神は、契約を結んだアブラハムに約束されたとおり、アブラハムの子孫ユダヤ人の中から、世の罪を取り除き悪魔を踏み砕く「人の子」すなわち、神のひとり子をユダヤ人の処女から生まれる「人の子」としてイスラエルに遣わされた神のキリストを出されました。
神は、契約の民、すなわち、神の祭司の国民イスラエルに約束したとおり、モーセが「彼(神がイスラエルに遣わされるモーセのようなひとりの預言者)に聞き従わなければならない。」と命じた、神のことばを語る「イスラエルの神の預言者」であり、「とこしえの大祭司」となるキリストを遣わされました。
神は、イスラエル王国のダビデ王に約束されたとおり、ダビデの王座に着くダビデの子、すなわち、とこしえのイスラエル王国を治める「とこしえの王」キリストを遣わされました。
キリストは、救世主であるとされますが、神が認められるキリストは、神御自身によって、「預言者の油」「大祭司の油」「王の油」の三つの油を注がれた者のことを言います。
油とは、神に召された者に注がれるしるしです。
モーセは預言者でしたが、王の油は持っていませんでした。
ダビデ王は預言者でしたが、祭司の油は持っていませんでした。
預言者と祭司と王の油の三つの油が注がれる人は、人間にはいません。
なぜならば、祭司はレビ族から出る者であり、王はユダ族から出る者だからです。神は、預言者と祭司と王との三つの働きを、ひとりの人間にお与えになることはありません。
ユダ族のダビデの子として生まれた神の御子イエスは、王の油とともに、大祭司アロンの系図の大祭司の油が注がれていました。神のみことばを取り次ぎ、神と人との仲介者として、和解の務めを持つ祭司なのです。
レビ族の大祭司は、死ということがあるので、いつまでも大祭司でいることはできません。しかし、死から甦られ、御霊のいのちで新しい創造を受けて永遠に生きる「新しい人」となられた大祭司キリストは、天のまことの聖所でとこしえに大祭司であられます。
天のまことの聖所に入られた大祭司キリストは、ご自身(神の子羊イエス)の血を携えて入られました。動物の血ではなく、全き人の子の血によって、ただ一度で、罪の贖いを全うされたのです。
ナザレのイエスは、世の罪を取り除く神の子羊として、イスラエルに遣わされました。神の祭司の国民ユダヤ人たちによって、神の子羊イエスは屠られ、神の子羊の血は、世の罪を取り除く贖いの血として、流されました。
地上のレビ人の祭司がささげる動物の血は、人間の手で造った地上の神殿で、信仰によって神にささげられます。
地上の神の祭司の国民(イスラエル)がささげた神の子羊ナザレのイエスの血は、天に上った復活の神の子羊キリスト・イエスが携えて、人間の手で造ったのではない天上のまことの聖所に入られました。ただ信仰によってではなく、神の子羊イエスの血を携えて天の聖所に入られたのです。
その約六百年前に、ダニエルは、その情景を幻で見ています。
神の子羊ナザレのイエスがベツレヘムで生まれる以前のことです。
「私(ダニエル)が夜の幻を見ていると、
見よ、人の子のような方(死から甦られたキリストは、肉の人ではありません。御霊によって死者の中から生まれた「新しい人」です。ダニエルは、肉の人ナザレのイエス〈アダム〉ではなく、御霊の人復活のキリスト〈第二のアダム、新しい創造の人〉を見たのです)が天の雲に乗って来られ、年を経た方(御座におられる父なる神)のもとに進み、その前に導かれた。
この方(「人の子」のような方)に、主権(天においても地においても主権を持つ王位)と光栄(聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威)と国(地上でキリストが治める千年王国)が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることとなった。
その主権(王位)は、永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル7:13,14)
かつて、神はダビデ王に「あなたの家(ダビデ王の系図)とあなたの王国(ユダヤ民族十二部族のイスラエル王国)とは、わたし(主)の前にとこしえまでも続き、あなたの王座(ダビデの王座)はとこしえまでも堅く立つ。」(サムエル第二7:16)と約束されました。
ユダ族のダビデに王の油が注がれたのは、ベニヤミン族から出たイスラエルの王サウルの不義(神の命令に聞き従わなかった罪)によるものでした。
神は、王の油を注いだサウルを退けて、ユダ族のダビデに王の油を注がれたのです。
神に聞き従わなければ、王位さえも取り除かれるイスラエルの神です。サウルの罪によって、もはやベニヤミン族から王が立つことはありません。
神に忠実なダビデに、神は約束されました。
サウルから王位を取り除いたように、ダビデから王位を取り除くことはしないこと。すなわち、ダビデの中から罪を犯す王が出たとしても、ほかの系図に王位を移す事はしない、と仰せられたのです。
イスラエル王国の王位は、ダビデの子孫のものです。イスラエル王国の王座は、ダビデの王座なのです。
また、「ダビデの王座はとこしえに堅く立つ。」と仰せられた神の御旨は、とこしえにイスラエル王国を治めるひとりの王(永遠に生きるひとりの王キリスト)を、ダビデの家系から出す、ということです。
すなわち、永遠に生きるといわれるキリスト(人の子となってイスラエルに遣わされる神の御子キリスト)は、ダビデの子と呼ばれ、永遠にダビデの王座に着かれるということです。
イスラエルは、ダビデの子を待ち望みました。すなわち、永遠に生きるキリストを待ち望んだのです。
永遠に生きられるキリストが来られるならば、ダビデの子ソロモン王の不義によって二つに分裂した王国(南ユダ王国の二部族と北イスラエル王国の十部族)は、一つに回復し十二部族のイスラエル王国となって、キリストはその王座に着かれるはずです。
ダニエルは、神の御心をすべて成し遂げて、天に帰って来た神の子羊ナザレのイエスの勝利の姿を見たのでした。
キリストの油を注がれたナザレのイエスですが、肉のからだでは、まだキリストの主権と光栄と国はお持ちではありませんでした。
地上において、「ユダヤ人の王」の罪状書きの十字架につけられて死んだナザレのイエス。
墓に納められて三日目に死から甦ったイエスは、肉のからだのナザレのイエスではありませんでした。世の罪を贖い、罪を取り除いた神の子羊イエスのからだは、御霊によって新しく生まれた「御霊のからだ」の新しい人です。
永遠に生きておられる、とユダヤ人たちが信じている「キリストのからだ」です。
神にキリストの油を注がれた「人の子」ナザレのイエスは、キリストのからだに生まれ変わりました。
永遠に生きるからだに生まれ変わった神の子羊イエス・キリストは、ご自分を地上に遣わされた父なる神の御心を成し遂げて、天に帰られました。
神のひとり子は、人の子となって地上に来られ、遣わした方のみわざを成し遂げて、また、新しい創造を成し遂げて、遣わした方のみもとに帰られました。
肉体を持つ「人の子」として来られた神の御子は、永遠に生きる新しい人「神の子ども」となって、父のみもとに帰られたのです。
その新しい人を、ダニエルは幻で見たのでした。
この新しい人は、神から、主権とキリストの権威と国とをお受けになられました。
ダビデの子ヨセフのせがれナザレのイエスとして、イスラエルに遣わされた神の御子イエスは、新しい創造の人(一度死んでも、死から甦る新しい人、永遠のいのちによって生きる神の子ども)の初穂として、神にささげられました。
新しい創造の初穂である御霊の人、イエス・キリストは、神の子どもたちの長子です。そして、神の子羊イエス・キリストの御名を呼ぶ肉なる人を、流されたご自身の血できよめ、神と和解した人の子らにキリストの御霊を授けて、御霊によって生まれ御霊によって導かれる新しい人に造り変えて、天の御国をともに相続する神の子どもたちを創造されます。
聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けた神の子羊イエス・キリストは、与えた聖霊によって、永遠のいのちを得る神の子どもたち(七つの御霊の教会)を創造されるのです。
そして、神の御子イエス・キリストを頭とするひとりの新しい人(永遠に生きる神の子どもたち)を造り上げられます。キリストのからだです。
現在、地上では、着々とキリストのからだの建て上げ作業がなされていることでしょう。
一人ひとりは、キリストのからだの細胞です。キリストのからだの全体を見ることはできませんが、それぞれ置かれたところで、きよめられ、おのおの御霊のからだを受けるために、生けるまことの神のいのちの道を歩み始めていることでしょう。
一人ひとりの心にともる希望の光と、感謝と喜びと祈りと賛美と信仰によって、健やかな魂として整えられて行くことでしょう。