ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

肉で生まれた魂が 永遠のいのちを得て天に帰る

 

 「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)

 

 神は、御自身のひとり子、すなわち、御子のために、御子とともに、人を造られたようです。人は偶然現われたものでもなく、何かから進化した生きものでもありません。

 天地万物を造られたおひとりの神によって、目的をもって造られ、神のひとり子のために存在するものです。

 

 人は、人として造られた、神の被造物の一つです。

 鳥や地の生き物、家畜も獣も、それぞれの種(しゅ)に従って、土から造られています。人も土から造られています。すべての生き物は同じ物質から造られていますが、それぞれの種に分けられています。

 それゆえ、生き物も植物も、いのちを失うと土に還ります。土から取られたものなので、いのちが取り去られて役目を終えると、もとの状態に還るということです。

 

 同じ土から造られていますが、出来上がりの肉は異なります。

 

 「神は、御心に従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。

 すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。

 また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており(天上のからだは魂の美しさそのものです。魂の栄光は、永遠に残ります。地上のからだは一時的な肉です。その肉はやがていのちを失い、土に戻ります。まるで、シンデレラにかけられた魔法のようです。魔法の期限が満ちて魔法が解けると、もとの姿に戻ります。しかし、美しい魂であるならば、肉のからだを失っても、天に招かれ天上のからだを着せられて、永遠に生きるのです)、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。(いのちの水〈生ける水の川〉を流して人々を生かし、いのちの根源であられる主〈父なる神〉の栄光を現わす太陽の働きもあれば、生ける水である聖霊の栄光を現わして神をほめたたえる月の働きもあれば、救い主キリストの御名をほめたたえて闇の世に光をともす星々の働きもあります)

 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ(肉のからだで生まれ)、朽ちないものによって甦らされ(御霊のからだで新しく生まれ)、卑しいもので蒔かれ(土から造られた肉のからだで造られ)、栄光あるものに甦らされ(御霊のいのちを受けて御霊のからだで死から生まれ)、血肉のからだで蒔かれ(女から生まれる人の子として生まれ)、御霊に属するからだに甦らされるのです。(神の子どもに造り変えられるのです)」(コリント第一15:38-44)

 

 肉で生まれたものが、肉の死によって土に還ることは、神の御心ではありません。

 女から生まれた肉のからだの「人の子」を、神の御霊により新しい創造を施して、「神の子ども」に造り変えることが、神の御心です。

 

 地上で生まれた「人の子」に、神が用意された罪の贖いの「神の子羊の血」をかけて、聖別されます。

 古代ユダヤでは、生贄の血を振りかけて、聖別しました。神は、古代イスラエルに命じたそのきよめを、御自分の御子の肉のからだで成し遂げられ、古代ユダヤの律法を完成されました。

 

 神は、肉のからだの人に、神の子羊イエス・キリストの血を注ぎかけて聖別されます。神の子羊イエスの血を受けた人、すなわち、神の子羊イエス・キリストの罪の贖いのみわざを信じた人、信仰によって受け取った人、十字架につけられたイエスが神の御子キリストであることを信じた人が、自分の罪を言い表わすならば、神はその罪を赦してきよいと宣言し、信仰によって罪が赦された人を、神が「義」とされます。

 

 神が義とされた人を、人々は訴えることができません。神に義とされた人の罪は、神の子羊イエス(神の御子キリスト)が身代わりとなってすでに処罰されているからです。

 

 神の御心は、地上に生まれた肉の人を、神が天から遣わされた神の子羊の罪の贖いの血を注いで、罪を取り除いて義とし、キリストの御霊による新しい創造を施して、天上で永遠に生きる御霊の人に造り変えることです。

 

 「血肉のからだ(肉のからだ)があるのですから、御霊のからだ(復活のからだ)もあるのです。」(コリント第一15:44)

 

 魂は、世の始まりにはすでにあったようです。天地万物が造られる以前から、魂は存在していたのです。

 

 「さて、人が地上に増え始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘が、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分の妻とした。」(創世記6:1)

 

 罪を犯しエデンの園から追放された人(アダムとエバ)の置かれた地には、すでに、「神の子」と呼ばれる者たちが住んでいました。

 ネフィリム(巨人)と呼ばれる、昔の勇士たちもいたようです。

 すなわち、地球上には、土から造られた人(アダム)が造られる以前から、人以外の生命体がいたということになります。

 

 初めからあった魂は、土の器(肉のからだ)の中だけではなく、ほかのからだの中にも入っていたのです。それが、私たちが「宇宙人」と呼ぶ地球外生命体でしょう。

 アダムが地上に置かれた時に地球上にいた者は、「神の子」でした。すなわち、かつて「神の子」として、全き光の天に存在していた天使たちなのでしょう。

 

 天地創造の遥か以前に、天から追放された堕天使長ルシファーとともに天から出て行った堕天使たちだと、私は思っています。

 堕天使長は漆黒の闇の中で悪魔と化し、堕天使長に忠実な堕天使たちは、神のひとり子に敵対して神に反逆する悪魔につく悪霊どもとなったのでしょう。

 

 天から追放された堕天使たちのうち、悪霊にならなかった堕天使たちは多勢います。その堕天使たちは、それぞれの銀河の生命体として存在しているのでしょう。

 これらの堕天使は、もともと全き光の天で神に仕える光の天使たちであって、光を懐かしむ者たちです。漆黒の闇(宇宙)に神が造られた様々な銀河の中で、おのおの存在し続けていたのでしょう。

 

 神は、それらの堕天使たちの中に、闇を憎む者、すなわち、悪魔と悪霊どもと心一つにしない神の子らをご覧になって、彼らのために、復帰の恵みを用意されたのでしょう。

 

 そして、いよいよ神は、漆黒の闇(宇宙)に「光あれ。」仰せられたのです。

 光を求める神の子ら(堕天使たち)に、悔い改めときよめの場所を用意されました。それが、エデンの園だったと思います。

 

 光を求める堕天使たちの試みの場所です。全き光の世界、神のみもとに帰るための試験会場です。

 少しでも暗いところがある神の子ら(堕天使)は、悪魔の罪をともにする善悪を知る知識の木の実を選ぶことでしょう。彼らには、天の御国の王子である神が愛される神のひとり子にへりくだって仕える心はありません。

 悪魔の罪をともにしない神の子ら(堕天使)は、いのちの木の実を選ぶことでしょう。彼らの心は、神のひとり子を仰ぎ、神のことばと一つです。

 

 この堕天使たちの魂の試験会場であるエデンの園を管理する管理者として、神はひとり子とともに、ひとり子のために、人を造られました。

 土から造った人です。堕天使たちの中から最も良いと思われる堕天使の魂を選んで、アダムとエバを造られたのでしょう。

 

 見た目は、土から造られた人のからだです。肉体の人は、霊のからだの堕天使(神の子)よりも劣っています。

 自分よりも劣って見える「人」の支配にへりくだらなければ、試験に合格しません。

 

 堕天使たちの心は、神の御子に低いものではありませんでした。

 神のひとり子も、神の子である御使いたちも、神に仕える神の子です。天使長ルシファーと彼に率いられる神の子(天使)らは、神の御子の神格を妬みました。

 「いと高き方(天使たちに仕えられるはずの神格を持つ神の御子)のようになろう。」と企てたのです。

 

 地上に「人の子」として、女から生まれる堕天使たちの魂は、宇宙に生息する堕天使(神の子)たちの中でもエリートです。神の御子にへりくだる正しい立場に近づいている魂です。

 

 地球に集められている魂は、そのような、宇宙の試験に合格して来た堕天使たちの魂ではないかと思います。

 

 美しく光り輝く青い星、太陽系銀河にあるいのちの星地球は、堕天使たちの最終試験会場なのではないでしょうか。

 「人」の魂の試験がほぼ完成されると、次には、千年王国で、宇宙生命体である堕天使の魂が、いのちの木の実を食べる恵みの時となるように思います。

 エデンの園の回復の世界であり、御霊によって新しい創造を受けた御霊の教会の人たち(死から復活する第二のアダム)が支配する世界です。

 王であるキリストとともに、第二のアダムが管理者となって世界を支配するのでしょう。

 

 地球上の人類はこれから、光の子と闇の子に二分されます。天に向かう魂と、地に属する魂にです。上に上がる魂(救われる魂)と、地に下る魂(滅びる魂)です。

 神のひとり子(人の子イエス・キリスト、御霊)につく魂と、神のひとり子を妬む堕天使長悪魔(反キリスト、獣の霊)につく魂に、二分されるのです。

 

 世はハルマゲドンの戦い(キリストと悪魔、天の軍勢と反キリストと偽預言者との戦い)に向かっており、ハルマゲドンの戦いでキリストと天の軍勢が勝利すると、反キリストとその軍勢は火の池に投げ込まれて、地がきよめられ、また、悪魔は縛られて千年の間穴に封印されます。そして、千年王国がスタートするのです。

 

 しかし、現在は、人として地上に生まれてきた魂の試みの時です。

 肉で生まれた魂である私たちは、肉なるアダムのままの魂で生命を閉じないようにしましょう。

 アダムの肉の性質は苦難と火のバプテスマ(試み)と神の懲らしめによって死に、御霊によって新しく生まれる第二のアダム(キリストのからだ)に造り変えられて、永遠のいのちを得て、魂の故郷、天に帰るならば、その人は、神の御心どおりのいのちの使い方をして、魂を死と滅びから取り戻すこととなります。

 

 肉のまま死ぬのはよしましょう。

 せっかくいのちの恵みをいただいて、人として生まれたからには、真摯に魂の試験に取り組んで、信仰によって、永遠のいのちを勝ち取りましょう。

 

 勝利する魂には、全き光の世界の中に、愛と喜びと感謝と楽しみと平安と安息が用意されているのです。

 偽りと邪悪と憎悪と暴虐に満ちた、魂に平安のない漆黒の闇から解放されて、自由の律法、聖霊の満ち満ちた喜びと賛美の世界に向かって、御霊とともに一歩一歩歩んでまいりましょう。そこで、再び、神の子どもに造り変えられた魂は一つに集うのです。

 

 全き光にあった魂は、神のひとり子にへりくだることを拒んで、天から追放されました。

 ご自分を拒んだ魂を救うために、神のひとり子は「人の子」となって来られ、人の罪を赦し、ご自身のからだを人の罪の身代わりとされました。

 天から来られた救い主神のひとり子に繋がることは、神との和解であり、全き光の天に帰る神の恵みの道であり、永遠のいのちの道なのです。