地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった神は、地上に人を造ったことを悔やみ、神が創造した被造物を、地の面から消し去ることを決められました。
神が地をご覧になると、実に、それは、堕落しており、すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからです。
そこで、神は、神を恐れる正しい人ノアに箱舟を造ることを命じ、生き残らせるために神が選んだ生き物たちを箱舟に入れて、水の滅びから救い出されました。
世は一度、大水で滅んでいます。
地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていたからです。
四十日四十夜降り続けた大雨で起きた大洪水を逃れ生き残った箱舟の中の生き物たちが箱舟から出ると、ノアは、主のために祭壇を築き、祭壇の上で全焼の生贄(なだめの生贄)をささげました。
主は、そのなだめのかおりをかいで、「わたし(主)は、決して再び人の(暴虐の罪)ゆえに、この地を呪うことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。」(創世記8:21)と仰せられました。
世がどんなに悪いものとなっても、ノアの時代に実行したような、全地を滅ぼす大洪水は起こさない、と主は心に誓われました。
それゆえ、すべての国、すべての民族が大水に飲み込まれるような大雨は、ノアの時代に一回起こっただけで、もはや、神は、そのような大雨を地上に降らすことはありません。
それゆえ、どんなに人の悪が満ちて世が悪いものとなっても、主は忍耐して保たれます。
人々を生かすために保たれているだけではありません。神は、良いものを悪いものといっしょに滅ぼすことはなさいません。悪いものを滅ぼす時を図っておられます。次は火で滅ぼすと仰せられているからです。
ノアに三人の息子がいました。彼らにも子どもができ子孫が生まれ、人は増加しました。
ノアの一つの家族から生まれた民は、一つのことばを話し、一つの民でした。
ハムの子クシュに二ムロデが生まれました。二ムロデは、地上で最初の権力者となりました。
民は、シヌアルの地(バビロン)に平地を見つけて、そこに定住しました。
権力者の二ムロデは、町を建て、天に届くような塔を建てて名を上げようとしました。
ノアが祭壇を築き祭壇の上で全焼の生贄をささげて、大水から救い出してくださった神を礼拝する感謝から始まった、洪水の後の世に、二ムロデは、神の主権に並ぶような人の力のシンボル、天に届くような高い塔を建てようとして、民に働きかけました。
民は一つ心となって、塔を建て始めました。民の心には、大水から救い出してくださった神への感謝も、神を崇めへりくだる礼拝の心もありません。
権力者は何人もいりません。二ムロデは、一つの民の権力者でいたかったのでしょう。一つの民が分かれて、神に全地に散らされることを憎みました。それで、力を固持するために、高い塔を建て始めました。
「そのとき主は人間の建てた町と塔を御覧になるために降りて来られた。
主は仰せになった。
『彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら(主権者である神のほかに権力者を持ち、人間が天に届く権威を望むなら)、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。(人の悪は、集合体になることで、収拾がつかなくなる)
さあ、(地上に)降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。』
こうして主は人々を、そこ(シヌアルの地)から地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
それゆえ、その町の名をバベル(混乱)と呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の前面に散らしたからである。」(創世記11:5-9)
神が罰せられないと、人の悪は増大し、また、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのを御存じの神は、一つのことばを多言語にして、互いに通じないようにされました。
ことばが通じなくなると、意思疎通ができなくなって、いっしょに作業をすることができなくなりました。人々は混乱し、一つであった民は、多言語化した言葉によって幾つかの民に分断しました。
人間が、互いに敵対するためにみずから、言語を分けて分断したのではありません。
人間の心は、悪いことだけに傾くのを御覧になった神御自身が、人々の言語を分けて、人が一つにならないようにし、人々を分断させて、地の前面に散らされたのです。
人間には、一つのことば一つの民は、よいことのように思われます。心を一つにすることは、調和を生む大切な要素です。
しかし、その一つとなった人間の群れ(民)は、目に見えない絶対主権者である神を見ることなく、目に見える権力者(人間)に従うようになります。一つとなった群れのその力には、調和力もあれば、破壊力もあります。
人の心には、罪の根があります。悪魔の言葉を語る蛇の言葉に騙された人は、善悪を知る知識の木の実を食べているからです。
いのちの根源であり、人を造られた創造主であられる神を仰がないで、自分自身の知恵と悪魔の知識に頼るのです。
エデンの園から追放された人は、神と一つではありません。神とのずれは、大きくなる一方です。神と一つではない悪魔の性質を受けているからです。悪魔は、自分が主人になりたいのです。神の主権を憎む悪魔は自分自身を神とし、自分の主権を求めます。
人の中には、悪魔が蒔いた罪の種が蒔かれています。それは、死に定められる罪の実を結ばせます。
生まれつきのままの人間が、肉の思いのまま一つになると、罪は拡大し、神の御霊は消されます。神の御霊を消すことが、最大の罪なのです。罪の報酬は死です。神を消すことは、永遠の死を意味します。
神は、次は火で滅ぼすと、定めておられます。
人間が神なしで一つとなるならば、悪魔の要塞となります。
火で滅ぼす時まで、世は保たれなければなりません。それゆえ、神は、人々の言葉を通じないようにして、人類が一つになることを阻み、また、地の前面に散らすことで、神から離れた人類が一つになることのないようにされたのです。
しかし、終わりの時が近づくと、全地が一つのことば、一つの話しことばであり、一つの民であったときの二ムロデの世界が再び姿を現わします。
世の終わりの時に、「反キリスト」の姿で現われます。
世はますます、神に裁かれるにふさわしい悪いものになっていきます。
一方で、神を畏れる正しい人たちの御救いのために、神の御霊が注がれます。彼らの言語は御霊の言語です。
人間の言語を一つにするのではありません。神があらゆる国、あらゆる民族、あらゆる国語の人たちに聖霊を注がれると、同じ一つの御霊を飲みます。
人間としては多言語であって言葉は通じませんが、御霊によって、ひとりの新しい人に造り変えられていきます。御霊によって、霊魂が整えられる一つの民(神の民)とされていきます。
終わりの時代、人類は、一つのことば一つの民の悪魔の民(蛇の言葉の中にいる生まれつきのままの肉の人間)と、一つのことば一つの民の神の民(御霊を飲む民)とに分かれるのです。
この二つのものが一致することは決してありません。
水が油と混ざることがないように、水と火が和合することがないように、完全に分かれます。
一つとなった悪魔の民(反キリストの民)は、神に敵対して、永遠の死に向かっており、一つとなる神の民(御霊の民、すなわち、キリストの民)は、神と和合して、永遠のいのちへと向かっているのです。