ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

和解の時

 

 日本神話では、日本列島を造った神は、イザナギノミコトとイザナミノミコトであると言われています。

 イザナミノミコトが黄泉の国に行った後に、イザナギノミコトからアマテラスオオミカミとスサノオノミコトとツクヨミノミコトが生まれました。

 

 スサノオノミコトの娘婿であるオオクニヌシノカミとスクナヒコナノミコトが国を造り始め、スクナヒコナノミコトが去ると、オオモノヌシノカミがやって来て、国造りがされたようです。オオモノヌシノカミは、オオクニヌシノカミと同一神と言われていますので、オオクニヌシノカミが特別な御力を授かって国造りをしたということでしょうか。オオモノヌシノカミを三輪山に祀って、良い国ができました。

 

 オオクニヌシノカミは、造った国を、アマテラスオオミカミの孫ニニギノミコトに譲り、アマテラスオオミカミがオオクニヌシノカミの功績を称えて創建した出雲大社に鎮座されたようです。

 スサノオノミコトが後ろ盾のオオクニヌシノカミです。大和民族は、スサノオノミコトがこの国の精神性を守り、アマテラスオオミカミが国の政治を司ってつくられたようです。

 

 天照大御神が皇祖神とされていますが、実は、タカミムスヒと言われているそうです。

 日本神道では、天の神は、造化三神と言われる、天之御中主神(アメノミナカヌシ)と高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)と神産巣日神(カミムスヒノミコト)をさします。

 天之御中主神は、宇宙の生成を司る、宇宙を統一する神。聖書でいうところの全能の神、いのちの根源であられる生けるまことの神、すなわち、「父なる神」だと思われます。

 高皇産霊尊は、イザナギやイザナミよりも先におられた神であり、日本書紀では、皇祖高皇産霊尊とあって、高皇産霊尊が皇祖であると書かれているようです。アマテラスオオミカミではなくて、タカミムスヒノミコトとされています。

 大和民族は、平和の王メルキゼデク(神のひとり子であるキリストの受肉前)の御霊によって、造られたのではないかと思うようになりました。

 死から甦り永遠に生きる神の子どもたちを新しく創造する、という神の御計画のために造られた大和民族の中に、神の新しい創造の鍵となる「大和魂」を培われたのではないでしょうか。

 

 大和民族は、人間の世界を支配する悪魔を足台として、神の御子キリストが統べ治める新しい人の子たちの千年王国(永遠のいのちを得て天の御国にはいる七つの御霊の教会を完成する千年間)を開くために、世界の人々に御救いを知らせ、永遠のいのちを得させ、備えさせる民族だと思います。

 

 これらのことから推察するには、聖書の父なる神、子なる神(キリスト)、聖霊の三位一体の神を、大和民族を統べ治めた皇統は知っていたのではないかということです。

 天之御中主神は父なる神を現わし、高皇産霊尊は人の子として来られて地上に神の国をつくる神のひとり子(受肉前のキリスト)、神産巣日神は聖霊をさす和名ではないかと思います。

 呼び名は違いますが、大和民族の神は、聖書の神なのではないかと思います。そして、神は、タカミムスヒノミコトの御霊(キリストの御霊)により、ユダヤ人の国イスラエルから遠く離れた日本列島に、もう一つの神の民大和民族をつくられたように感じます。

 律法の覆いによって、生けるまことの神がわからなくなったユダヤ民族(ダビデの王座を持つ南ユダ)に代わって、世の終わりに、霊の目と霊の耳を開いて新しい神の国の国民を生み育てる大和魂を、隠して育てられたのだと思います。

 

 聖書を熟知しているユダヤ教徒は、聖書の中から三位一体の神を見い出すことはできません。唯一神として知っているからです。

 しかし、大和民族は、神はおひとりという概念を持ちながらも、三位一体の神を初めから知っていたようです。キリスト教のような神概念を持っていたことになります。

 大和魂に据えられた信仰は、いのちの根源であられる生けるまことの神の分霊(分け御霊)がすべてのものに宿っているというものであって、すべてのものはおひとりの神の御霊の分霊によって生かされており、それぞれ違っていても、おひとりの神の中にある一つのいのちの存在である、という広い宇宙的視野の信仰です。

 

 日本列島の中で、神が守られた信仰は、大和魂の中に隠されて来ました。大陸からの渡来人が増えても、日本民族となって、日本人の多くがその精神を宿しました。

 

 しばらく前に、「日本は日本人の国だから。」と心の中でつぶやいた時、御霊が「もはや日本人の国ではなくなっている。」という思いを起こさせてくださいました。

 日本語を話す日本人の国に、多くの外国語を話す外国人が入って来て、日本国をかたち造っていた日本人の秩序は少しずつ崩れていることを知らされました。

 

 かつての外国人は少数でやって来て、日本語を話し、日本人との交流があり、また、日本人のコミュニテイーになじんで暮らす努力をしていたので、そのうちに、見た目は外国人でありながら、日本の精神の中に組み込まれる存在となり、互いを害する存在ではありませんでした。

 

 日本民族は、大陸からの渡来人たちが集まる日本列島の中で、「郷に入りては郷に従え」の精神を学んで、狭い土地にともに生きるために「迷惑をかけない」「互いに思いやる」という一つの国民性を育み、互いに溶け合い同化して出来上がった民族です。

 日本の精神性になじめない外国人は、日本に留まることはなかったでしょう。

 

 しかし、家族ごとの移住者が増え、それぞれの民族、それぞれの国の価値観で生きる外国人が増えると、日本民族の和合の精神が少しずつ切断され、個人主義が主流になって来ました。

 

 多様性を重んじる風潮の世界では、日本国も、互いの多様性を認めるべきだと主張する人々が起こるようになりました。

 しかし、ここで立ち止まって考え直さなければならないことがあります。

 日本列島に大和民族をつくられた神の御計画を忘れてはならないのです。

 

 大和民族は、ほかの国と隔てる大海に囲まれた日本列島の中で、生けるまことの神に仕える神の祭司の信仰を宿す民族として造られました。

 世界の国々の中にあって、精神的霊的な神の民(大和民族)を造られた全地の神は、大和民族に、中立で平和を保つ愛の結び目となる使命を与えておられる、と思います。

 これは、長い歴史の中で、終わりの時のために備えて、育てられてきた大和民族の責任です。

 

 神を畏れ自然の中に神の気配を感じて、「おかげさま」「お互いさま」という感謝の思いと、「仕方がない」「お天道様が見ている」と自分を律しながら目に見えない神とともに生きる大和民族に、神は、神を畏れ、自然と調和し、隣人と和合して暮らす「大和魂」をかたち造られました。

 なぜならば、神は、終わりの時代に、大和魂の大和民族に、来るべき神の国(精神的霊的なとこしえの国)のために働く使命を、お持ちだからです。

 

 日本人が大和魂を育んだので、神が日本人を選ばれるのではありません。

 神の御計画のために、神御自身が日本列島に神の民を導き入れて、永遠のいのちを得させられる神の御働きに召される大和民族を造られて、大和魂をお育てになったのです。

 

 大和魂は、愛を知る魂です。愛されていることを記憶し、自然を愛で、いのちを慈しみ、霊とまことによって目に見えない神を崇める、神の祈りの魂です。

 

 世界中のあらゆる民族、あらゆる国、あらゆる言語の魂の御救いのために召された大和民族の魂は、神の御手の中にあります。大和魂に使命をお与えになる神は、ほかの民族、ほかの国のようであることを望んでおられないでしょう。大和魂が息づく日本人には、神がゆだねておられる特別な使命があるのです。

 

 それまで、一致しないと思われていた立憲民主党と公明党とが中道改革連合という新党を立ち上げた事は驚きでした。

 しかし、このことを通して、神は、霊的な御教えをくださいました。

 新しい日本は、互いに敵対し、ヤジを飛ばし、罵倒することではなく、互いに和解し、互いの良い政策は認めて、日本を良い国にするために、みなで話し合って、互いを高め合う意見を出し合い、一つの方向を見い出しながら、同じ足並みで古い体制を脱皮していくことが必要なのだと思いました。

 

 党のためではなく、日本国という国体のために、党同士の間の隔ての壁を外して、心一つとなって行かなければならない、と思いました。

 

 また、自民党の議員の中には、問題があると言われていた人たちまでが当選するのをみて、「なんで?投票者たちは、彼らの問題を赦したの?」と不思議な気持ちになりました。

 

 投票日に、幻を見たのですが、町は雪で覆われているのです。実際、外には雪が降り積もっていました。

 投票結果を見て、国民は、取りざたされた議員たちを赦したのか。だったら、国会で、時間ばかりがかかって真偽を確かめられない実りのない時間に費やすよりも、国民の生活が向上するために、すべての党が互いに意見と知恵を出し合って、実りの多い国会にしてほしいと思いました。

 また、赦されて当選した議員は、当然だと思わないで、しっかり反省し、これからは赦してくれた国民のために真心をもって、国会運営をしていただきたいと思いました。

 

 野党も、与党と同じ土俵に立って、日本国をよくするために、意見を述べ、協力するところは互いに協力し合い、国民のことをまず考えてほしい、と思いました。

 自民党は圧勝したのですから、ほかの党の意見も聞く余裕をもってほしいと思います。どの党の意見だからということではなく、良い意見は取り入れ、何を優先すべきかを整理しながら、先を見通した安全な道を、日本国民に歩かせてほしいと思います。

 

 雪に覆われた幻。今まで背を向けていたものが和解し、また、責め立てることを止めて、赦しによって新しい出発をする、そんな日本になったらいいな、と思いました。

 

 また、うす暗い世にあって、天からのうす暗い光が、神の御心にかなう人をうっすらと照らすのを見ました。

 それは、社会全体ではなく、神の御旨にかなう一つ一つの魂を照らすのです。真理の光は、社会全体を照らすのではなく、真理を求めるひとりひとりに向けられるようです。

 

 和解と赦しは、新しい精神的な国を目指す人たちのキーワードです。