ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

霊界では正しい者と不正な者 聖なる者と汚れた者とは着実に分かれている

 

 「この書物(ヨハネの黙示録)の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。(封印は解かれる)時が迫っているからである。

 不正を行なう者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。

 正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。

 見よ、わたし(神の御座の右に着座している神の小羊イエス・キリスト)はすぐに来る。わたし(復活のキリスト。死から甦り永遠に生きる新しい人である神の小羊イエス)は、報いを携えて来て、それぞれの行ないに応じて報いる。(不正を行う者には不正の報いを、汚れた者には汚れた報いを、正しい者には正しい報いを、聖なる者には聖なる報いを携えて、主キリストはやって来る)

 わたし(神のひとり子である神の小羊イエス・キリスト)はアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。(キリストは、創造の初めであり、創造を完結する神のひとり子である。また、罪の贖いを成し遂げた最初の人の子であり、死から復活する新しい人を完成する最後の人の子〈キリストのからだ〉である。そして、キリストは、神が創造した天地万物の存在の目的であり原因である方であり、天地万物を創造した目的を完了して、永遠のいのちを得る新しい被造物〈新しい人〉を天の御国に入れて、新しく造り変えられることのなかった肉のままの天地万物を無に帰す、神の御子である)

 いのちの木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者(行ないを悔改めて、神を仰ぎ見る新しい心で生きる者)は幸いである。

 犬のような者(聖徒の中をかぎまわる者)、魔術を行なう者(偽りであざむく者)、みだらなことをする者(不品行な者)、人を殺す者(いのちをないがしろにする者)、偶像を拝む者(神を神としない者)、すべて偽りを好み、また(偽りを)行う者は(いのちの木のある)都の外にいる。(生き残って千年王国に入ったとしても、いのちの木のある都に入ることは許されない)

 わたし(唯一、キリストの権威を持つ)、(神の小羊)イエスは(使徒ヨハネに)使いを遣わし、諸教会の(キリストの手の中にある七つの御霊の教会が信仰の勝利をして御救い〈永遠のいのち〉を受ける)ために、以上のことをあなたがた(主を信じる聖徒ら)に証しした。

 わたし(神の小羊イエス・キリスト)は、ダビデのひこばえ(神が、エッサイの根株から新芽〈イスラエルの王ダビデ〉を生えさせ、その根から出た若枝〈「ダビデの子」と呼ばれる神の御子キリスト)、その一族(ダビデの子孫である、ユダ族の獅子)、輝く明けの明星である。(キリストは、人間の支配する世界を終わらせて、神の御子、すなわち、とこしえに生きるキリストが正義によって支配する新しい世を開き、天においても地においても主権を持つ主権者、平和の王である)』」(共同訳黙示録22:10-16)

 

 2024年頃から、封印が解かれて魂が目覚め、新しい霊的な世界の国造りが始まることが公に知らされ、私たちも知るようになりました。

 物質世界の中に生きて来た私たちは、これが現実の世界だと思わされていました。

 しかし、目に見えない世界があって、その目に見えない世界こそが現実であり、永遠のものである、ということが知らされました。

 都市伝説として、ひそかに語られて来たことが、現実を帯びる時代となって来たのです。

 

 聖書の黙示録に書かれていることが、現実に起こることなのかも知れないと、一般人にも信じられる時代に突入したのです。

 

 コロナ禍は、世界を裸にしました。人類の目を覆い、その覆いを留めていた留め金がはずれて、霊的な思いを塞ぐ肉なる人間の目に、目隠しして見せなかった、この世の闇の覆いの力が弱まりました。

 

 日常のあらゆる活動が止まり、私たちの思考は停止状態になりました。しかし、いつまでも、立ち止まっているわけにはいきません。私たちは生きているのですから。

 すると、目に見える現実に繋がれていた私たちの魂は、生きるために目を覚ましました。目を覚ました魂は、膠着状態にある世界を現実のものとは思えなくなりました。すると、静かな時を得た魂は、意識層の深いところをさすらい始めました。

 

 交わりが断たれて、先が見えない日々は、いつまで経ってもよくなりません。自分だけではありません。地域が社会が、国が世界が、すべてのものが深い穴に落ち込んでしまったようです。何かに向かって、助けを求めたいのに、みなが同じ苦しみの中にあって、もがいている状態です。

 

 医療従事者の人たち、スーパーの人たちの存在を感謝しつつも、私たちはどこに向かったらよいのか、だれにもわかりません。

 そんな動きの鈍くなったときに、魂はうちでうめきました。その時、魂の存在を意識する、孤独とも違う、自分と向き合う時を得たのでした。

 

 世界の空気が止まったかのようなその期間は、想像以上に長いものでした。

 しかし、その期間を通して、目に見えないものを否定することのない、魂の目覚めを体験する人々もいました。

 日常生活が順調に回り、活動していた時には、耳を貸さなかった魂の声に気づく人が起こったのです。

 

 これから、自分はどうなってしまうのか、という不安から、自分の存在を客観的に見つめ直しました。今まで、なおざりにされていた魂は、ここぞとばかりに、質問を投げかけます。

 自分は何のために存在しているのだろうか。

 

 肉の人は、魂を通して、人生を考え直す機会を得ました。すると、霊的な感覚が少しずつ頭をもたげ始めました。

 

 この期間、神は、私たちの意識に変革をもたらしました。

 都市伝説だと笑って眉唾物に捉えていた話に耳を傾け、霊的領域で起こることも、本当のことかも知れないと思うようになりました。

 

 目に見えるものが当てにならないものだとわかると、揺るがないものを求める心が芽生えて、確かなものを捜し始めました。

 そして、真理のことば、すなわち、神のことばに耳を傾ける、新しい耳、すなわち、霊の耳が起動し始めました。

 

 世界は、霊魂を目覚めさせる揺るがしの時をくぐり、日本列島の封印は解かれて、魂が目覚める、といわれる時を迎えたのでした。

 

 心に小さな違和感を残したまま、社会は動き始めました。

 目覚めた魂は、それまでの生き方で満足できなくなりました。

 

 しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れる、という魂も多くいます。

 それぞれの魂は、それぞれの選択によって生きます。

 

 同じように困難をくぐっても、困難の中で学ぶ人と学ばない人、変わる人と変わらない人とがあります。

 それは、誰かに強制されるからではなく、それぞれの魂が選んだ結果です。魂には、自由意思があります。

 

 皆が、同じコロナ禍をくぐって、次の魂のステージに立ちました。

 肉の感覚の生き方から、霊的な感覚とともに新しい歩みを始める人も現われました。

 

 この数年間で、足並みのそろわなかった魂が、やっと、次の新しい世界に入るために心を定める人々が現れて、おのおのの魂の選びは確かなものとなって来ました。

 

 霊魂によって生きようと思う人の中にも、正しく生きたいと思う人と、身魂を磨いて聖なる者となりたいと願う人、信仰が芽生える人、魂に素直になる人など、様々な人がいます。

 また、魂の清めに興味を持ちながら、実は、そういう人々の中に混じって観察する人や、嘲笑う人もいます。自分事になっていないのです。

 

 現在、おののの魂が何を選択したのかを、神が見極める時期に入っています。

 人をごまかせても、神をごまかすことはできません。

 

 神は、それぞれの魂の深いところにある関心事と求めとを知り、それぞれの願いが成るようにしておられるのです。

 

 それぞれの人は、自分の魂の望むままを生きて、そして、神は、そのままを評価されるのです。

 

 誰かが強制するのでも、誘惑するのでもありません。自分自身のうちにある魂が選ぶ道を、選び取るだけです。

 そして、それぞれ、その選び取った道にふさわしい報いを受けることが定められています。

 

 それぞれの魂にふさわしい報いを携えて来られる「明けの明星」、すなわち、新しい世を開く「神の小羊イエス・キリスト」の来られる時は、近づいているのです。