2025年は、「永遠のいのちを受ける備え」の年でした。
みことばは、箴言15:31,32をいただいていました。
「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。
訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。
叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」
人は、自分の良いと思っていることに対して間違いを指摘されたり、訓戒されるのは耳の痛いものです。素直に感謝はできません。
ですから、このハードルを越えるのは容易ではないだろうと思っていました。
新年が明けて、2025年を振り返ってのみことばは、ヨエル2:12-14でした。
「『しかし、今、―主の御告げ。―
心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたし(主)に立ち返れ。(心の向きを神に向け、目に見えないものに意識を移して、真理を悟りなさい)』
あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。(形ばかりの懺悔ではなく、心を砕いて悔い改めて神に近づきなさい)
あなたがたの神、主に立ち返れ。(あなたがたにいのちを与えないものにしがみついていてはならない。あなたがたの素直な魂の声に耳を澄まして、魂の造り主でありいのちを得させてくださる主を知って、意識を主に向けて、あなたがたを造られた主のもとに帰りなさい。そこに魂の真の調和があり、自己実現があり、安らぎがあるからです)
主は情け深く、あわれみ深く、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。(魂の空しさ、孤独は、神との不調和に原因があり、神から離れた心がわざわいを引き寄せている。しかし、主に立ち返るならば神はわざわいを思い直される)
主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。(神はわざわいを思い直されるだけではなく、魂の御救いを用意しておられるのです。聖徒の数は少ないように見えても、神はそのような真実な魂をまだまだ残しておられる。あなたがたが知らないだけだ)」
2025年には、7月5日の祈りによる集合意識の構築がされました。大阪では、いのちに思いを向ける万博が開催されました。
冬至点の思いで、再び、集合意識が強固にされました。
神は、日本人の素直な意識への変化をご覧になっておられました。目に見えるものにではなく、目に見えないものへの確信に近い希望をご覧になられたのです。
すべての日本人に起こった変化ではありません。しかし、確かに、日本列島のあちらこちらに、救いを求める真実な心から出た、きよい霊の動きが国民レベルで起こったのでしょう。
神は、神に真実な魂と、神を嘲る魂との違いをご覧になられます。
日本列島の中で、光を愛する魂と、闇を愛する魂が、それぞれの選択をしたようです。
目に見える成功ではなくて、実は、目に見えない魂の拠り所を得ることと霊魂のきよめこそが勝利の道なのです。
「悪者どもが青草のようにもえいでようと、不法を行なう者(神を神としない者、この世の繁栄に溺れ、魂の行方を顧みない不信仰な者)どもがみな栄えようと、それは彼らが永遠に滅ぼされるためです。(そこに、永遠のいのちはありません)」(詩篇92:7)
永遠に残るものは、主への信仰と希望と愛だからです。それは、天の神に属するものです。天に属するものが永遠に残る確かなものなのです。
神は、2025年、日本列島に、光が宿るのをご覧になられました。神を求める真実な魂たちが目覚めたのです。
2026年のみことばは、ヨエル2:21-24です。
「地よ。恐れるな。楽しみ喜べ。
主が大いなることをされたからだ。(光を求める人の心に望みを与えた)
野の獣たちよ。恐れるな。荒野の牧草はもえ出る。
木はその実をみのらせ、いちじくと、ぶどうの木とは豊かにみのる。(人間が神に立ち返ると、彼らの悔い改めによって土地はきよめられ、日本列島は息を吹き返して、獣のために、また、人間のために実りを与えてくれる)
シオンの子らよ。(神の民よ)
あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。(神の慈しみを知って、主をたたえよ。神は、あなたがたの中に真実な魂があるのをご覧になって、あなたがたを祝福される)
主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。(思いを神に向き変えたあなたがたを、神はあなたがたを義とするために、神の御霊を日本列島に注がれます)」
2025年に、光を選択した人々がいました。
魂の自由を求めて世から離れ、魂に素直でありたいと願う人たちがつくった村が幾つか存在しているようです。
世の仕事を辞めることには勇気がいったことでしょう。初めは、ぼんやりとしたあかりだったようです。将来が見えているわけではありません。しかし、その暮らしをする中で生きている実感を感じる日々は尊く、魂の自由を体験し、世から受ける安心とは違う、心身ともに安らぐ生活、また、魂が本来あるべき姿に戻ったような平和があるようです。
ぼんやりとしたあかりは、強い光となって、輝いています。
彼らの魂は、宗教ではなく目に見えない存在に触れました。いのちを体験したのです。すると、目に見えないものへの崇敬の念が芽生え、やがて、アブラハムが持っていたような信仰が育ちます。人間の存在を超越する偉大な霊的存在を知るのです。
信仰の芽生えた魂には、いのちの希望が育まれます。それは、対象のある希望です。生かしてくださる霊なる方を対象とする根拠のある希望です。
この希望に、目に見えない神は、恵みを注がれます。恵みは、神の愛を悟らせます。神に愛された者であることを実感するのです。
神の愛を知った者は、感謝から賛美へと、神をたたえる魂となるのです。それは、アイヌ民族の魂のようです。
こういったいのちの喜びに満ちた光の子らの存在は、日本列島に光を点火する霊的存在となるようです。
すると、それぞれの立場の人たちは、おのおのの魂が仰ぐ霊なる存在を仰ぎ、信仰の灯がともっていくのでしょう。
世界に一つしかない太陽に、心を向けるのです。
真理は、一つです。
仏教では阿弥陀如来、古神道では国常立神、神道では天御中主神、キリスト教では神の御子イエス・キリストの父なる神、ユダヤ教ではイスラエルの神、自然の中に神を見いだす人はアブラハムが崇めた全能の神、ユダヤ人を愛する人たちはヤーウェイの神として、真理の対象を呼ぶのかもしれません。呼び名は違っても、天地万物を造られた生けるまことの神、主に心を向けているのだと思います。
教典を通してではなく、自分自身の霊によって霊とまことによって神に近づく者は、教派宗派を超えて、真理を教える生けるまことの神の御霊に導かれて、普遍の真理に至るのでしょう。
同じおひとりの霊なる方(創造主)に、信仰と希望と愛をもって、感謝と賛美をささげることになるのでしょう。真理は、一つなのです。
覚醒した魂は、目に見えない生けるまことの神、創造主に、思いを向けることでしょう。それとは知らないで、神の子羊の父なる神を仰いでいるのでしょう。
光に立ち返り、義とされる日本人に神は仰せられます。
「シオンよ(神に望みを持つ民よ)。恐れるな。気力を失うな。(目に見えないからと言って、神を疑うな。正しい道を歩んでいるのかと不安になって恐れるな)
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。(あなたを義とし、永遠のいのちを得させる、救い主があなたとともにおられる)
主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。(神に立ち返り、信仰を神〈目に見えない永遠のお方〉に向けるあなたを義とし、造り主なる神は神に立ち返った義なるあなたのことを楽しみ、あなたの中に置かれた愛を平安で満たす)
主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(永遠の愛をもって、主はあなたを愛される)」ゼパニヤ3:16,17)
このような恵みが待っていようとは思いもよりませんでした。
「彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。(神は光を求める日本人を、千年王国に招いておられます)
彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。
こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。(目に見えない神は確かにおられ、神に立ち返る者を魂の平安と喜びで満たし、神に愛された者であることを悟らせてくださいます。私たちは、自分自身の実体験をもって、生ける神を証する者となるのです。
(それゆえ、私たちは申し上げます)
主は、わが岩。主には不正がありません。(わざわいも苦しみも、私たちの心を砕いて、魂の飼い主のみもとに帰らせるためでした。神の懲らしめは、私たちにいのちを得させるため、私たちの魂を死から救い出すためでした。神は、私たちを愛するがゆえに懲らしめて、いのちの道へと導いてくださるのです)」(詩篇92:13-15)
キリスト教会に人数が増えることにより、目に見えるものに心が向けられて、神の道から外れることになりませんように。
神は、義とされた後に、神の霊をすべての人に注ぐことを定めておられます。
「その後、わたし(主)は、わたしの霊(御霊)をすべての人に注ぐ。」(ヨエル2:28)