ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

アザゼルの山羊

 

 「アロンは生きている山羊の頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それ(生きている山羊)の上に告白し、これら(イスラエル人のすべての咎とすべての背き)をその山羊の頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。 

 その山羊は、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はその山羊を荒野に放つ。」(レビ16:21-23)

 

 イスラエル人の咎と背きの罪がその頭の上に置かれて解き放たれる山羊のことを、26節で、「アザゼルの山羊」と呼ばれています。

 アザゼルとは、魔神、荒野の魔霊など、超自然的存在という解釈があるようです。

 

 祭司であるアロンが二頭の山羊のためにくじを引きます。一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのため、すなわち、一頭の山羊は主にささげるため、一頭の山羊はアザゼルに与えるためのようです。

 

 先に生きている山羊をささげます。それは、アザゼルの山羊です。アロンはその山羊の頭に両手を置いて、イスラエル人のすべての咎と、すべての背きを、全部それの上に告白し、山羊の頭上に呪い(神のさばき)を載せて荒野に放ちます。

 こうして、罪の呪いは、アザゼルの山羊とともにすべて除去されるということです。

 

 主のための山羊は、生贄としてささげられます。

 

 私は、秋篠宮家の好き勝手な行動に憤りを感じていましたが、私の罪になるから呪ってはいけない、と神は言っておられました。

 

 愛子様がラオスに行かれて、何か二本のろうそくの火の灯っている所へ、ラオスの宗教に敬意をもって行かれたとき、ろうそくの火は二本とも灯り続けていました。

 ラオスの地は、霊的な特別な場所で、心がきよくないと、ろうそくの火は消えてしまうということでした。

 

 ニュースでは、過去に今上天皇陛下が皇太子であったときに、同じ場所に訪れられたときの映像が流れました。ろうそくの火を見ていると、一本は燃え続け、一本は消えました。

 

 このことは、私の心に残りました。どうしてだろう、と不思議に思ったのです。

 しかし、聖書のアザゼルの山羊のことを知って、理解できました。

 アザゼルの山羊はスケープゴートで、身代わりを意味するそうです。

 

 秋篠宮家の存在は、終わりの時代、北朝の天皇から南朝の天皇に皇位が戻されるに当たって、必要な事柄であったのではないのか。

 なぜならば、南朝の無念は代々にわたるものです。時代が来たので、もとに戻しますといって理解されるような単純なことではないと思います。

 今になって見れば、すべてはまことの神の御旨であることを知るのですが、終わりの時代の神の御計画が知らされていない時代の南朝には、本当に受け入れがたいことであり、子々孫々の痛みと嘆きであったと思います。

 

 神は、南朝から出る世界を救うユダの総督を隠されたのです。北朝に皇位を移すことで、悪しき霊の妨げと攻撃から、ユダ族から出る真理の子を守られたのでしょう。

 

 明治天皇は、自分は北朝であって、本当の天皇は南朝である、と言っておられたそうです。今上天皇は、明治天皇の系図なので、北朝の人です。

 神は、南朝のユダの総督は、12部族のイスラエルのメシアとして、世の終わりに立たせる御計画なのでしょう。日本の天皇ではなく、世界の救い、ユダヤ人の救いの使命を持つ方なのです。

 世の終わりに、神が世に現わす南朝の天皇は、目に見えない神が治める神代の国、御霊の子らの国の働きのために、皇位が与えられる方です。

 

 終わりの時には、北朝の天皇から、南朝の天皇に、皇位は戻されるのだと思います。

 その橋渡しをされるのが、愛子様なのではないのか、と思います。これは、霊的な働きであって、日本の政府とか宮内庁が関与することではないのでしょう。彼らの知らないところで、すでに、神は愛子様に霊的権威を置いておられるのではないかと思います。

 

 神は、昭和天皇の皇太子(現上皇)の妃に正田美智子さんを選ばれたのは神なのでしょう。

 昭和天皇と香淳皇后との間にお生まれになった上皇は、伝統的な血統の皇族です。しかし、皇太子(現上皇)と美智子妃(現上皇后)の間にお生まれになった今上天皇は、民間人の正田美智子さんの血も受けておられます。

 

 香淳皇后は、美智子妃に、目立ち過ぎてはいけません、衣装代にお金をかけ過ぎです、と皇室としての品位と品格と立場を教えておられたそうですが、それを、美智子妃は皇后にいじめられていると、被害者意識をもって、悲劇のヒロインを演じていました。

 

 昭和天皇は、皇室の品位を損ねる美智子妃に次の天皇である浩宮様(現天皇)をお任せになることを危ぶまれ、皇族方、宮家の大人の人たちに教育をお任せになり、帝王学を身をもって学ばされたそうです。

 

 美智子妃から皇太子(現天皇)を守るために、礼宮(現秋篠宮)を皇室に入れることを許されたのではないのかと思いました。美智子妃の意識を礼宮に向けさせるためです。

 

 「秋篠宮 安西 そっくり」とネットで検索すれば、血の繋がっていないはずの叔父さんに当たる安西家(安西さんは美智子様の妹さんの夫ですから、血の繋がりがあるはずのない人です)にいかにそっくりなのか、写真で知ることができます。

 今上天皇と秋篠宮は本当は兄弟ではなくて、従兄弟であると言われますが、それは、事実だと思います。

 

 美智子様は、浩宮様(現天皇)を産んだ後で、婦人科系のご病気で妊娠はできなくなっているそうです。神は、それ以上子どもができないようにされたのです。

 浩宮様おひとりでしたら、美智子様が自分の子として育ててしまうでしょう。天皇としての資質を育てることができなくなります。

 

 神は、美智子様の血を天皇家の血統から取り除くお考えだったと思います。

 秋篠宮は、美智子様の民間の心を、そのまま置かれています。神は、美智子様の血の、受け継いではならないもの、捨てる部分を、秋篠宮の上に置いて、今上天皇を守っておられるように思います。

 

 美智子上皇后、紀子妃の邪悪ないじめによって、雅子妃も、夫である皇太子(現天皇)も、神から祭司である天皇の油を注がれていない平民の血の闇が砕かれて、皇太子から正田美智子さんの血の霊的なものは、封じられたように思います。また、雅子様の意識を平民の心から皇族の心に造り直されたように思います。

 

 それゆえ、今上天皇も、皇后雅子様も、香淳皇后が望んでおられたような、皇室の人となられたのでしょう。

 おふたりから、平民の心を取り去り、平民の血の呪いを殺して、霊的に皇族の血統の人として整えられたようです。

 

 それはそれは、激しい炎に焼かれるような苦しみだったと思います。

 それゆえ、霊的にきよめられた天皇陛下と、皇后陛下の間にお生まれになった愛子様には、平民の血がはいっていないかのようです。

 皇后雅子様は、小和田家の影響から完全に抜け出しておられるようです。

 純粋な大和民族の皇族のおひとりとなられました。

 

 美智子様を皇室に入れるのを許されたのも神ならば、霊的に美智子様の血を皇室の継承にいれられないのも神です。

 美智子様の存在は、正田家、安西家を皇室に入れ、また、秋篠宮の存在は、川嶋家、小室家など、本当は、皇室と混じってはならない血統をおびき寄せました。

 しかし、神は、秋篠宮をアザゼルの山羊とすることによって、皇室を妬みその権威を我が物としようとする平民の呪いから天皇家を守り、また、美智子様を用いて支配する闇の存在の企みから天皇家を守るためだったのかもしれません。

 

 昭和天皇と貴族出身の香淳皇后の伝統的な血を受けて、伝統的な天皇の血統の最後の天皇は、上皇陛下です。

 

 多くの苦難を通して、今上天皇、妹の黒田清子さん、また、愛子様は、伝統的な大和民族の天皇の血統の人となられました。まるで、三人兄弟のようです。

 

 キリスト教では、信者同士、互いに兄弟姉妹と呼び合いますが、私には、このお三方は、同じ霊性を持つ兄弟姉妹のような関係に思います。

 

 愛子様が、北朝の天皇の時代から、霊的な新しい神の子どもたちの国を率いる南朝の天皇、すなわち、ユダの総督に皇位を明け渡す、お役目を担うのではないのか、と思います。

 

 今上天皇と、愛子様と、黒田清子さんは、心を一つにして、霊的な働きをされるように思います。そして、皇后雅子様は、このお三方の働きを支える、隠れた助け手のように思います。

 新しい霊的な働きは、このような心一つにして一致する人たちによって支えられ、このような霊的な助けの中で、ユダの総督、すなわち、日本から起こるとされるふたりの証人は立つのだと思います。

 

 アザゼルの羊は、それまでの魂の在り方で、その任務にふさわしい魂が選ばれていることでしょう。前世の在り方ですでに、いのちの書から名前が消されている人々もいるのです。

 

 呪いが置かれた者について、ペテロはこう言っています。

 「その目は淫行に満ちており、罪に関しては飽くことを知らず、心の定まらない者たちを誘惑し、その心は欲に目がありません。彼らは呪いの子です。

 この人たちは、水のない泉、突風に吹き払われる霧です。(存在しているように見えて、存在しない幻のようにはかないものです)彼らに用意されているものは、真っ暗な闇です。」(ペテロ第二2:14,17)