紀元前六世紀のダニエルは、幻を見ました。
「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この方(人の子のような方)に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。(神は、キリストに、世界を統治する王として、千年王国を治める権威を与えられた)」(ダニエル7:13,14)
彼は、人間の姿をしています。しかし、肉体の人ではありません。
「人の子」とは、エバを騙した蛇に、主が仰せられた、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く女の子孫ではないでしょうか。
神がアブラハムの子孫イスラエルに遣わす、と約束されたキリストのことです。
ダニエルの時代から約六百年後、処女マリアの胎から生まれたイエスは、十字架で、世の罪を取り除く贖いの血を流して、墓に葬られ、三日目に墓から甦られました。
肉体の人の子イエスは、聖霊により御霊のからだと永遠のいのちを得て、復活したキリストとなられました。
御使いが処女マリアに現われて、聖霊によって男の子をみごもる、と告げました。
「あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子(イエス)はすぐれた者となり、いと高き方の子(神の子)と呼ばれます。また、神である主は彼(イエス)にその父ダビデの王位をお与えになります。(マリアは、ユダ族ダビデの子孫の父と、大祭司アロンの血を引く母の娘です。神の御子イエスは、ダビデの子孫として生まれました)
彼(イエス)はとこしえにヤコブの家(イスラエル)を治め、その国は終わることがありません。(神はダビデ王に、ダビデの王座に着くとこしえの王を与えることを約束しておられます。イエスは、その約束の王なのです)」(ルカ1:31-33)
御使いはマリアに言いました。
「聖霊があなた(マリア)の上に臨み、いと高き方(全能の神、主)の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)
蛇の頭(悪魔)を踏み砕く女の子孫、人の子は、ダビデの子であり、キリストです。神がイスラエルに遣わされるキリストは、神の御子です。
聖霊によって処女マリアの胎内に宿った神の御子イエス・キリストは、十字架につけられて、救いのみわざを成し遂げられると、聖霊によって御霊のからだと永遠のいのちの新しい人となられました。御霊の新しい創造を受けられたのです。
神のひとり子イエス・キリストは、死から甦って、神の子どもたちの長子となられました。神の子どもとは、肉に死んで、御霊によって生まれ、新しく造り変えられた新しい人、御霊の人です。
キリストは、新しい人の初穂です。
キリストは、肉の「人の子」(神を敬う魂、人の子の霊)に真理の御霊を授けて、御霊によって新しい人に造り変え、新しい人を創造されます。
アダムは、キリストの血で贖われ、真理の御霊【永遠のいのち】を受けて第二のアダムに造り変えられます。
復活したイエス・キリストは、使徒たちに聖霊のバプテスマを授けることを約束して、使徒たちの見ている間に天に上られました。
「イエスは言われた。
『聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたし(復活した神の御子キリスト・イエス)の証人となります。』
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。」(使徒1:8,9)
地上では、使徒たちが、天に上って行かれるイエスが雲に包まれるのを見上げていました。
ダニエルは、この時の天上の光景を見たのでした。
人の子のような方(新しい人となられた御霊のからだの神の御子イエス・キリスト)が天の雲に乗って来られ、御座におられる父なる神の御前に進み、聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けるのを見たのでした。
現実の世界で起こることは、すでに霊の世界で起こっているということを聞きます。霊の世界で起こったことが、肉眼で見る現実の世界に現れているのです。
「(全能の神であるイスラエルの神)主は、私(ダビデ)の主(イスラエルを贖う方)に仰せられる。
『わたし(父なる神)があなた(神の御子キリスト)の敵(悪魔、反キリスト)をあなた(神の子羊キリスト・イエス)の足台とするまでは、わたし(御座におられる方)の右の座に着いていよ。』」(詩篇110:1)
紀元前十世紀のダビデ王は、ダニエルが見た幻の先を見ています。
復活の主イエス・キリストは、すでに、御座におられる方の右の座に着座しておられます。
そして、御座におられる方が右の座に着いておられる御子キリストに仰せられたことを聞いたのでした。
「パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。
『あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼(キリスト)はだれの子ですか。』
彼らはイエスに言った。『ダビデの子です。』
イエスは彼ら(パリサイ人たち)に言われた。
『それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼(キリスト)を主と呼び、
「主は私の主に言われた。『わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。』」と言っているのですか。
ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼(主キリスト)はダビデの子なのでしょう。(キリストは神の御子です)」(マタイ22:41-45)
ユダヤ人たちが待ち望んでいるキリストは、ダビデの子として生まれる「人の子」であり、また、神の御子であるということを、イエスは語られたのでした。
「キリストは、罪のために一つの永遠の生贄(神の子羊イエス)をささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵(悪魔、反キリスト)がご自分の足台となるのを待っておられるのです。」(へブル10:12,13)
私たちの目には見えませんが、真理の御霊によって、これらのことが啓示されています。
それゆえ、パウロは言います。
「もしあなたがたが(御霊を受けて)、キリストとともに甦らされたのなら(肉に死に、御霊によって生まれたのなら)、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右の座を占めておられます。
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるもの(永遠のいのち)を思いなさい。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(肉体の私たちは地上に生きています。しかし、霊においては、すでに死んでおり、御霊によって死から救い出されて、天に名前が記されているのです)」(コロサイ3:1-3)
「神に選ばれた人を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
(神の民を)罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、甦られた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、(信仰によって新しく生まれた御霊の子である)私たちのために執り成していてくださるのです。」(ローマ8:33,34)
御霊を受けた私たちは、御霊によって、霊の世界で起こることを知ることができます。現実の世界に現れる前に知らせてくださいます。
預言であったり、幻であったり、予知夢であったり。その示しが、避けたい内容であれば、祈りによって、現実を変えることもできます。
現実世界で起こったことが、霊の世界で承認されるように思いがちですが、実際には、霊の世界の方が先のようです。
たとえば、心に思い描いた事が現実になるとか、祈りが聞かれるとかによって、私たちはそのことを体験することができます。
私たちの心にあることが、現実化するのです。
神を信じます、キリストを信じます、と告白しても、心が伴っていないならば、神の栄光を見る事はできません。
「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」(マタイ6:21)
その人が大事にしていること、その人の心のある所に、その人の宝があり、その人の真実があるのです。
「自分の宝は、天にたくわえなさい。」(マタイ6:20)
地上に宝をたくわえても、それは永遠のものとはなりません。人には死があるからです。死に勝利する宝(永遠のいのちへと導く宝、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制など、御霊によって造り変えられるいのちの輝き)を、天に積み上げましょう。
聖書に書かれていることは、すでに霊の世界で現実に起こっていることのようです。
まだ、成就していないことも、私たちは、現実の世界でこれから経験することとなるのです。
肉の人が毎週教会に行き、何年も熱心に宗教のキリスト教を信じていても、御霊によらなければ、霊の世界の体験をすることはできません。神は霊だからです。
肉の人の信仰ではなく、御霊の信仰によって、救いは現実のものとなります。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。(私たちのうちには、キリストの御霊がおられるからです)
これは、信仰の結果である、魂の救い(約束の御霊)を得ているからです。」(ペテロ第一1:8,9)