ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記十五章 彼は主を信じた 主はそれを彼の義と認められた

 

 主は、主のことばに従ってカナンの地に入ったアブラムに仰せられました。

 「アブラムよ。恐れるな。わたし(主)はあなたの盾である。

 あなたの受ける報いは非常に大きい。」(創世記15:1)

 

 アブラムには子どもがおりませんでした。

 「そこでアブラムは申し上げた。

 『神、主よ。私(アブラム)に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。わたしの家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。』」(創世記15:2)

 

 主は、甥のロトと別れたアブラムに仰せられました。

 「わたし(主)は、あなたが見渡しているこの地(カナン)全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 

 わたしは、あなた(アブラム)の子孫を地のちりのようにならせる。」(創世記13:15,16)

 

 神は、アブラムに、地のちりのように数え切れないほどの子孫を約束しておられるのに、不妊の妻は60代後半、アブラハムは70代後半の老夫婦に、どんな希望があるというのでしょうか。

 

 アブラムは、主に申し上げました。

 『ご覧ください。あなた(主)が子孫を私(アブラム)に下さらないので、私の家の奴隷(エリエゼル)が、私の跡取りになるでしょう。」(創世記15:3)

 

 主は、アブラムの家の奴隷によって、アブラムに祝福を約束されたのでしょうか。

 

 「すると、主のことばが彼(アブラム)に臨み、こう仰せられた。

 『その者(アブラムの家の奴隷であるエリエゼル)があなた(アブラム)の跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者(あなたの子ども)が、あなたの跡を継がなければならない。(アブラムの契約と祝福を相続するのは、あなたから生まれる子でなければならない)』」(創世記15:4)

 

 アブラムの心に、自分の子を持つことができる、という希望の灯がともりました。

 

 「そして、彼(アブラム)を外へ連れ出して仰せられた。

 『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』

 さらに仰せられた。

 『あなたの子孫はこのようになる。』

 彼(アブラム)は主(のことば)を信じた。主はそれ(アブラムの信仰)を彼の義と認められた。」(創世記15:5,6)

 

 アブラムは、主のことばを信じました。

 子どものない年寄りのアブラムには、不妊の妻サライがいました。今まで妊娠したことのない不妊の女です。しかし、アブラムは、主のことばを信じました。

 

 空の星を見たアブラムは、信仰を得て、自分の身から出て来る子どもが星の数ほどになることを確信したのです。

 

 神は、かつて、カランの地にいたアブラムに仰せられました。

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたし(主)が示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」(創世記12:1,2)

 

 アブラムは、「大いなる国民の父」として選ばれていました。

 今、子どもがいるかいないかは、問題ではありません。全能の神、主が、子どもを用意してくださるはずです。

 

 アブラムは、無いものを、有るもののように、信じました。

 アブラムは、神のことばは真実であると信じました。人にはできないことでも、神にはできる、と信じました。

 

 主はアブラムの信仰をご覧になって、それを、アブラムの義と認められました。

 大いなる国民の父にふさわしい義人であると確認されました。

 アブラムは、神のことばをそのまま確かなものとして信じて受け入れ、神に栄光を帰しました。

 主は、アブラムの行ないによって義と認められたのではありません。アブラムは信じた。主はそれをアブラムの義と認められたのです。

 

 「何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方(信仰によって義としてくださる神を)信じるなら、その信仰が(主に)義とみなされるのです。」(ローマ4:5)

 

 神は、アブラムを、「信仰の父」とされました。

 そして、それから約二十年後、アブラムは神から、「高貴な父」という意味のアブラハムという名前をいただきました。また、妻サライは、「王の娘、王女」という意味のサラという名前をいただきました。

 

 神は、百歳のアブラハムと九十歳のサラに、ひとりの男の子をお与えになりました。

 高貴な父と、王の娘との間に生まれたひとり子イサクが、神の約束された、アブラハムの跡取りとなりました。

 

 アブラムには、子孫の約束と、土地の約束とがありました。

 子孫の約束は、アブラムの中で疑いのないものとなりましたが、土地の約束には疑問が残ります。カランの地から来たよそ者のアブラムが寄留しているカナンの地には、先住民がいます。

 カナンの地を相続するとは、一体どういうことでしょうか。

  

 「(主は)アブラムに仰せられた。

 『わたし(主)は、この地(アブラムが寄留しているカナンの地)をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。』

 彼(アブラム)は申し上げた。

 『神、主よ。それが私(アブラム)の所有であることを、どのようにして知ることができましょうか。』」(創世記15:7,8)

 

 すると、神は、雌牛と雌やぎと山鳩とそのひなの血(いのち)によって契約を結ばれました。

 

 「アブラムに仰せがあった。

 『あなた(アブラム)はこの事をよく知っていなさい。

 あなたの子孫は、自分たちのものでない国(カナンの地ではない国)で寄留者となり、彼ら(アブラハムの子孫)は奴隷とされ、四百年の間、苦しめられよう。

 しかし、彼らの仕えるその国民を、わたし(主)がさばき、その後、彼ら(アブラハムの子孫)は多くの財産を持って、そこから出て来るようになる。

 あなた自身は、平安のうちに、あなたの先祖のもとに行き、長寿を全うして葬られよう。

 そして、四代目の者たちが、ここに戻って来る。それは(カナンの地の住民の)エモリ人の咎が、そのときまで満ちることはないからである。(主は、その土地の住民の全部が悪いものとなるときに、それらの先住民を取り除いて、カナンの地をアブラハムの子孫の所有地とされます)』」(創世記15:13-16)

 

 そして、それらの獣の間を、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが通り過ぎて、主はアブラムと土地の契約を結んで仰せられました。

 「わたし(主)はあなたの子孫(アブラハムとサラのひとり子イサクの跡取りであるヤコブの子孫、すなわち、イスラエル)に、この地(カナン全土)を与える。

 エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。

 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ぺリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」(創世記15:18-21)

 

 主は、四百年の間、エジプトの地で奴隷となる、アブラハムの子孫イスラエルのことを語っておられたのです。

 実際に、アブラハムのひとり子イサクの子である、ヤコブの十二人の息子を十二部族とするユダヤ民族は、エジプトの地で四百年の間、奴隷として苦しみました。

 神は、イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出すためにモーセを遣わし、エジプト人たちから多くの財産をもらって出て来ました。

 そして、カナンの地に導き入れて、カナンの地の住民をイスラエルの手に渡し、カナンの地をお与えになりました。それで、アブラハムの子孫イスラエルは、アブラハムの契約に従って、カナンの地を所有し、イスラエル王国を建国しました。

 

 アブラハムは、主を信じました。アブラハムの信仰は、アブラハムの子孫に受け継がれました。

 アブラハムの子イサクの子のヤコブは、信仰によって、アブラハムの契約と祝福とを手に入れました。

 

 信仰の父アブラハムから始まった契約は、信仰によって、完成します。

 神は、アブラハムの契約と祝福を相続するアブラハムの子孫イスラエルの家を、神の御救いの家とされます。

 それは、四百年の間、奴隷の苦しみを経験したアブラハムの子孫イスラエルに与えられた約束です。

 

 アブラハムの血肉の子孫イスラエルは、神の祭司の国民として選ばれました。

 イスラエルは、アブラハム、イサク、ヤコブの信仰によって、また、ダビデ王や預言者たちの信仰によって、ダビデの子(神の御子キリスト)を生みました。

 神の祭司の国民イスラエルは、神の子羊イエスを十字架でほふりました。

 

 アブラハムの血肉の子孫イスラエルは、主から『聖書』をゆだねられて、人類の救世主である神の御子イエス・キリストを生みました。

 イスラエルの中には、アブラハムの信仰が今も生きているのです。

 

 そして、神は、異邦人にも、キリストを現わされました。そして、主イエス・キリストを信じる者を、彼の義と認められます。

 

 主キリストは、主が義と認められる人たちを、御救いが約束されているアブラハムの子孫である神の民「とこしえのイスラエル」に集められます。

 

 アブラハムの信仰(神を信じる義人の信仰)から始められた神の御救いの御計画は、信仰の勝利者たちによって完成します。

 

 信仰には約束が伴います。主は、信仰に必ず答えてくださる良き神なのです。

 私たちはむなしいものを信じているのではありません。約束の伴ったものです。

 

 アブラハムは信じました。しかし、目に見える確証はありませんでした。

 アブラハムは、主に尋ねました。

 主が、アブラハムの問いに答えて約束のしるしを見せると、アブラハムの信仰は神にしっかりと結ばれました。

 

 もし、不安がある時は、神に尋ねましょう。

 神は、無慈悲に支配する暴君ではありません。

 ひとりひとりの問いに耳を傾けて、揺るぎない信仰を建て上げてくださいます。

 

 人と神とを結ぶのは、神への信頼と感謝と信仰なのです。

 神は仰せられます。

 「恐れるな。わたしはあなたの盾である。」

 

 「私は声をあげて、主に呼ばわる。

 すると、聖なる山から私に答えてくださる。」(詩篇3:4)