「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。
『わたし(アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、すなわち、イスラエルの神、主)が彼ら(ユダヤ人)の捕われ人を帰らせるとき、彼らは再び次のことばを、ユダの国(イスラエルの地)とその町々で語ろう。
「(神の)義の住みか、聖なる山よ。主があなたを祝福されるように。」
ユダ(南ユダ二部族)と、そのすべての町の者は、そこに住み、農夫も、群れを連れて旅する者も、そこに住む。(離散していたユダヤ人たちはイスラエルの地に帰還して、先祖の地に国を持つ)
わたし(万軍の主)が(異国の地で)つかれた魂を潤し、すべてのしぼんだ魂を(神の約束の実現により)満たすからだ。(神は、ユダヤ人たちを、離散した国から、再び先祖の地イスラエルに帰還させることを約束しておられました。国を持たないユダヤ人たちは、そのみことばの成就を待ちわびて、千八百年以上の間、異国の地でうめいていました)
―ここで、私(エレミヤ)は目ざめて、見渡した。わたしの眠りはここちよかった。―(エレミヤは、望みはしぼんで疲れているユダヤ人たちの現実の世界に目を向けてもなお、神が見せて下さった回復の時の光景に夢心地でした)
見よ。その日が来る。―主の御告げ。―その日、わたし(主)は、イスラエルの家(北イスラエル十部族)とユダの家(南ユダ二部族)に、人間の種と家畜の種を蒔く。
かつてわたし(ユダヤ人の背信と裏切りを怒ったイスラエルの神)が、(ユダヤ民族を)引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼ら(ユダヤ民族)を建て直し、また植えるために見守ろう。(引き裂いた南ユダと北イスラエル、すなわち、二部族と十部族とを一つの国民として、ユダヤ人の国、イスラエルに住まわせる)―主の御告げ―」(エレミヤ31:23-28)
神は、イスラエルの地を「義の住みか」と仰せられます。
聖なる神の御住まいです。神が、アブラハムの子孫ユダヤ民族に与える地です。
イスラエルの地は、イスラエル(ユダヤ民族)が住まうことで、義の住みかとなります。それは、神のみことばが真実であることを証しするからです。
「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約束(主の再臨)のことを遅らせておられるのではありません。
かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。(多くの人たちが"時"を知り、我に返って救いを求め、新しい心をもって、罪を悔改めて、神の覆いの中に入るのを待っておられるのです)
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。
このように、これらのもの(目に映るこの世のもの)はみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。(火で燃やされてくずれ落ちるものは、真理ではないからです。真理〈神のもの〉は、火をくぐってもなお、生き続けます。火の炉の中で生き、火の中から出て来たとき、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった神のしもべたちがいます。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのからだには、火は効き目がありませんでした)
そのようにして(神が生きておられることを知り、神を畏れ、神のことばを信じて、神の御心にかなう生き方、魂に嘘をつかない正直な生き方、不義の闇から出て光の中を歩む生き方をして)神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。(油断することなく、心を引き締めて、信仰を保ち続けなければなりません)
その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ(聖書のみことばは必ず成就します。たとえ話ではありません。現実に、はっきりと目撃することになります)、天の万象は焼け溶けてしまいます。(ソドムの町が天からの火で焼き滅ぼされるとき、ロトは嫁いだ娘たちの婿たちに告げて言いました。「さあ、この場所から出て行きなさい。主がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、婿たちには、冗談のように思われたので、ソドムの町に留まり、天からの火で焼く尽くされました)
しかし、(神のみことばは必ず成就すると信じている)私たちは、神の約束に従って、正義(主キリストが支配される平和)の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
そういうわけで、愛する人たち。このようなこと(みことばの成就と主の再臨)を待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって(主の)御前に出られるように、(日々)励みなさい。(それには、神の良い報いが伴うからです)」(ペテロ第二3:8-14)
主の忍耐は救いなのです。主の忍耐されている間に、どれほど多くの魂が救われることでしょうか。
1948年に、ユダヤ人の国イスラエルが再建されました。
紀元70年に、ローマ帝国により神殿が崩壊されて、ユダヤ人がイスラエルの地から離散して以来、イスラエルの跡地は廃墟となっていました。
ユダヤ人の国が再興すると、諸国に離散していたユダヤ人たちが毎年帰還しています。
かつてのイスラエルの土地は、ローマ帝国によって、イスラエルの名前が消され、パレスチナ(「ペリシテ人の地」の意)に変えられました。
人間が、神の民イスラエルの痕跡をなくし、ユダヤ民族の土地であることを否定しても、永遠に変わることのない真理の神は、ユダヤ人たちが住むイスラエルの地を「義の住みか」と名づけられます。
南ユダは、先祖の地に帰還しています。
彼らの居るべき場所に戻って来ました。
彼らの先祖は、二千年前、神の子羊イエスを十字架につけ、神が遣わされた神の御子キリストを拒みました。
イスラエルという母体を持ちながら、魂は神と断絶したままです。
一方、北イスラエルは、イスラエルという母体を忘れました。彼らは、極東の島々(日本列島)に大和民族の国を造りました。彼らによって、生けるまことの神に仕える「神の祭司の国民」としての務めが滞ることはありませんでした。
二部族は、イスラエルの器(ユダヤ人の国)を求め続け、イスラエルの土地を得ました。
十部族は、神の祭司の国民としての大和魂を守り続けました。
神は、背信の女イスラエル(北イスラエル十部族)に、「帰れ」と仰せられました。それで、十部族の心は神とともにあったのです。
しかし、裏切る女ユダ(南ユダ二部族)は、神に立ち返ることのないまま、イスラエルの住まいを恋い慕いました。
国を失った二部族は、ユダヤ人の国を求めました。
日本列島に、大和民族の国を築いた十部族は、祭儀をもって神に仕えました。
神は、終わりの時に、日本列島からヨハネの黙示録に預言された「ふたりの証人」を立てられます。神は、ユダヤ人の国イスラエルに、ふたりの証人を立たせて、ユダヤ民族の御救いを完成させられます。
神は、「ユダヤ人の時」に働くユダヤ人たちを、日本列島に隠しておられました。
神が覆いを取り除くと、彼らは、自分たちの使命を悟ります。神の契約の民ユダヤ人であることを知るのです。
イスラエルの地には、ユダヤ人たちが住んでいますが、彼らの魂は眠ったままです。
しかし、神は、神の民の器(国)であるイスラエルに、神の民の魂(大和魂)を入れて、永遠のいのちを持つイスラエルとされます。
「裏切り娘(南ユダ)よ。いつまで迷い歩くのか。
主は、この国(イスラエル)に、一つの新しい事を創造される。
ひとりの女(十部族)がひとりの男(二部族)を抱こう。」(エレミヤ31:22)
神が造られた最初の人は、人から女が取られました。ひとりの人から女が取られると、人は男となったのです。
南ユダのユダ族からキリストは生まれました。
北イスラエル(十部族)の大和魂は、そのキリストのからだ(南ユダ二部族)を、慈しみ深く、愛をもって抱きます。
「慈愛」と「結合」の杖は、一本となります。ふたつは、長い間、互いを知りませんでした。しかし、神は、二つに引き裂いた国(南ユダと北イスラエル)を、一つの国(キリストを王とする「とこしえのイスラエル王国」)に回復されます。
神が、大和民族から起こるふたりの証人を、イスラエルの地へ遣わすと、ユダヤ人たちは、同胞を受け入れて彼らのことばに従い、罪を悔改めて、永遠のいのちを受けるのです。
魂が眠り、死んでいたイスラエル(南ユダ)のからだに、生きた魂(神と調和する大和魂)が宿ります。
生きた魂(北イスラエル)は、忘れていた先祖のからだであるイスラエルのからだ(イスラエルの国)に魂の安息を得ます。
二部族と十部族が一つに回復するとき、十二部族は一つの民族(ユダヤ民族)に回復し、イスラエルの神に立ち返って、主をほめたたえるのです。
ユダヤ民族が回復すると、いよいよ、七年の患難時代の扉が開かれるのでしょう。
神は、イスラエルの家(北イスラエル)とユダの家(南ユダ)に、人間の種(「人の子」神の子羊イエス・キリストのことばを語る神のしもべ〈ふたりの証人〉に従う信仰の心)と家畜の種(キリスト〈キリストが遣わされるふたりの証人〉に逆らい反キリストの奴隷となる心)を蒔かれます。
反キリストの像をつくり、その像を拝ませることで永遠の死へと導く、「ユダヤ人たちを惑わす」獣の種を受けるユダヤ人たちも起こるのです。