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」(へブル10:17)

 最後の裁きをされる裁き主が、「(神のひとり子キリストを信じて心に割礼を受ける)彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」と仰せられるのです。なんと、心強く有難いことばなのでしょうか。

 

 神は、キリストの血、この一つのささげ物によって、罪の贖いが、永遠に全うされた信仰の人々に、聖霊をお与えになります。

 主イエス・キリストが設けられた新しい生ける道(天の御国にはいるいのちの道)へと導くために遣わされる「もうひとりの助け主」であられる「真理の御霊」です。

 

 聖霊は、神と和解した私たちに、次のように言って、神との和解が確かなことを証しされます。

 「それらの日の後(永遠のいけにえ、キリストをささげた後)、わたし(イスラエルの神)が、彼ら(神が遣わされた神の御子キリストを信じる人たち)と結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。

 『わたしは、わたしの律法(天の御国の法を教える御霊)を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。(古い肉の思いを殺して、新しい御霊の思いによって新しい人に造り変える)』

 

 このことは、エレミヤの預言の成就です。

 「彼らの時代の後に(モーセの律法を守る時代がキリストにより完成された後に)、わたし(イスラエルの神)がイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。(ユダヤ民族の律法と詩篇と預言者はキリストにより完成するので、神は最初の契約を古いとし、新しい契約を結ばれる)―主の御告げ。―

 わたしはわたしの律法を(文字ではなく)彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。(神は、一人ひとりにキリストの御霊を心に授け、人は御霊によって真理を教えられる)

 わたし(イスラエルの神、キリストの父なる神、主)は彼ら(心に割礼を受ける人たち)の神となり、(御霊によって教えられる)彼らはわたしの民(神の御子とこしえのイスラエルの王キリストの国民)となる。

 そのようにして、(神が開かれる新しい世界「千年王国」では)人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたし(永遠のいのちを得させるイスラエルの王キリスト)を知るからだ。」(エレミヤ31:33,34)

 

 永遠のいけにえ(神の子羊イエス・キリストのからだ)はすでにささげられ、永遠に全うされました。

 

 キリストの約束を受けたユダヤ人たちは、いつまでも残る財産(キリストにいただいた永遠のいのち)を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。自分の身分も地位も財産も、永遠のいのちに比べたら、束の間の幻です。

 

 彼らは言います。

 「私たちは、恐れ退いて(キリストを否んで)滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」(へブル10:39)