ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記九章 規則と責任

 

 神が神のかたちに人を創造し、男と女とに人を創造されると、神は、彼らを祝福し、彼らに仰せられました。

 「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。(ほかの被造物は、神が置かれた管理者である人に従うようにされていました)

 海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。(神は、人に支配権を与えて、すべての被造物を支配するように命じられました)」(創世記1:28)

 

 また、神は仰せられました。

 「見よ。わたし(主)は、全地の上にあって、種(たね)を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。

 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。(すべての生き物の食べ物は、緑の草です。神は、すべての緑の草を彼らの食物とされました。エデンの園は、肉食ではありませんでした)

 すると、そのようになった。」(創世記1:29,30)

 

 草と木の実を食べていたエデンの園で、神の命令を守らなかった人は、神のことばから外れて、蛇の頭(悪魔)のことばに繋がりました。

 悪魔は、神のひとり子に敵対する者です。神に反逆して天から追放された堕天使長です。

 

 人は、神のことば(神のひとり子)に従い、すべての生き物を支配して、地を従える者でした。

 しかし、反逆者と繋がることで、エデンの園の管理者の務めを退けられて、エデンの園から追放されました。

 

 エデンの園から追放された人は、天から追放された者たち(堕天使たち)と出会いました。

 地球上で、「神の子」と呼ばれる人たちです。

 

 天から追放されても尚、神の子と自称していました。しかし、本性は、神の反逆者堕天使長とともに天から追放された堕天使たちだと思われます。天の神の御座に近づくことが許されない罪ある堕天使たちです。

 

 人は、神に禁じられた「善悪を知る知識の木の実」を食べて、罪人となりました。罪を犯したエバから生まれた人たちもみな、罪人です。罪の報酬は死です。人に死があるのは、罪がある証拠です。

 

 エバの子よこしまなカインは、弟アベルが正しいのを妬んで、アベルを殺しました。

 アベルの血を受けた土地は、カインの罪により呪われました。それゆえ、カインが土地を耕しても、土地はもはや、カインのために実りを与えません。カインは、地上をさまよい歩くさすらい人となりました。

 

 カインは、出会う者たちによって殺されることを恐れました。

 しかし、主はカインに仰せられました。

 「だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」(創世記4:15)

 そして、主は、カインに出会う者が、だれもカインを殺すことのないように、カインに一つのしるしをお与えになったと、聖書にあります。

 主は、人殺しのカインを、弟の血の復讐から守られました。

 

 さて、人が地上に増え始め、神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができ、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になると、主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛め、仰せられました。

 「わたし(主)が創造した人を地の面から消し去ろう。人を始め、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。」(創世記67)

 

 こうして、神は、神に聞き従う正しい人ノアとノアの家族を残して、すべての人を、大水で滅ぼされました。

 人だけではありません。ノアと箱舟にはいったわずかな生き物を残して、すべての生き物を滅ぼされたのです。

 

 大水が止んで水が引き乾いた地ができて、箱舟の中にいたものがすべて箱舟から出ると、ノアは、水の滅びから救い出してくださった主のために祭壇を築きました。そして、祭壇の上で全焼の生贄(神の怒りをなだめるなだめのささげ物)をささげると、主は心の中でこう仰せられました。

 「わたし(天地万物を造られた主)は、決して再び人のゆえに、この地を呪う事は住まい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。(地が大水で滅ぼされたのは、人の罪ゆえです。ほかの被造物ではなく、人の悪が増大したからです)

 わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。(地のある限り、人間の営みは終わることはない)」(創世記8:21)

 

 地上の悪は、人の悪だけではありませんでした。おそらく、ほかの生き物も、人と同様に悪いものとなっていたことでしょう。世は乱れていたのです。それゆえ、主は、人類だけではなく、すべての生き物を水で滅ぼされたのでしょう。

 

 人類が乱れると、土地が呪われ、その土地に属するすべてのものも呪われます。

 緑の草が食べ物として与えられていたエデンの園のように穏やかな場所ではないのです。血の争いが方々で起こっていたのでしょう。

 

 大水から救い出されて生き残ったノアとその息子たちを祝福して、主は、彼らに仰せられました。

 「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。

 野の獣、空の鳥、―地の上を動くすべてのもの―それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたし(主)はこれらをあなたがたにゆだねている。

 生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。(悪化の一途をたどる人類に、神は、生き物を人の食べ物としてお与えになりました。生き物は人間の食べ物となり、人間たちに仕留められるので、人間をおそれおののくようになる。被造物が一体としての自然界は、人の罪によって崩れ、もはや罪人たちに調和ある平和は期待できないと、主は思われたのでしょう。

 

 獣のようになって劣化して行く人間の程度に合わせて、主も、規則を緩めていかれました。禁止しても、どうせ人は守ることができないのです。

 すでに、互いに食い合っていた世界であったかもしれません。神は、人の罪の深みを知り、その現実を容認して、規則を人の霊から獣の霊にまで及ばれました。

 殺すのは良くありません。しかし、食べ物としてそのいのちをいただくことは許されたのです。

 

 「しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。

 わたし(主)はあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それ(償いの血)を要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。(いのちにはいのちを、血には血の償いを要求されます。カインが弟を殺したとき、カインがだれによっても殺されることのないように、すなわち、カインに出会う者が、だれもカインを殺すことのないように、カインにしるしを与えられた、あの主ではありません。同じ主なのに、血には血の報いを、いのちにはいのちの報いを要求すると仰せられました。殺人が珍しくないほどに、世は荒れすさんでいたのでしょう。それが、獣であっても、その獣のいのちによって、償うようにと仰せられます)

 人の血を流す者は、人によって、血を流される。(必ず、報いがあるのだ)

 神は人を神のかたちにお造りになったから。(神に似せて造られた人を害する者は、神御自身を害する者なのだ)

 (箱舟の中にいて生き残った)あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。」(創世記9:1-7)

 

 アダムが罪を犯して、エデンの園を追放されるとき、主は、アダムとエバに、皮の衣を造って、彼らに着せてくださいました。獣を屠って、ふたりのからだに贖いの衣を着せられたのです。

 しかし、この贖いは、罪を消し去るものではありません。古代ユダヤの罪の生贄のように、動物の生贄では罪人の良心はきよめられません。罪を犯すたびに、獣の生贄をささげなければなりません。

 

 カインが罪を犯したとき、神は、だれもカインを殺すことのないように、カインに一つのしるしをくださり、カインのいのちを守られました。

 

 大水から救い出された人に、神は、生き物の肉を食べることを許されました。大水で地球が冷えており、熱量を上げてからだを維持するために必要な食べ物であったのかもしれません。

 新しい食べ物を得ました。しかし、それには、責任が伴います。

 

 生きて動きているものはみな、緑の草と同じように、食べ物となりました。

 しかし、いのちである血のあるままで食べてはならない、と仰せられました。

 肉は食べ物としてあなたがたに与えるが、血は主のもの、いのちである血はいのちの根源であられる主のものである、と仰せられました。

 こうして、いのちは主のもの、いのちの所有者は創造主であることを明らかにされました。

 

 いのちに手を触れる者は、神御自身に手を触れる者なのです。