ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ゴールは天の御国

 

 イエスは言われました。

 「まだしばらくの間、光(正しい道を教える真理の御霊)はあなたがたの間にあります。闇(世の罪)があなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。(「あなたがたは、以前は暗闇でしたが、今は、主にあって、光(真理を知る者)となりました。光の子ども(真理を愛する者)らしく歩みなさい。―光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。―そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。実を結ばない暗闇のわざに仲間入りしないで、むしろ、それ(暗闇で行なわれていること)を明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行なっていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。けれども、明るみに出されるものは、みな、光によって明らかにされます。明らかにされたものはみな、光だからです。」[エペソ5:8-14])

 闇(罪)の中を歩く者は、自分(の魂)がどこに行くのかわかりません。

 あなたがた(の住む世)に光がある間に、光の子ども(神の子ども)となるために、光(救い主)を信じなさい。」(ヨハネ12:35、36)

 

 イエスは言われました。

 「わたし(神の子羊イエス)は、世の光です。(当てもなく望みのない世に、生きる希望を与え、正しいいのちの道へと導く世の光です)

 わたし(救い主イエス・キリストの御霊)に従う者は、決して闇(罪)の中を歩むことがなく、いのちの光(御救いの喜びと平安)を持つのです。」(ヨハネ8:12)

 

 神の御子イエス・キリストは、この世の支配者悪魔に勝利をとられました。

 イエスは、罪の呪いの死を打ち砕き、御霊によって死から甦られました。罪の牢に繋がれていた魂は、神のひとり子イエス・キリストの勝利によって、死から甦って永遠に生きる希望を得ました。

 その希望は、救い主イエス・キリストを信じる信仰となり、神の御子イエスを信じる魂は神に立ち返って、神の愛を信じ永遠のいのちに至るいのちの道に入る門へと導きます。

 

 キリストが天に上り、神の御座の右に着座された後、キリストの御霊が世に遣わされました。

 最初は、肉体の「人の子」として遣わされた神のひとり子イエス・キリストですが、罪の贖いのみわざを成し遂げて、御霊によって新しく生まれる「新しい人」として復活されると、今度は、「キリストの御霊」として世に遣わされました。

 イエス・キリストを信じる一人ひとりのうちに住まわれる「真理の御霊」です。

 御霊は、イエスのことばを思い起こさせ、真理を教えられます。御霊がキリストのものを受けて、一人ひとりに知らせられるのです。

 

 人の子として来られた神の御子ナザレのイエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けて水から上がられると、聖霊が鳩のように天から下られて、イエスの上に留まられました。人の子イエスは、聖霊とともに公生涯を歩まれたのです。

 

 天に上られた復活のキリスト・イエスは、父なる神から、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けられました。

 

 バプテスマのヨハネは、神に、悔い改めの水のバプテスマを授ける権威を受けて、ユダヤ人たちに遣わされました。

 イエス・キリストは、神に、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けて、真理を愛する光の子らに真理の御霊(死から復活したキリストの御霊)を遣わされます。

 

 イエスは言われます。

 「あなたがたは、(神を神としない罪に満ちた闇の)世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。(恐れなくてよい。わたしがあなたがたとともにいる)

 わたし(あなたがたを救う救い主イエス・キリスト)はすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

 

 「神は、(救い主イエス・キリストを信じる)私たちを暗闇の圧政(死へと導く悪魔の惑わしと偽りの手口によるこの世の支配)から救い出して、愛する御子(イエス・キリスト)のご支配の中に移してくださいました。(御子の支配は、闇ではなく光です。偽りのない愛と善意と誠実と柔和、調和と純粋な喜びと平安です)

 この御子のうちにあって、(死に定められている肉体の)私たちは、(死後に受ける裁きの)贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

 御子は、(人間が見たことのない)見えない神のかたちであり、造られたすべてのもの(被造物)より先に生まれた方です。(天地が造られる以前、人が存在する以前に、御子はすでに存在しておられ、父なる神が天と地とを創造されるとき、父のかたわらにおられました。また、人が創造されるときに、神とともに造られた方なのです)

 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も権威も、すべて御子によって造られたものです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。(御子〈神のひとり子〉の存在がなければ、天も地も造られることはなかったのです。なぜならば、絶対主権者、唯一の神がおられるだけだからです。しかし、神は、ひとり子にそれらを相続させられます。それゆえ、相続人であるひとり子のために、王座と主権と権威とを造られました。天と地が造られたのは、御子のためであり、また、「人の子」となられた御子によって、御霊による新しい創造の「新しい人」(神のひとり子であった御子を長子とする神の子どもたち)を造り、神は、御子に主権と光栄と国とをお与えになります)

 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 また、御子はそのからだ(キリストのからだ、すなわち、新しいひとりの人)である(七つの御霊の)教会のかしらです。」(コロサイ1:13-18)

 

 神は、信仰の勝利者たちの七つの御霊の教会のために、新しい天と新しい地とを用意しておられます。天の御国に入る魂のとこしえの住まいです。

 

 仏教では、ひとりの仏が安寧に導く、霊界も宇宙もひっくるめた世界の到来を目標としているのでしょうか。

 苦しみがなく、悟りを開くのに最適な場所であって、煩悩や迷いのない理想の世界の浄土を目指しているのでしょうか。

 

 神道では、本当の自分(本性)と宇宙が調和し、悪人は消滅し、善人のみが残るお金のいらない世界、被造物すべてが贖われ、草木もすべてのものが一ついのちとなり、ともに栄える「ミロクの世」を目指しているのでしょうか。

 

 キリスト教では、争いがなくすべての被造物が安心して暮らすエデンの園の回復の「千年王国」を目指しているのでしょうか。

 イエス・キリストが天から再び来られて、世界を治める平和な千年間です。

 しかし、千年王国には、永遠のいのちを得る七つの御霊の教会の人たち(新しい人、第二のアダム)もいれば、いのちの木の実を食べることの許されない肉体の人たち(アダム)もいます。

 

 千年王国にはいるのが、ゴールではありません。

 千年の終わりに、封印され縛られていた悪魔が解き放たれると、いのちの木の実を食べることのなかった人々、また、いのちの書に名前の記されていない人たちは、悪魔に従って、キリストと七つの御霊の教会を取り囲みます。

 すると、天から火が降って来て、聖徒たちの陣営を取り囲んだ悪魔と悪魔に従う海辺の砂のごとく多い諸国の民とは焼き尽くされます。

 

 千年王国は、平和な世ですが、完全な世ではありません。

 御霊の人もいれば、肉の人もいます。神の民もいれば、悪魔の民もいます。

 

 しかし、千年王国が終わると、白い御座の裁きが行なわれます。

 最後の裁きです。

 いのちの書に名前の記されていない魂は、悪魔と同じ永遠の火の池に投げ込まれます。

 いのちの書に名前が記されている、信仰の勝利者「七つの御霊の教会」は、新しいからだと永遠のいのちを受けて、天の御国に入ります。

 

 私たちの目指している魂のゴールは、千年王国ではなく、天の御国なのです。

 

 パウロは言います。

 「わたし(パウロ)は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空(くう)を打つような拳闘もしていません。

 私(パウロ)は自分のからだを打ちたたいて(肉を殺して信仰によって生きるようにと、御霊に)従わせています。

 それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者(いのちの書から名前を消される者)になることのないためです。」)コリント第一9:26,27)