「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』
それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」(マタイ2:1-3)
東方の博士たちは、東方の賢者たちです。救いを待ち望む人々でした。彼らは世界を救うとされている「救い主」の存在を知っていたようです。
イエスはサマリヤの女に言われました。
「救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがた(異邦人)は知らないで礼拝しています。」(ヨハネ4:22)
神は、神の祭司の国民ユダヤ人に、救い主を遣わすことを約束しておられました。神がユダヤ民族にお与えになった「聖書」には、この救い主について書かれた律法と詩篇と預言書がありました。
しかし、神の契約を持たない無割礼の異邦人には、知らされていません。救い主が世に現れることも、その救い主がユダヤ人から出ることも知りません。
しかし、東方の賢者たちは、ユダヤ人から救い主が出る事を知ったようです。しかも、その救い主は、世界の王となるお方です。
ユダヤ民族の王ではなく、ユダヤ人から出る世界の王です。
東方の賢者たちは、アッシリア捕囚で離散した北イスラエル王国のユダヤ人だったのでしょうか。
ナタナエルは、「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」と言うイエスに、「どうして私をご存知なのですか。」と尋ねました。
イエスが、ピリポがナタナエルを呼ぶ前に、ナタナエルがいちじくの木の下にいるのを見た、と言うと、そんなことまで知られているのかと驚いたナタナエルは、答えました。
「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」(ヨハネ1:49)
ナタナエルは、イエスの十二弟子のひとりとなりました。
ユダヤ人にとって、キリストは神の子であり、イスラエルを贖うメシアであり、ダビデの王座を再建してイスラエル王国を復興するイスラエルの王である、と考えていたように思います。また、メシアは、死なない方なのです。
「見よ。その日が来る。
―主の御告げ。―
その日、わたし(主)は、ダビデに一つの正しい若枝(とこしえのイスラエルの王)を起こす。
彼(「人の子」となられた神の御子キリスト)は(イスラエルの)王となって治め、栄えて、この国(十二部族が一つの国民として回復したイスラエル)に公義と正義を行なう。
その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。(神により頼まずにひとりで戦っていたユダは神に立ち返って救われ、北イスラエル十部族はイスラエルの地でイスラエルの国民となる)
その王(イスラエルの王)の名は、『主は私たちの正義。』と呼ばれよう。」(エレミヤ23:5,6)
キリストは、イスラエルの王として来られる方です。
神の子羊イエスの公生涯の三年半が満ちると、いよいよエルサレムに入城されました。
弟子のふたりは、ろばの子をイエスのもとに連れて来ました。そして、そのろばの子の上に自分たちの上着を敷いて、イエスをお乗せしました。弟子たちは、ガリラヤ地方の漁師たちです。聖書の学びはしていません。無学な彼らは、自分たちの行為が聖書の預言の成就であることを知らないで行なっていたことでしょう。
「イエスが進んで行かれると、人々は道に自分たちの上着を敷いた。
イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざ(イエスを通して現わされた不思議としるし)のことで、喜んで大声に神を賛美し始め、こう言った。
『祝福あれ。主の御名によって来られる王に。(イスラエルの神の御力を着て神の栄光を現わされたユダヤ人の王イエス・キリストに、また、イスラエルの神に遣わされて来られたイスラエルの王に、祝福あれ)
天には平和。(約束のキリストを遣わされた神が、キリストを喜んで迎えたイエスの弟子たちをご覧になって安息されますように。また、天に喜びと平和がありますように)
栄光は、いと高き所に。(神の栄光が、天に満ちあふれますように。私たちは、神を信じ、神の御子イエス・キリストを信じたのですから)」(ルカ19:36-38)
このことは、約五百年前の預言者ゼカリヤの預言の成就でした。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ9:9)
イエスは、ユダヤ人たちにたとえ話をされました。
「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナ(一ミナは約百日分の労賃に相当する額)を与え、彼らに言った。
『私が(王位を受けて)帰るまで、これで商売しなさい。(私が出かけている間、与えた十ミナ〈おのおの一ミナずつ〉で商売しなさい)』
しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王になってもらいたくありません。』と言った。
さて、彼が王位を受けてかえって来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。」(ルカ19:12-15)
これは、イエスが十字架で死に、死から復活した後で天に上り、父なる神から主権(王位)と光栄(聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威)と国(キリストの御霊によって新しく造り変えられた新しい人の国、御霊の教会が国民である「とこしえのイスラエル王国」)を受けて、再び、天から来られて、イスラエルの王となられることの、たとえ話でした。
十ミナを預けた人々のうち、一ミナで十ミナをもうけた人には十の町の支配を与え、一ミナで五ミナをもうけた人には五つの町の支配を与えました。
しかし、主人の厳しさを恐れた人は商売をせずに、風呂敷に包んでしまっておきました。主人は彼に言いました。
「悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。(あなたは神を信じず、不信仰ゆえに神を恐ろしい方だと考えて神の賜物を用いることをせず、御霊に不従順であった)私(主)が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取る厳しい人間だと知っていた、というのか。
だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。(キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人にゆだねなさい。[テモテ第二2:2])そうすれば私は帰って来たときに、それ(一ミナ)を利息といっしょに受け取れたはずだ。」(ルカ19:22,23)
すると、主人はそばに立っていた者たちに言いました。
「『その一ミナを(神を恐ろしい方であると考えるその不信仰な)彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。(彼ならば、賜物を正しく管理して主人の心を喜ばせる働きをし、賜物をもって神の栄光を現わすのだ)』
すると、彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています。』と言った。
彼(王位を受けて帰って来たキリスト)は言った。
『あなたがたに言うが、だれでも持っている者(賜物を用いる者)は、さらに与えられ、持たない者(賜物を用いない者)からは、持っている物までも取り上げられるのです。(御霊に聞き従う忠実なしもべに多くの賜物が与えられ、聞き従わない者からは、分け与えられている賜物さえ、賜物を用いるほかの人に渡されるのです)
ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。(イスラエルの王として戻って来られる神の子羊イエス・キリストを憎んでいる国民もいました。そのような人たちは、いのちの書から名前が消されるのです。いのちの書に名のしるされていない人たちは、神に背く悪魔の民と同じ裁きを受けます)」(ルカ19:24-27)
十字架にかかる前に、イエスは、総督ピラトの前に立たれました。
すると、総督はイエスに『あなたは、ユダヤ人の王ですか。』と尋ねた。イエスは彼に『その通りです。』と言われました。(マタイ27:11)
イエスの十字架の罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてありました。
主キリストは、ユダヤ人の王として生まれ、再び地上に来られる時には、永遠のいのちを得る新しい人たち(七つの御霊の教会)の国の王、すなわち、「イスラエルの王」として来られます。
イスラエルの王は、永遠に生きる方です。そして、その国民もまた、永遠のいのちを持つ人たちです。
イスラエルの王は、ユダヤ民族十二部族の国王として、ダビデの王座に着きます。
ユダヤ人から出た救いは、イスラエルの王イエス・キリストによって完成します。
キリストの民はみな、ユダヤ民族と同じ国民となり、イスラエル王国はカナン全土に建つのです。