ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

大和民族は日本の救いの要 

 

 日本列島に国をかたち造ったのは、大和民族です。

 先住民の時代には、日本列島の各地域にそれぞれの群れがあったのでしょうが、一つの国にかたち造ったのは、大和民族です。

 大和民族が、日本国の礎をつくりました。

 

 聖徳太子が制定した『十七条憲法』の第一条に「和を以て貴しと為す(和をもって尊しとなす)」とあります。

 

 国家運営や国体における協調・秩序維持が重視されています。

 縄文人たちは、自然と共生し、平和に暮らしていたようです。そこに大陸から渡来して来た人々が入り、国造りがなされたのでしょう。

 アッシリア捕囚から離散し、東へ向かった北イスラエル王国のユダヤ人たちが、神を中心とする国造りをしたのではないかと、私は思います。

 

 神への祭儀をもって神に仕える、神の祭司の民として神に選ばれたユダヤ民族によってかたち造られた、イスラエル王国にいたユダヤ人たちが、国の概念のない日本列島の先住民に、正しい神概念と国家意識を植え付けたのではないでしょうか。

 

 使徒パウロはアテネの人たちが宗教心にあついことを悟りました。

 「そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。

 『アテネの人たち。あらゆる天から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。

 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、「知られない神に。」と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。

 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。

 私たちは、神(生けるまことの神、いのちの根源であられる全能者)の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒17:22-25,28)

 

 渡来して来たユダヤ人たちもまた、日本列島の先住民の中に、自然と共生して互いに害さないで平和に暮らす良心と、神を恐れる信仰を見たのでしょう。

 それは、宗教ではありません。彼らには、教典も律法もありません。それなのに、みなが同じ律法を守っているかのように、愛と平和に溢れ、生かされる喜びを持っているのです。

 

 愛と喜びと平和と感謝のある先住民たちに律法を教えなくても、秩序の乱れる心配はありませんでした。

 律法は、違反者のためにあるからです。

 

 神から、神の民のしるしである割礼と律法を受けているユダヤ人であっても、律法にそむいているなら、その人の肉の割礼は無いに等しいのです。

 もし、割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者(神の民)とみなされるのではないか、とパウロは言っています。

 

 「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼(肉の割礼)が割礼(神の民の契約)なのではありません。

 かえって人目に隠れたユダヤ人(からだに割礼を受けないで律法を守る神のしもべ)がユダヤ人(神の民)であり、文字(律法)ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼(神の契約の民のしるし)です。(生ける神の霊、真理の御霊によって教えられ、生かす御霊によって永遠のいのちを得ていなければ、天の御国に入る神の民となることはできません)」(ローマ2:28,29)

 

 渡来して来たユダヤ人たちは、日本列島の先住民に、いのちの律法、心の割礼を見たのでしょう。彼らは、神を恐れる民です。

 縄文人に、神の祭司の民イスラエルも忘れた、父祖アブラハムの信仰を見たユダヤ人たちは生きた信仰(目に見えない神を畏れ、霊とまことをもって生けるまことの神に仕える純真な信仰)に立ち返り、日本列島で、心新たにして神に仕えたことでしょう。

 縄文人は、神の祭儀を執り行う神の民ユダヤ人たちに、目に見えない神の荘厳な儀式に神の臨在を見て、神を畏れることを学んだことでしょう。先住民と渡来人は、目に見えない生けるまことの神により、調和しました。

 

 自然を教師とし、自然の中で働く霊なる存在に教えられていた先住民は、自然の中で働く大いなる神の名前を知り、ユダヤ人の神を受け入れたことでしょう。

 

 あとから渡来した二部族(南ユダ王国の離散者)が、政治的な国造りを進めて大和民族がかたち造られたのでしょう。

 

 かつて、エジプトの地で奴隷であったユダヤ人たちは、神が遣わされたモーセによって、奴隷の家エジプトから連れ出されました。そして、荒野で神と契約を結び、神の祭司の国民イスラエルとされました。

 エジプトから出て来たイスラエルは、アブラハムの契約の子孫のユダヤ民族だけではありませんでした。ユダヤ民族の神に従い、ともにエジプトを出て来た外国人たちもいました。

 

 神は、外国人たちにも、アブラハムの家の男子に命じた肉の割礼を、命じられました。肉の割礼を受ける者は、イスラエルの在留異国人に数えられました。外国人であっても、イスラエルの神の恵みの中に加えられたのです。

 

 大和民族は、神の契約を持つユダヤ民族が中心となって、日本列島に神の国をかたち造った、先住民をも含む神の民です。

 神の祭儀により、信仰の民が育てられました。大和民族がもっていた、自然の中に生ける神の気配を感じ、目に見えない神を畏れ、すべてのことに感謝し、いのちを慈しむ大和の心を、大和魂と呼びます。

 

 大和民族の古神道の岡本天明に降ろされた「日月神示」には、大和魂を救うという約束が書かれています。

 大和魂は、大和民族の中に育まれた魂です。

 

 その大和民族が建て上げた国に、大陸からの渡来人が加わると、律法が必要になりました。心の律法を持たない人々が増加したからです。

 律法の違反者たちが増えたからです。秩序だった和合の精神を持たない渡来人の心に、心の律法が書き記されないならば、文字で表現しなくてはいけません。

 

 大和民族が持った律法は、平和の律法でした。

 しかし、日本民族は、その平和の律法を精神の根底に据えながら、目に見えない神を中心とする政治ではなく、ほかの国々と同じになりました。

 

 日本国民は、大きく分けて三つになります。

 大和民族の血統の子孫の日本人と、大和民族の血統ではない渡来人の子孫の日本民族と、日本国籍を持つ帰化人です。

 大和民族の子孫なのか、日本民族の子孫なのか、歴史の中に埋もれてしまって、本人もわかりません。

 

 また、日本語を話し、日本人の名前を持ち、日本国民として暮らす帰化人の子孫は、日本民族の中に数えられていて、日本人と区別がつかなくなっています。

 

 古来から、日本人を養い育てて来た日本の神々は、大和民族の魂に宿る信仰を覚えておられます。なぜならば、大和民族を救うと約束しておられるからです。

 

 大和民族は、アブラハムが契約を結んだ全知全能の神、主を民族の神とするユダヤ人の血が流れ、また、ユダヤ人の神の中にはいった民族であり、神の民として神に仕える心を宿した民族です。

 大和民族には、大和魂が据えられています。

 

 神は、大和民族の意識を神に向けさせられます。大和魂を眠りから覚まされるのです。

 神が、日本列島の中に隠しておられる、世界の救い主と噂される人々は、大和民族から起こります。

 

 私は、大和民族の目覚めと、救いのために祈っています。

 大和民族の救いは、日本民族の救いを導くと思うからです。

 

 神に導かれる神社やお寺では、キリストの血が注がれて贖われるように祈ります。

 そして、神社仏閣で祈る人たちに、生ける神が触れてくださり、目に見えない霊なる神を体験することができるように、と祈ります。

 

 大和魂が目覚めて回復することは、日本列島に神を畏れる正しい心の人たちが起こることです。神の目に純粋な信仰が見られるとき、神は喜んで、日本列島を祝福してくださいます。

 

 日本列島の大和魂が神に立ち返り起動すると、世界中にいる大和魂も眠りから覚めるでしょう。

 目に見える現実世界から、目に見えない精神世界に意識が向かい、神の霊が注がれる天の道を開いて行くことでしょう。

 日本列島の霊界を覆う闇の霊に、天と通じる道が開くと、神の祝福の雨が降り注がれることでしょう。

 

 日本人の救いの要にあるのは、大和魂の目覚めと、大和民族が正しい持ち場につくことだと思います。