ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

日本は神に選ばれた国

 

 神は、人類の救い主を遣わすために、全地を見渡して、アブラハムを選ばれました。

 アブラハムは、ノアの時代の洪水から救い出されたノアの息子のセムの子孫です。

 

 ノアは、神のことばに聞き従って、神の設計どおりの箱舟を造りました。ノアの息子のセム、ハム、ヤペテもいっしょに造りました。

 箱舟に入ったノアの家族八人(ノアはとノアの妻、息子のセムとセムの妻、ハムとハムの妻、ヤペテとヤペテの妻の八人)は、水の滅びから救い出されて、大水で洗われた世に降り立ちました。

 

 暴虐に満ちた世は洗い流されて、人類の歴史はノアの家族八人からスタートしました。

 ノアは、箱舟を造るように命じられた神、全能の神、主を、「セムの神」と呼びました。全能の神、主は、セムとともにおられました。

 神は、セムの子孫アブラハムの中に、「セムの神」とノアが呼ぶ「主」への畏れと信仰があることを御覧になりました。

 

 アブラハムは神を恐れる正しい人でした。

 神は、アブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。神は、契約のしるしとして、アブラハムに肉の割礼を要求されました。

 アブラハムの契約のうちに入る男子はみな、割礼を受けなければなりません。

 

 かつて、エデンの園から追放されたアダムとエバの息子のカインは、弟のアベルが神に正しい者として評価されたことを妬み、弟を殺しました。

 すると、神は、カインに、カインが殺した弟の血(いのち)が土地から叫び、神に届いていることを告げられました。それで、土地を耕す者であるカインがその土地を耕しても、土地はカインに収穫を得させない、と宣言されました。

 それで、カインは実りをもたらさないその土地を出てさすらい人とならなければならない、と宣告されました。

 すると、カインは、地上をさまよい歩くさすらい人となるならば、出会う者に殺されるだろうと、恐れました。地上には、神の子と呼ばれる堕天使たちがおり、ネフィリム(巨人)も住んでいたのです。(ノアの時代に、すべての者は、水で滅びました)

 

 そのとき、主は仰せられました。

 「だれでも、カインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」(創世記4:15)

 そこで主は、カインに出会う者が、だれもカインを殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さいました。

 

 割礼のしるしは、神の民のしるしであり、また、敵から守るために神がお与えになったしるしでもあったのでしょう。

 神のしるしのある者を害する者は、神を汚す者です。その人は、神の呪いを身に受けます。

 

 「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼(イスラエル)を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分の瞳のように、これを守られた。 

 わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。」(申命記32:10,11)

 

 イスラエルを奴隷の家エジプトから連れ上られた主は、荒野へ導き、食糧も水もない荒野で、養われました。天からパン(マナ)を降らせ、岩から水を湧き出させて、百万人を超える大所帯のイスラエル民族を養われたのです。

 アブラハム、イサク、ヤコブの子孫ユダヤ民族を、彼らの父祖の約束の地(アブラハム、イサク、ヤコブの眠る先祖の地、カナン)へ導き入れるためでした。

 

 イスラエルは、神の瞳のような存在です。世界を救うキリスト(神の御子イエス)を生む民族です。とこしえの国を見て、とこしえの国へと、世界の人々を導く務めを持つ、神の祭司の国民なのです。

 

 神は、契約を結ぶアブラハムに、神のしるしを下さいました。

 「あなた(アブラハムとアブラハムの契約の子孫)を祝福する者をわたし(主)は祝福し、あなた(アブラハムとアブラハムが生んだ神の祭司の国民イスラエルとイスラエルが生む神の御子キリスト)を呪う者をわたし(最後の裁きをする裁き主)は呪う。」(創世記12:3)

 このしるしは、地上のさすらい人カインにつけられたしるしのように、神御自身がイスラエルを守って、イスラエルが地上から滅亡することはない、ということが約束されています。

 

 イスラエルは、約束のカナンの地に、イスラエル王国を建国しました。

 ユダ族のダビデ王が、神に立てられました。

 しかし、ダビデ王の跡取りであるソロモン王の背きの罪により、イスラエル王国は二つに引き裂かれました。

 ダビデ王を出したユダ族とサウル王を出したベニヤミン族の二部族は、ソロモン王の子孫のものとされましたが、残りの十部族は、ユダヤ十二部族の長子ヨセフの配下に置かれました。

 ユダヤ民族十二部族のイスラエル王国は、南ユダ王国の二部族と、北イスラエル王国の十部族とに引き裂かれて、二つの国に分裂したのです。

 

 アッシリアに捕囚された十部族は離散しました。

 バビロンに捕囚された二部族は七十年後に帰還して、バビロン帝国に崩壊された神殿を再建しました。そして、ローマ帝国に支配されユダヤ属州とされた時代に、ダビデの町ベツレヘムで、神の御子イエスが生まれたのです。

 

 主は、預言者エレミヤに仰せられました。

 「背信の女イスラエル(十部族)は、裏切る女ユダ(二部族)よりも正しかった。

 行って、次のことばを北(十部族)のほうに呼ばわって言え。

 背信の女イスラエル(十部族)。帰れ。―主の御告げ。―

 わたし(主)はあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから。」(エレミヤ3:11,12)

 

 神の御子イエス・キリストを生んだ南ユダは、神の子羊イエスをあざけり、ののしって、十字架につけました。

 神の子羊イエスが死から甦っても、その事実をもみ消して、ユダヤ人たちに神の御子キリストを信じさせませんでした。

 神は、怒って、南ユダを散らし、二部族は諸国に離散して、千八百年以上の間、国のない民となりました。

 

 しかし、南ユダよりも正しかったと主が仰せられた北イスラエルは、東に向かって、極東の島々にかくまわれて、日本列島に国を持ちました。

 

 主は、北イスラエルに、「帰れ。」と仰せられました。イスラエルの地に帰れ、という意味ではなく、主御自身に帰れ、と仰せられたのです。

 国を持った十部族は、日本列島に、神を畏れる大和民族を造りました。彼らは、信仰に生きる民となったのです。

 

 1948年に、ユダヤ人の国が、先祖の地に建国されると、諸国に離散していたユダヤ人たちは、イスラエルに帰還しています。

 しかし、イスラエル政府は、キリストを信じるユダヤ人たちを憎み、迫害し、また、イスラエルの地に帰還することを拒みました。長い間そうでした。

 しかし、イスラエルに戦争が起きると、言語の違う様々な国から帰還しているユダヤ人たちは、共通の敵を前にして、国を守るために、同胞意識が強固になりました。

 また、神の御思いにへりくだる世界中のクリスチャンがユダヤ人を愛し、イスラエルを祝福していることを知り、キリスト者たちを受け入れるようになりました。イスラエルにとって、クリスチャンは大切な隣人となったのです。

 ユダヤ人の律法の下にいないユダヤ人ビリーバーは、ユダヤ教徒の蔑みでしたが、今は少しずつ変わっているでしょう。

 神の御子イエス・キリストを否定するイスラエルは、主の平安を味わうためには、まだ、神との間に隔たりがあるようです。神が遣わされた神の御子キリストを受け入れることが、神との和解だからです。

 

 一方、東の島々に国を持ち、神の礼拝を怠らなかった大和民族の大祭司である、昭和天皇は、日本が降伏後、キリスト教を国家宗教にする用意がある、とマッカーサー元帥に言われたそうです。

 日本国家の霊的中枢におられる天皇は、キリストを否定されなかったのです。

 

 イエスは言われました。

 「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」(マルコ9:40)

 

 南ユダは、キリストを十字架につけ、キリストを拒みました。

 北イスラエルは、キリストを十字架につけたユダヤ人たちの中には存在しておらず、その頃、東の島々で生けるまことの神を礼拝していました。そして、神を中心とする祭儀の国を造ったのでした。

 

 北イスラエルは、南ユダよりも正しかったのです。

 背信の女北イスラエルは、神に帰り、神に仕える国民となりました。

 そして、キリストを受け入れたのです。キリスト教徒になった、と言う意味ではなく、キリストを否定せず、キリストを拒んではいない、ということです。

 神は、喜んで、彼らの国、日本列島を悪いものから守られました。

 

 神は、日本列島の中に、御自分の祭司の国民を保たれました。

 神の御子キリストは、イスラエルの地から起こりました。しかし、イスラエルのユダヤ人たちは、キリストを受け入れませんでした。

 終わりの時代に、神は、世界を救う人々を、日本列島から起こされるでしょう。すると、大和民族は喜びをもって彼らに従うのです。また、日本民族も、彼らの喜びを見て、信仰の灯がともるのでしょう。

 

 日本には、アブラハムとともにおられた「セムの神」がおられます。日本列島は、イスラエルとともにおられた「セムの神」の御住まいなのです。

 南ユダが離散してイスラエルの国を失っても、「セムの神」は、裏切る女ユダよりも正しい背信の女イスラエルとともにおられたのです。