ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

世界の救いのために保たれた大和民族

 

 日本国の精神の中核には、大和民族がいます。

 日本人の精神性を守り支えて来た、日本国民の精神の礎です。日本人が、文明開化の大波に飲み込まれても、動かなかった巌です。大和魂のともしびを灯し続けて来た人々です。

 

 日本人の心が日本の神々から離れても、大和民族の祭司たちは、日夜、神に仕えてきました。

 日本人の心が抹香臭いと言って仏から離れても、古の大和民族が死の向こうにある望みを思い描いて頼みとした務めを、途切れることなく、日本列島のあちらこちらで繋いで来ました。

 

 新政府によって、神仏が分離されても、壊れた欠片を大切に守り、保ち続けました。

 大戦によって、日本の大祭司である天皇の神の祭司の務めを隠して、日本の象徴とされた後でも、天皇の祈りは、途切れることはありませんでした。

 

 バブルの景気に浮かれた日本国内でも、相変わらず、大和魂をかたち造った古神道、仏教は、分離しながらも、おのおの成すべき役割をやり続けていました。

 神仏から心が離れた若者に溢れる日本国であっても、その務めが止むことはありませんでした。

 

 昔からある事を、将来につなげるために、伝統は守られました。

 日本民族の中に、特別な役割を担う人たちが残されていました。大和魂の火を消さない務めは、果たされて来たのです。

 

 世界が物質主義の気運にのまれ、技術革新や便利な社会づくりに邁進する中で、古からの古臭い伝統は、彼らによって守られていました。

 それで、日本人のうちに、神社仏閣で手を合わせる習慣が残されました。それは、本当に神を畏れ、目に見えないものをあるもののように信じて崇める少数の大和魂の人たちの心の糧でした。

 大和魂の心の拠り所は、日本人の精神性を守りました。

 

 2600年続く天皇の祈りは、大海に囲まれた日本列島に、目には見えない神々の城壁を建てています。

 神社の鳥居は、人間の暮らす俗界と、神聖な神域との境界をつくり、聖なる神の領域を守っています。

 日本列島を取り囲む大海は、神が大和民族を守るために造られた日本列島を、俗なるものから守る鳥居の役目を果たしています。

 

 神は、邪な心、悪しき心で日本列島に近づく賊を、大風を送り大海を荒立たせて退けて来られました。

 日本列島には、神と契約を結ぶ神の民が隠されていたからです。

 それゆえ、日本列島は、神の御手が置かれています。神にへりくだる者には祝福が、神に高ぶる者には呪いが与えられます。

 それは、現世でなくとも、死んだ後の魂に及びます。これは、厳粛なことです。

 

 神の御住まいの霊山とされる富士山は、神を畏れる者を神に近づけ、神に高ぶる者、神を侮る者を、退けられる神が鎮座しておられる場所です。

 宇宙神と呼ばれる国常立神(「日月神示」を降ろした艮の金神〈うしとらのこんじん〉の封印が解けた姿。私は、世界におひとりしかいない神のひとり子、「人の子」となられた神の御子キリストの、大和民族に現れた姿だと、思っています)は、封印が解かれると、富士山に鎮座されたようです。

 国常立神は、日本国において、霊的なとこしえの国造りの主権者であられ、霊的世界で新しい神の国造りをされる神です。肉の人の物質世界ではなく、永遠のいのちを求める新しい心の人の精神世界を支配されます。

 

 現在、日本列島では、物質界の日本人の中から、霊界で生きる人々をより分けられているようです。

 すなわち、いのちの光をともす人々が起こされているのです。

 肉の目には見えません。それは、霊的な光です。真理の光です。真理は普遍的で不変のものです。それは、心に蒔かれたいのちの種(信仰)が魂に根づいた状態です。

 

 目に見えない霊の存在である方の中で生きる魂です。

 その存在を、ある人はキリストと呼び、ある人は神と呼び、ある人は阿弥陀如来と呼びます。人は、自分の魂を受け取ってくださる方の存在を知りました。

 死が終わりではないこと、魂は永遠に生き続けることを知りました。

 そして、自分は生かされている者であることを知るに至ったのです。生命は自分のもののようで、実は、預かったいのちを生かしていただいていることを知ったのです。

 

 今まで、預かったいのちを、自分のために生きて来ました。しかし、魂には帰るべき場所があることを悟ると、永遠の安息の場所に帰る魂とされるために、預かったいのちを魂の浄化と魂の完成を目的とする新しい生き方に、意識が向けられるようになりました。意識が変わったのです。

 

 自分のうちにある魂が目覚めると、肉の思いは滅び、魂の思いは救いであることが見えて来ました。

 物質社会で、魂は震えていました。帰るべき場所を失った失意の人が、望みなく、当てどもなくさまよっているようでした。安らぎはなく、疲れ果て、何かに怯えていたのです。

 

 人はお金でもなく、物質でもなく、安心を求めていたのです。安心感を得るために、物欲に駆り立てられ、お金を求め続けていました。

 しかし、お金も、物質も、人の愛も、一時的な安堵にすぎませんでした。大風が吹けば、吹き飛んでしまうような当てのないものだったのです。

 

 肉体はやがて朽ちます。しかし、魂は永遠に残るのです。

 永遠に残る魂は、一時的な一安心に満足しません。大風が吹いても揺らぐことのない巌に宿りたいのです。

 

 張りぼての住まい(滅びの定まっている肉のからだ)を捨てて、真理のいのちに輝くまことの住まい(御霊のからだ)の中で安息したいのです。

 

 世界中のあらゆる民族があきらめた永遠の安息を、大和民族の魂、神のいのちの中で生きる大和魂は、あきらめませんでした。物質世界に生きても、その望みを持ち続けました。

 神は、大和民族が目覚める時を用意されました。

 すでにあった御救いを、信仰をもって受けるようにと、神は、目覚めた大和魂に喜びの知らせを告げられます。

 

 神は、呻きながらあきらめなかった魂を御存じです。

 失意の中で生きながら、日々成すべきことを黙々と成し続け、手を抜かなかった忠実な魂を御存じです。

 

 神は、このような魂を救う時を設けておられます。

 望みを持つ捕われ人に、手を差し伸べられます。

 

 「望みを持つ捕われ人よ。とりでに帰れ。」(ゼカリヤ9:12)

 大和民族には、あらゆる悪から守り、敵の攻撃を防ぐ、目に見えない大いなる存在の用意された巌があります。

 実は、目に見えない大いなる御力が、大和民族の魂を守るとりででした。

 大和魂は、目覚めると、古いとりでを見い出します。霊の目が開かれ、霊の耳が開かれると、先人から受け継いで魂に刻まれた信仰の中に、魂の安らぎがあることに気づきます。それは、不変の愛です。目に見えない神は、私たちを守り慈しみ、愛で安らがせてくださいます。

 先人たちは、この方を聖い神として知っていました。しかし、私たちは、この方を愛と慰めの神、御救いの神、安息の主として知るのです。

 

 「主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。

 (大和民族とともにいて下さった大いなる方は)ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。(新しい霊的世界、御救いの国を造られる神は、大和魂を、滅びに向かわせる敵〈悪しき霊〉から守り、永遠の安息へと導き入れてくださいます)」(詩篇18:2,3)

 

 大海に囲まれた日本列島の中で守られた大和民族の信仰は、神御自身が守られました。彼らの信仰は宗教ではありません。生けるまことの神、主が据えられた信仰です。

 大和民族は、自然の中で働く霊なる神に隠された奥義を教えられ、仏法により正しく生きる人の道を学びました。

 

 終わりの時代、このようなバランスのとれた信仰は珍しいのです。

 世界の多くの人々は、宗教の教義に縛られて、互いに争います。

 しかし、大和民族は、愛と平和と調和のいのちの神を信仰するのです。

 

 世界中の宗教人も、大和民族が得ている安息を求めるようになるでしょう。

 大和民族のうちに残された信仰は、日本人の救いのためであり、また、世界の救いのためです。

 日本列島から起こるとされるふたりの証人、大和民族から出るふたりと、そのほかの召された人たちは、霊の目が開かれ霊の耳が開かれた大和民族に授けられる、いのちのともしびをアジアへ、世界へと灯して行くことでしょう。

 

 魂の深い所に置かれる、とこしえの安息が約束された信仰は、神の御計画により、大和民族から起こるのでしょう。