神は、ノアの子セムの子孫アブラハムを選び、彼を地上のすべての民族の祝福の基とされました。
神は、アブラハムの信仰を祝福して、アブラハムの子孫に、神のひとり子〈キリスト〉を遣わすことをお定めになられたのです。
アブラハムは、信仰によって、主のことばに従い、主の示す地へと旅立ち、カナンの地に入りました。
主がアブラハムとアブラハムの子孫に与える、と仰せられたカナンの地に入ったアブラハムですが、その土地を相続するアブラハムの跡取りはいません。
70代後半のアブラハムと60代後半の不妊の妻サラの間に、子どもはいません。
アブラハムに用意された神の祝福は、だれが受け継ぐのでしょうか。
現実を見るならば、神のことばの真意がわからなくなります。しかし、アブラハムは神のことばを信じています。主は、どのような方法で、どのようなかたちで、神のことばを実現してくださるのでしょうか。アブラハムの信仰に、もやがかかります。
アブラハムは、主に申し上げました。
「あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷(エリエゼル)が、私(アブラハムの契約)の跡取りになるでしょう。」(創世記15:3)
すると、主は仰せられました。
「その者(エリエゼル)があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた(アブラハム)自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」(創世記15:4)
神の祝福の御計画は、アブラハムとアブラハムの妻サラとの間にありました。
妻は不妊の女でした。神は、神の栄光を現わすために、サラの胎を閉じておられました。神は、閉経して子どもをみごもることは不可能な死んだはずのサラの胎に、アブラハムの子どもをお授けになりました。サラは、九十歳でアブラハムの子どもを抱き、乳を飲ませたのです。
神から出たアブラハムの契約は、イサクの誕生によって確かなものとなりました。
アブラハムの契約は、アブラハムとサラの血統によって守られます。
契約を受けたアブラハムは、神の定められた血統の子どもを待たなければなりません。神は、それ以外の子どもに契約の相続をお許しになることはありません。
神から出た契約は、神が造られた神の民の血統によって守られなければならないのです。
子どものいない年寄りのアブラハムは、主のことばを信じる信仰によって、アブラハムから生まれ出て来る、目に見えない子孫を思い描いて喜びました。
アブラハムが見渡すカナンの地全部を、相続地としてアブラハムとアブラハムの子孫に与えると、主が仰せられたとき、アブラハムは、しるしを求めました。神は、カナンの地を相続するアブラハムの子孫は、四百年の間、外国の地で奴隷となることを告げられました。
アブラハムに、まだひとりの子もいないとき、また、先住民が住むカナンの地に寄留しているときに、主は、カナン全土を、アブラハムの子孫の所有とすることを約束されたのです。
人間同士のような契約書はありません。しかし、神は、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが通り過ぎるのを現わして、神とアブラハムの契約として、アブラハムの脳裏に書き記されました。神は、主の栄光のしるしによって、御自身の契約とされたのです。
そののち、神は、アブラハム自身のからだに、神との契約のしるしを要求されました。それで、神の契約の中にはいるアブラハムの家の男子はみな、割礼を受けなければなりません。
神との契約は、神から出たものです。その契約は、神がお認めになる者によって受け継がれます。
これは厳粛なことです。なぜならば、神の契約は、神のお定めになった御計画を成し遂げるためにあるからです。
神は、サラの子のひとり子イサクから生まれたヤコブを選び、ヤコブの子孫を、アブラハムの契約を受け継ぐ「アブラハムの子孫」とされました。
そのしるしとして、ヤコブの子孫イスラエルは、四百年の間、外国の地エジプトで奴隷の苦しみを経験しました。
さて、奴隷の家エジプトから主の力強い御腕によって連れ出されたイスラエルは、アブラハム、イサク、ヤコブの神、主の、契約の成就としてカナンの地に入り、アブラハム、イサク、ヤコブ、すなわち、イスラエルの先祖たちの眠る、アブラハムの相続地を所有して、イスラエル王国を築きました。
アブラハムと契約を結んだ主は、イスラエルを御自分の民とされました。
カナンの地をアブラハムの所有としてアブラハムに与えるために、ウルの地からアブラハムを連れ出した主、全能の神は、アブラハムの子孫イスラエルを、全地にあって神の祭司の国民とされました。
天地万物を創造された全能の神、天地を保たれる神、ノアを水の滅びから救い出した主、アブラハムと契約を結んだ主、神の祭司の国民イスラエルを造られた主は、御自身の民イスラエルに命じられました。
「わたし(主)は、あなた(イスラエル)をエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神(イスラエルの神)、主である。
あなた(神の民)には、わたし(イスラエルの神、すなわち、いのちの根源である生けるまことの神、主)のほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト20:2,3)
しかし、イスラエルの王ダビデの跡を継いだソロモン王は、外国人の女たちを愛して妻としました。そして、ソロモン王は、妻たちの神々を拝む者となり、神を怒らせました。
偶像崇拝の外国人と混血することを禁じた神の命令に聞き従わないソロモン王に、主は二度も現われました。
しかし、ソロモンは彼女たちを愛して、離れませんでした。その妻たちがソロモンの心をほかの神々のほうへ向けたので、ソロモンの心は、父ダビデの心とは違って、イスラエルの神、主と全く一つにはなっていませんでした。
主はソロモンに仰せられました。
「あなた(イスラエルの王ソロモン)がこのようにふるまい、わたし(イスラエルの神)が命じたわたしの契約と掟とを守らなかったので、わたし(主)は王国(父ダビデが築いたイスラエル王国)をあなた(ソロモン)から必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族(サウル王を出したベニヤミン族)だけをあなたの子(ソロモンの子孫)に与えよう。」(列王記第一1:11-13)
こうして、ソロモン王の子レハベアムの治世に、ユダ族とベニヤミン族の二部族の南ユダ王国はダビデ王の子孫のものとなり、ほかの十部族の北イスラエル王国はユダヤ民族十二部族の長子の権利を持つエフライム族に渡されました。
こうして、ソロモン王のイスラエル王国は、南ユダ王国と北イスラエル王国に引き裂かれました。
しかし、神は、父ダビデに約束したことを成就されます。
イスラエルの神は、ダビデの信仰ゆえに、イスラエルを捨てられません。
主は仰せられます。
「わたし(主)はイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」(列王記6:13)
神に背いた北イスラエルは、神の怒りを買って、アッシリアに捕囚され、離散しました。
そののち、北イスラエルよりも悪いものとなってバビロンに捕囚された南ユダを、神は、七十年後にイスラエルの地に帰還させました。
南ユダがイスラエルの地に帰還しなければならない理由があったのです。
帰還したユダヤ人たちは、バビロン帝国によって崩壊されたソロモン神殿を再建しました。
ユダ族には、ダビデの子であるキリストを生む使命がありました。エルサレムで、神の子羊イエスを、主にささげなければなりません。世の罪を取り除くために、罪の贖いの神の子羊の血を注ぐ、祭司の務めがあったのです。
しかしながら、神の御子イエスを生み、イスラエルにキリストを迎えた南ユダは、ナザレのイエスを信じることができずに、神のひとり子を遣わされた神の怒りを買って、諸国に散らされました。
神は、日本列島に残りの民を導き入れて、大和民族を造られました。
引き裂かれたイスラエル王国の、神の祭司の国民の任務を果たすために、神は、残りのものを極東の島国に集めて、祭儀が滞ることのないようにされました。
神に選ばれる者は、いつも少数の者なのです。
彼らは、大海に囲まれ敵の少ない島国に、生けるまことの神の社を築き、全地の安寧のために仕えたのでしょう。その務めは数千年にわたって、現在まで途切れることなく継続しています。血統によって受け継がれているのです。
ある動画で、秋篠宮家の悠仁君は霊統が違うから、天皇には無理だと言っていました。
秋篠宮は、上皇の子でなく、上皇后の子でもない、というのを、皇族に関係する人が話している動画もあります。美智子様の妹ご夫妻、安西家の長男だと言われています。
天皇家の血統ではありません。大和民族の血統もないのかも知れません。
かつて、秋篠宮があまりにも、皇族らしからぬと思い、神に祈ると、神は、秋篠宮のことを、「平民の魂」と言われました。
血統が違うということは、いろいろな噂で、あとから知りました。それで、納得しました。天皇家に、何で、平民の魂の人が生まれたのか不思議に思いましたが、もともと、血縁関係がない、ということで納得したのです。
最近聞いた、霊統が違う、という言葉の意味を、深く理解しました。血統が違うこと以上に、霊統が違うことは、完全にアウトなことです。
アブラハムには、サラの息子のイサク以外にも、そばめの子らがいました。しかし、アブラハムの契約を受け継ぐ子は、イサクひとりでした。
イサクには、双子の息子がいましたが、神がお選びになったのは、弟のヤコブひとりでした。イサクの血統であっても、兄のエサウは霊統が違っていたのです。
ヤコブには、アブラハムの契約を受け継ぐにふさわしい、神を求める真実な信仰がありました。しかし、エサウは普通の人間でした。父イサクにとっては愛する息子でしたが、神には憎まれました。
「その者があなたの跡を継いではならない。」という神のことばは重いです。なぜならば、アブラハムの信仰は、神に仕える者の信仰だからです。信仰のない者は神に退けられます。退けられるどころか、神の契約の箱に触れ、分を越えて割り込んだウザのように、神に打たれてただちに息絶えることも考えられます。祝福どころか、呪いなのです。
私は、天皇家が悪いものから守られて、神の務めを果たすことができるように、と祈っています。
また、天皇家に仕える宮内庁の職員や女官や、天皇家を支持する政治家や国民が、神に祝福されていのちを得るようにと祈ります。
秋篠宮家に仕える人や支持する人に関しては、呪うことはせずに、神がお裁きになるようにと、神にゆだねます。