ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

信仰の土台と礎石を確認しよう

 

 「私たちは、このキリスト(私たちを造られた霊の父、神との和解を実現してくださった救い主イエス)によって、両者(割礼の民ユダヤ人も無割礼の民異邦人も)ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがたは、(キリスト・イエスにあって)もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たち(神と契約を結ぶ神の祭司の国民イスラエル)と同じ国民(御救いの契約を持つ神の民)であり、神の家族なのです。

 あなたがた(の信仰)は(キリストの)使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスがその(信仰の)礎石です。(使徒も、聖書に書かれた預言もみな、イエスが神の御子キリストであることを証言しています)」(エペソ2:18-20)

 

 私たちの信仰の土台に、イエスとともに歩んだ使徒たちの福音伝道があることを、私たちは知っています。

 また、使徒たちの宣教は、神の御子イエス・キリストについてであることも知っています。

 

 しかし、神の御子イエス・キリストの立っておられる土台については、明確ではありません。

 

 私たちは、旧約聖書が、神の御子イエスを証していることを聞いています。

 律法も、詩篇も、預言者たちも、イスラエルに遣わされるキリストを知らせています。それゆえ、イスラエルは、キリストの訪れを待ち望んでいるのです。

 

 「イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼ら(三人)の目の前で御姿が変わった。

 その御衣(イエスの衣)は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。(イエスの衣は、地上の、木綿や亜麻布を白くさらすさらし屋には決してできない白さ、この世のものとは思えない神々しい白さに輝いていた)

 また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。

 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。

 『先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。(私たちは、自分の目で、先生の美しく輝く御国の栄光を見、また、自分の目で、エリヤとモーセまで見ているのです。夢ではありません。この目で見ているこの光景は何とすばらしいものでしょう)(御国の栄光を見た)私たちが、幕屋を三つ造ります。

 あなた(先生)のために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。』

 実のところ、(人間が思いつくことのできない、とんでもない光景を見た)ペテロは言うべきことがわからなかったのである。彼らは恐怖に打たれたのであった。

 そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、『これは、わたしの愛する子である。彼(神の御子イエス・キリスト)の言うことを聞きなさい。』という声がした。

 彼ら(三人)が急いであたりを見回すと、自分たちといっしょにいるのはイエスだけで、そこにはもはやだれも見えなかった。

 さて、山を降りながら、イエスは彼ら(三人の使徒)に、人の子が死人の中から甦るときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。」(マルコ9:2-9)

 

 ペテロとヤコブとヨハネの三人の使徒は、御使いではなく、聖書に出て来るユダヤ人の先祖を見ました。

 イスラエルに律法を与えたモーセと、預言者エリヤを見たのです。会ったことのないずいぶん昔の人たちですが、見てすぐに、モーセとエリヤであると、自分の霊ではっきりと理解できました。

 

 モーセもエリヤも、聖書の中でも、特別な人物です。ユダヤ人たちは、イスラエルに律法を与えたモーセに望みをおいています。

 また、聖書には、「見よ。わたし(主)は、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤを遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、呪いでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5,6)とあります。

 

 預言の成就として、ナザレのイエスが世に現れる前に、エリヤの霊を持つバプテスマのヨハネがイスラエルに遣わされました。

 

 ペテロとヤコブとヨハネは、律法のモーセと、預言者エリヤを見ました。モーセとエリヤが現れて、ユダヤ人の王として来られたダビデの子イエスと語り合っているではありませんか。

 イスラエルに与えられた律法と、詩篇と、預言者は、神の子羊として来られたナザレのイエスによって、完成します。

 

 使徒たちは、律法の象徴であるモーセと、預言者の象徴であるエリヤと、詩篇を書いたダビデを象徴するユダヤ人の王イエスの会見を見たのです。

 肉体を持つ「人の子」としてイスラエルに来られた神のひとり子イエスが、ユダヤ人たちが完成することのできなかった、ユダヤ民族の契約を完成されるのです。

 

 この光景を見たペテロは、イエスが「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」と尋ねられたとき、「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白しています。

 「するとイエスは、彼(ペテロ)に答えて言われた。

 『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父(天の神)です。(聖霊があなたにことばを授けたのです)

 ではわたし(イエス)もあなた(シモン)に言います。あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの岩(ナザレのイエスが生ける神の御子キリストであることを確信する、岩のような揺るぎのない御霊の信仰)の上にわたしの教会(キリストの御霊によって造られる、永遠のいのちを得る人たちの御霊の教会)を建てます。ハデスの門(死が定まっている罪の呪い)もそれ(主イエス・キリストの御名と聖霊の御力)には打ち勝てません。

 わたしは、あなた(御霊の信仰)に天の御国の鍵を上げます。何でもあなたが地上で繋ぐなら、それは天においても繋がれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。』」(マタイ16:17-19)

 

 イエスの栄光の御姿を見たヤコブは、聖霊が注がれた後に、聖霊によってつくられたエルサレム教会の指導者となりました。十二使徒のうちの中心人物となったのです。

 

 ともに歩んで来たナザレのイエスが、律法と詩篇と預言者によって証されたキリストであることを、イエスとモーセとエリヤとの会見の光景を見て明確に知ったヨハネは、イエス・キリストの黙示を託され、「ヨハネの黙示録」を書きました。

 

 神に遣わされた神の御子イエス・キリストの立ってお会られる土台とは何でしょうか。

 イエスが、ベツレヘムでお生まれになったとき、御使いは羊飼いたちに現れて言いました。「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために(ユダヤ人のために)、救い主がお生まれになりました。この方こそキリストです。」(ルカ2:11)

 

 東方の賢者たちは、星を見て、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を知り、ベツレヘムに来て、幼子イエスを拝みました。

 

 イエスがつけられた十字架の罪状書きには、「ユダヤの王」と書かれていました。

 

 イエスは、ユダヤ人の王であり、エルサレムの贖いであり、イスラエルの慰めであり、異邦人を照らす啓示の光であり、御民(神の民)イスラエルの光栄である救い主、主キリストです。地上のすべての民族は、ユダヤ人から出たキリストによって祝福され、御救いを受けます。ユダヤ民族は、祝福の基となるのです。

 

 救い主イエス・キリストの立っておられる土台には、アブラハムの信仰と、アブラハムの契約があります。

 

 神は、アブラハムに、アブラハムの契約を相続する子イサクを与え、イサクの子ヤコブをアブラハムの相続人とし、アブラハムの子孫と呼ばれました。

 神は、ヤコブと契約を結ばれました。ヤコブの十二人の息子を族長とするユダヤ民族に、アブラハムに与えた土地(カナン全土)を彼らの所有地としてお与えになります。

 

 ヤコブは人と戦い、神と戦って勝利し、アブラハムの契約と祝福を勝ち取った信仰者です。神は、信仰の勝利者であるヤコブをイスラエルと呼びました。

 イスラエルは、アブラハムの契約と祝福を相続する神の祭司の国民とされて、モーセの律法を与えられました。神は、神の祭司の国民イスラエルに、「聖書」をゆだねられました。

 「聖書」には、ユダヤ人から出る救い主について書かれています。

 

 主イエス・キリストは、ユダヤ人から出た救い主、神の御子キリストです。

 律法、詩篇、預言者の成就として、神の子羊イエスは、神に遣わされました。

 神の祭司の国民ユダヤ人たちの手によって、十字架で屠られました。神の子羊イエスの血は、世の罪を取り除く、罪の贖いの血です。

 キリストは、ユダヤ教の中で育ち、ユダヤ人の聖書をご自分の肉において成就されました。イエスは、ユダヤ民族が託された聖書の主です。

 

 キリスト教徒が「旧約聖書」と呼ぶユダヤ人の聖書の律法も詩篇も預言書も、ナザレのイエスが完成しました。

 そして、新しい契約が与えられました。文字の律法ではなく、生ける神の御霊の律法をお与えになりました。

 

 「新約聖書」は、ナザレのイエスが、旧約聖書を完成した神の御子キリストであることを証ししています。

 イエスは、旧約聖書を完成し贖いのみわざを成し遂げて、ご自分を遣わされた方のもと、天に上られると、神から聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けました。

 

 イエスの弟子たちは、主イエス・キリストの御名によって聖霊のバプテスマを授けられると、聖霊によって、復活のキリストの福音を宣べ伝えました。

 使徒たちの宣教の働きは、「使徒の働き」に書かれています。使徒の働きは、実は、聖霊の働きでした。使徒たちは、聖霊に聞き従って、神の栄光を現わしたのです。

 

 最初のエルサレム教会は、御霊によってつくられた神の教会です。

 私たちの主イエス・キリストは、アブラハムの子孫イスラエルの契約の中に立っておられます。この契約から外れることはありません。

 主イエスは、ユダヤ人の中から出た救い主です。神のひとり子イエス・キリストはユダヤ人なのです。

 

 ユダヤ人の王イエス・キリストの御霊によって、イスラエルはみな救われる。これが、神がイスラエルに約束しておられることです。

 イスラエル人が主イエス・キリストを信じず、心頑なになっているのは、異邦人が救われるためです。神のあわれみによります。神から遠く離れていた異邦人をあわれみ、御自分の民を後回しにして、異邦人を救ってくださるのです。異邦人の救いが完成する時が来ると、ユダヤ人の救いの時が開かれます。

 

 私たちの信仰の土台には、新約聖書と使徒たちの証言があります。使徒たちの立っている信仰の礎石(神の御子イエス・キリスト)は、イスラエルの中に据えられています。

 

 イスラエルから離れたところにキリストの救いはありません。ユダヤ人以外の人の中から救い主は起こりません。

 救いは、ユダヤ人にありイスラエルにあると、イスラエルの神が定めておられ、イスラエルの王イエス・キリストの民に、永遠のいのちを与えられるからです。

 この奥義は、真理の御霊によらなければ、理解できません。