「祭司ザカリヤの妻エリサベツがみごもり、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
御使いは、入って来ると、マリアに言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。』
しかし、マリアはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
すると御使いが言った。『こわがることはない。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。(ナザレの町の処女マリアは、「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル(主が私たちとともにおられる)』と名づける。」と書かれたイザヤ書7:14の、主みずから、イスラエルに与えられる御救いのしるしを受けたのでした。そうです。七百年も以前に預言者イザヤを通して、神がイスラエルに約束されたキリストを宿す処女として、マリアは選ばれたのです)
ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエス(神〈ヤーウェイ〉は救い、の意)とつけなさい。
その子(イエス)はすぐれた者となり、いと高き方の子(神の御子)と呼ばれます。また、神である主は彼(イエス)にその父ダビデの王位をお与えになります。(イエスは、神が救い主として遣わすとイスラエルに約束しておられた「ダビデの子」です)
彼(ダビデの子イエス)はとこしえにヤコブの家(アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族十二部族)を治め、その国(神の御子イエス・キリストが治めるイスラエル王国)は終わることがありません。(キリストがダビデの王座に着いて治める「とこしえのイスラエル王国」は、永遠の国です)』
そこで、マリアは御使いに行った。『どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。』(マリアは、処女の自分が子を宿すことの不思議を思いました。ユダヤには神の律法があって、夫以外の男の子どもを宿す不貞の罪は死刑で処罰されます。15歳前後のマリアは、ユダヤ人たちからどのような仕打ちを受けるか、という思いには至らなかったようです。ただ、御使いの「神の恵み」ということばが心に残ったのでしょう。マリヤには許嫁のヨセフがいました。ヨセフの妻に決まっていたのです。しかし、マリアはヨセフへの気遣い、自分の身に及ぶ危険ということを思い描かなかったのです。マリアの心は地上ではなく天上のことばにおおわれていたのです)
御使いは答えて言った。
『聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、(聖霊によって宿った)聖なる者、神の子と呼ばれます。
ご覧なさい。あなたの親類の(不妊の女)エリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。(エリサベツもまた、神の御使いが現れて、男の子を産むことと、その子の名をヨハネとつけるようにと言われ、御使いに言われたとおり、不妊のエリサベツは妊娠していました。そのヨハネは、イスラエルの多くの子らを、彼らの神〈イスラエルの神〉である主に立ち返らせる者として生まれ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、整えられた民〈キリストの宣教に耳を傾ける民〉を主〈ヨハネの後から来られる神の御子主キリスト〉のために用意するバプテスマのヨハネです)
(大祭司アロンの血を引くエリサベツは)不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。(エリサベツの親族であるマリアもまた、大祭司アロンの血統の人のようです。マリアは、ダビデの血とアロンの血の両方の血縁を持つ人なのでしょう)
神にとって不可能なことは一つもありません。』
マリアは言った。『ほんとうに、わたしは主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり(神の御旨のままに)この身になりますように。』
こうして御使いは彼女(マリア)から去って行った。」(ルカ1:26-38)
マリヤは、ユダの町のエリサベツのところへ行って三か月ほど滞在しました。
エリサベツがマリアのあいさつを聞いた時、子(バプテスマのヨハネ)は胎内でおどり、聖霊に満たされて言いました。
「あなた(マリア)は女の中の祝福された方。あなたの胎の実(いと高き方の子、神の子)も祝福されています。
私の主の母(イスラエルを救う方キリストを宿しているマリア)が私のところに来られるとは、何ということでしょう。」(ルカ1:42,43)
そして、エリサベツはマリアに言いました。
「主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、何と幸いなことでしょう。」(ルカ1:45)
「先生。永遠のいのちを得るには、どんな善い事をすればよいのでしょうか。」と尋ねる人に答えたイエスのことばを聞いて、イエスの弟子たちは非常に驚き、「それでは、だれが救われるだろうか。」と言いました。
「イエスは彼らを見つめて、『それは人間にできることではないが、神は何でもできる。』と言われた。」(マタイ19:26)
「神にとって不可能なことは一つもありません。」御使いガブリエルがマリアに言ったことばは、天上の信仰です。
イエスが、「永遠のいのちを得るための御霊の律法は人にはできないことですが、神にはどんなことでもできる。」と言われたのも、天上の信仰です。
マリアは、天上の信仰を持つ者でした。
マリアは無原罪の女だったわけではありません。罪を犯したエバから生まれた人類はみな、罪を犯しているのです。その証拠に、人はみな死ぬのです。死は罪の報酬だからです。死を迎えることは、罪を持つ証です。肉体には、原罪が宿っています。妬みや怒りや憎しみや嘘、それらの感情や言動の源が宿っているのです。そのままでは、全き光の天に入ることはできない罪人なのです。
マリアは、イエスを産んだ後で、夫ヨセフとの間に息子や娘(イエスの血肉の弟と妹)を産んでいます。普通のユダヤ人の女なのです。
ヨセフとマリアが主の律法に従って、幼子イエスを主にささげるために、エルサレムに連れて行き、山鳩一つがい、または、家鳩のひな二羽をささげるために宮に行きました。
エルサレムにはシメオンという人がいました。イスラエルの慰められることを待ち臨む正しい、敬虔な人であり、彼の上には聖霊がとどまっていました。そして、主のキリスト(ローマ帝国の圧政に苦しむイスラエルは、キリストを待ち望んでいました)を見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。
シメオンは、聖霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れたヨセフとマリアが入って来ました。シメオンは、聖霊によって、その幼子が待ちわびていたキリストであることを知ったようです。
シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえました。
「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。(私は、主の約束どおり自分の目で救い主〈幼子イエス〉見ることができました)私の目があなたの御救いを見たからです。
御救いはあなた(主)が万民(全世界の人々)の前に備えられたもので(ユダヤ人から出ました)、(キリストは)異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。(神は、ユダヤ人から出たキリストによって、世界を救い、イスラエルを高く上げてくださいます)」(ルカ2:29-32)
「シメオンは、両親を祝福し、母マリアに言った。
『ご覧なさい。この子(イエス)は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。(イスラエルには、イエスにつまずいて、御救いを失う人が多勢いました。ユダヤ人の多くは神の御子イエス・キリストを信じる事ができませんでした。また、神の子羊イエス・キリストを信じて聖霊を受け神の子どもとされるユダヤ人たちもいます。また、神の御子イエス・キリストを憎みののしり呪ったゆえに、ユダヤ人たちはどこの国へ行っても迫害され憎まれ卑しめられます。そのように、神は、反対を受けるしるしとしてイエスをお定めになっているのです)
剣があなた(母マリア)の心さえも刺し貫くでしょう。(ユダヤ人たちがあなたの子イエスに対する残虐な行いと呪いによって、母親であるマリアの心は死ぬほど痛み悲しみ、苦しむことでしょう)
それは多くの人の心の思いが現れるためです。(神の御子イエス・キリストのことばは、一人ひとりの心に真理の光を当てて、その心にあるものを浮き彫りにさせる「神の国の礎の石」です。礎の石に信頼する者は御救いを受けて神の国に入り、礎の石を信じない者や価値を悟らずに捨てる者やほかの石を礎に置く者たちは決して神の国に入ることができません。神は、天上の信仰を持つ魂を集めるために、神の国の礎の石を地上に遣わされたのです)」(ルカ2:34,35)
マリアは、イエスが十字架につけられるのを見ることになります。ユダヤ人たちが、イエスにつばきを吐き、罵り嘲る十字架、マリアはどんな思いでそこにいたのでしょうか。
イエスは、十字架から弟子のヨハネとヨハネのそばにいる母マリアに言われました。
「女の方。(「ご婦人よ。」この呼び方は、女に敬意を払う文化のない当時のユダヤ社会では珍しいことであり、イエスは、敬意を払って、マリアに話しかけられました)そこに、あなたの息子がいます。(血縁関係のない弟子のヨハネを、マリアの息子と呼びました)」(ヨハネ19:26)
「それからその弟子に『そこに、あなたの母がいます。』と言われた。その時から、この弟子(ヨハネ)は彼女(イエスを産んだマリア)を自分の家に引き取った。」(ヨハネ19:27)
イエスの弟子のヨハネも、母マリアも、天上の信仰を持つ者でした。彼らは、イエスを神の御子と信じ、神の御子イエスのことばに従ったのです。
マリアは、イエスの母マリアでなくなりました。イエスの母ではありません。
マリアは、ヨハネの母となったのです。
キリストは、十字架でご自分の肉に関するすべてのものを除かれました。
神の子羊イエスに、母はありません。肉の兄弟姉妹もありません。人類の罪を贖う神のひとり子です。
父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司として留まっている、義の王、サレムの王、すなわち、平和の王と呼ばれる「メルキゼデク」の位に等しい大祭司となられたのです。
神の子羊イエスは、死から甦られると、世の罪を贖う「神の子羊の血」を携えて、天のまことの聖所に入られました。
神の御子イエス・キリストは、メルキゼデクの位に等しい、とこしえの大祭司となられたのです。
イエスを産んだ母マリアは、神の御子イエス・キリストに仕える、イエスの弟子の一人です。
マリアは、イエスが水を葡萄酒に変える奇蹟を行なったカナの婚礼の時、「あの方の言われることを、何でもしてあげてください。」と言って、神の御子イエスに信頼する、イエスの弟子のひとりだったのです。
マリアは、神がイスラエルに遣わされた神の御子イエス・キリストに聞き従って御救いを受ける、ユダヤ人のひとりの女だったのです。
マリアは、御使いガブリエルに、「本当に、わたしは主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と天上の信仰で応じました。
マリアは、イエスから「あなたの息子です。」と言われた、ヨハネの母となりました。
マリアは、天上の信仰で始まり、天上の信仰で完成した、キリストのからだなのです。
マリアは言うでしょう。
「私は役に立たないしもべです。成すべきことをしただけです。」(ルカ17:10)