ユダヤ教三大祭りに、過越しの祭り(ぺサハ)と、七週の祭り(五旬節、シャブオット)と、仮庵の祭り(スコット)があります。
イスラエルが、奴隷の家エジプトを出るとき、神の御使いが、一歳の羊の血の塗られたイスラエルの家を通り過ぎ、血の塗られていないエジプトの家々に入りその家の初子を打って死に至らせて、神が選ばれたイスラエルと、エジプト(この世)とを区別されました。(エジプト人の家々では泣き叫びが起こりました。死人のない家がなかったからです。血の塗られていない家は、人、奴隷、家畜に至るまで、すべての初子が御使いに打たれて死んだからです。神が御使いに与えられた目印は、羊の血でした。羊の血のしるしのある家々は過ぎ越され、羊の血のしるしのない家々は打たれました)
神は、かもいと門に羊の血が塗られたイスラエルの家々を通り過ぎて裁きが免れたことを記念して、イスラエルに「過越しの祭り」を祝うようにと命じられました。
神は、イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ出して荒野へと導かれました。そして、モーセに十戒を与えられました。
神は、四百年間エジプトの奴隷であったイスラエルを取ってイスラエルと契約を結び、神の祭司の国民として任命されました。そして、神の民イスラエルに、神の民が守らなければならない神の律法を授けられました。
モーセの律法は、イスラエルが、父祖アブラハムの神、全能の神、主と契約を結ぶ神の民、神が選ばれた神の祭司の国民である証です。
「五旬節(七週の祭り)」は、モーセが律法を受けた日とされています。大麦の初穂をささげる「初穂の祭り」から50日目(七週間後)に行なわれる祭りです。アブラハムの子孫ユダヤ民族が、シナイ山でトーラー(律法)を授かったことを記念する日です。
仮庵の祭りは、奴隷の家エジプトから脱出したイスラエルが、40年の間、荒野で天幕生活に住んだことを記念する祭りです。イスラエルは、エジプトを出て、約束のカナンの地に入るまでの期間、荒野で仮設の家に住んでいました。
荒野は、水もなく、食物もありません。しかし、全能の神、主は、天からマナ(パン)を降らせ、岩に命じて岩から水を出し、また、うずらを飛んで来させて肉を与え、成人男子だけでも60万人(女や子どもを含めたら100万人は超えていたイスラエルの群れ)ユダヤ民族と多くの入り混じって来た外国人〈在留異国人や寄留者〉と、羊や牛などの非常に多くの家畜の群れとを、不毛の荒野で養われたのです。
「エジプトの王がこの民(奴隷たち)を行かせたとき、神は、彼ら(イスラエル)を(カナンの地への)近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。
神はこう言われた。『(四百年間奴隷であった)民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。』
それで神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた。イスラエル人は編隊を組み、エジプトの国から離れた。
モーセはヨセフ(エジプトの大臣であった、ヤコブの子ヨセフ。十二部族の中で長子の権利を持つヨセフ族の族長)の遺骸を携えて来た。それはヨセフが『神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸(ヨセフのミイラ)をここ(異国の地エジプト)から(先祖の地カナンへと)携え上らなければならない。』と言って、イスラエルの子ら(ユダヤ民族)に堅く誓わせたからである。」(出エジプト13:17-19)
荒野を行く大勢の民族移動は、女、子ども、年寄りなどの力のない弱い者や、家畜の群れだけでなく、ヨセフのミイラも携える、壮大にして過酷な移動でした。
モーセはイスラエルを呼び寄せて言いました。
「私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。」(申命記29:5)
仮庵の祭りは、神の恵みを覚えて記念する祭りです。主はイスラエルとともにおられました。
また、この「仮庵の祭り」は、肉体という仮庵に住む人(死の定まった肉体の中で寿命の間生きる人)は、主の恵みなしには生きていくことはできない存在であることを覚える時でもあるそうです。
神からことばを預かるモーセは、イスラエルに命じました。
「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
あなたの神、主が賜わった祝福に応じて、それぞれ自分のささげ物を持って出なければならない。」(申命記16:16、17)
イスラエルが急いでエジプトの国を出たので種を入れないパンを食べることと、イスラエルがエジプトの国から出た日(出エジプト)を、イスラエル人が一生の間、覚えているために記念すること。
主が御名を住まわせるために選ぶその場所で、夕方、日の沈むころ、イスラエルがエジプトから出た時刻に、過越しの生贄を屠らなければならないこと。
主のために七週の祭りを行ない、イスラエルがエジプトで奴隷であったことを覚え、神が命じた様々な規定を守り行ない、イスラエルの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、喜ぶように。
イスラエルの穀物の打ち場とぶどう酒の酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。
神は、イスラエルに遣わされた神の子羊ナザレのイエスを世の罪を取り除く生贄として、ユダヤ人の過越しの祭りの週に、御名を住まわせるために主が選ばれたエルサレムにて、十字架で屠られました。
神の祭司の国民ユダヤ人の手によって屠られた神の子羊イエスの罪の贖いの血は、主に受け入れられました。
神の御子イエスは、ご自分の血によって、ユダヤ教三大祭りの過越しの祭りを完成されました。もはや、生贄はいりません。
「キリストは、すでに成就したすばらしい事柄の大祭司(律法の違反の呪いも、世の罪の呪いもすべての罪を贖う完全な神の子羊イエスの血を携えて、天のまことの聖所に入るとこしえの大祭司)として来られ、手で造った物ではない、言い替えれば、この造られた物(人の手で造った神殿)とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋(人の子イエスの肉体)を通り、また、やぎと子牛との(動物の)血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(へブル9:11,12)
「キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身を生贄として罪を取り除くために来られたのです。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられました(私たちにいのちを与えてくださいました)が、二度目は、罪を負うためではなく、彼(死から復活され天に上られた神の御子イエス・キリスト)を待ち望んでいる人々(キリストの再臨を待ち望む民)の救いのために来られるのです。」(へブル9:26-28)
過越しの祭りの日に、神にささげられた神の子羊イエス・キリストは三日目に墓から甦って神の子羊の血を携えて天に上り、神から聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けられました。
五旬節の日に、イエスの弟子たちがイエスに命じられたとおり、エルサレムの一つ所に集まって祈っていると、聖霊が下られ、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話し出しました。
ユダヤ教徒たちが「過越しの祭り」を祝う時期、キリスト教徒たちは、死から甦られた神の子羊イエス・キリストの復活を記念して、復活祭を祝います。すでに、神の子羊イエスの生贄の血は、神に受け入れられて、世の罪は贖われたのです。
キリストの受難と復活したキリストの勝利を祝う日です。
ユダヤ教徒たちが「七週の祭り」を祝う時期、キリスト教徒たちは、キリストの約束どおり、もうひとりの助け主である聖霊【真理の御霊】が下られたことを記念する「ペンテコステ」を祝います。
「見よ。その日が来る。―主の御告げ。―その日、わたし(主)は、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。(神の民に、新しい律法〈心に書きつける新しい律法〉を与える)
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼ら(イスラエル)と結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。(イスラエルは、律法の違反者である。それゆえ、その律法の違反の呪いを、神の子羊イエスが身代わりとなって受け、神の御子イエス・キリストの罪の贖いの血は、先の契約を完成させて文字の律法を完了する。そして、新しい律法を与える)
彼らの時代の(神に反逆する不信仰で不従順なユダヤ人たちを退けた)後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ(新しい)契約はこうだ。―主の御告げ。―わたしはわたしの律法を彼らの中に置き(彼らの思いの中に入れ)、彼らの心にこれ(御霊の律法)を書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:31-33)
ペンテコステは、エレミヤの預言の成就です。
神は、一人ひとりの弟子に、キリストの御霊を授け、真理の御霊を住まわせられます。
レビ族の祭司と文字の律法は、古い契約です。神の子羊イエス・キリストが完成されたので、古い契約となりました。
キリストがお与えになる新しい契約は、ユダヤ人も異邦人もなく、神の御子イエス・キリストを信じ、「主」と告白する人たちに、聖霊を授けて、一人ひとりの心にいのちの律法を書きつけられます。御霊を受ける人たちは、御霊によりイエスのことばを思い起こされ、真理を教えられ、いのちの道へと導かれるのです。
聖霊の器は、主の祭司であり、神の神殿であり、死から復活するキリストのからだです。
ユダヤ教徒たちが仮庵の祭りを祝っています。
キリスト教徒たちには、この記念はありません。キリストの再臨を信じ、キリストの再臨待望を祈るだけです。
しかし、キリストが地上に来られると、千年の間、仮庵の祭りを体験します。千年王国は、この世の人間の営み、この世の罪の奴隷の世界から救い出されて、天の御国にはいるまでの仮庵です。
キリストが再臨される千年王国は、全人類が仮庵の祭りを祝う時なのです。
「(万軍の主キリストと天の軍勢が、反キリストと偽預言者と反キリストの民を滅ぼし、悪魔を縛って封印した後)エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王(神の子羊イエス・キリスト)を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王(キリスト)を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
もし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。
これが、エジプト(神にへりくだらない世の国々)への刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。」(ゼカリヤ14:16-19)
奴隷の家エジプトを脱出したイスラエルは、荒野で神の恵みを体験し、生かしてくださる神に従いました。
世の終わりに、反キリストや偽預言者に支配され、悪魔の奴隷だった全世界の人々は、悪魔の支配から解放され自由となった千年王国を体験します。
神を信じる民は、滅びの世から救い出して、天の御国へと導かれるキリストをほめたたえます。キリストが天の御国とこしえの国に導かれます。ゴールは天の御国です。その途上の仮庵に招かれたことを祝うのです。
しかし、神を信じない民は、滅びの世から救い出されて千年王国に入ったことで安堵して自分を喜ばせて楽しみ、とこしえの世に思いは及びません。自分が良い者であるから生き残ったと思うのでしょう。神の恵みを知ろうとはしません。
神の民は、地上から天上に移る時を夢見て、キリストに感謝し、礼拝します。そして、千年王国の仮庵の祭りを喜び祝うのです。