日本民族は、大和民族にかたち造られた大和魂により、神の祭司の任務を怠ることはありませんでした。
大和魂は、天皇の存在、天皇陛下の祈りによって、保たれました。
大和魂は、多民族の良心が一つに溶け合う日本民族を形成しました。大和民族は、大陸からの渡来人たちと混血しながら、「和を以て貴しとなす」という精神を根底に置いて、生けるまことの神を敬う魂を培いました。
日本列島が育てた神の民の魂は、すべての民族の血を受け入れて、単一民族の日本民族を形成しました。
単一民族の日本人は、大和民族にあった大和魂によって証されます。彼らは、心に割礼を持つ民です。平和を愛し、日本を愛し、ひとつのからだのように生長して来ました。
恥を重んじる日本の国民性は、家族単位、村単位の意識を形成しました。個人ではなく、連帯責任が当たり前の社会だったのです。
敗戦の痛手は大きく、日本人の価値観は崩れました。日本人としてのアイデンティティに大打撃を受ける大人に育てられた子どもたちは、家族の絆にほころびが生じた孤独な社会に、心がさまよいました。次第に、集団ではなく個を主張する精神の亀裂が、日本民族をゆがめました。
日本国の精神的亀裂は、帰化人たちに居場所をつくりました。日本国は、少しずつ変化しました。精神的なことよりも、物質的豊かさに価値を見出す日本人は、新しい価値観を得ると、みなが自由を謳歌し、日本は輝かしい未来に向かって新しい一歩を踏み出した、と思っていました。
しかし、近年、心に割礼を受けない帰化人が増えると、単一民族の大和魂は機能しなくなりました。すると、大和民族から受け継いだ大和魂は、先人たちの残した宝物の倉庫にしまわれて、日本国民の目に触れることのないものとなりました。
大和魂の精神性によって、民族が一つに集約された日本国民は、単一民族日本人のアイデンティティを見失いました。
若者は老人の説教を嫌い、老人は嘆き、日本人の魂は憂います。
しかし、日本列島の中には、変わらないものがありました。
日本人の霊的象徴である天皇の祈りです。天皇陛下の祈りは、大和魂を宿す日本民族に、神がお定めになった大和民族の使命を守りました。
明らかに日本人を妬み嫌う帰化人たちも住む日本列島に、愛の灯をともし続けていました。日本人を愛することのできない彼らの存在は、日本人の闇でもあり、また、神の赦しのしるしでもあります。なぜならば、日本人の魂を覚醒するためには、攻撃する者の存在が必要だからです。
大和魂と調和しない帰化人たちの存在は、日本人たちに自分たちは日本人であることを気づかせます。日本人のアイデンティティを取り戻す魂は、日本人ばかりの地域にあってはぼんやりとした大和民族の記憶に対して、失われた魂の記憶に憧憬の念を抱くのです。
魂が、昔の記憶を懐かしく思い返す時が訪れたからです。
最近、ある人が、天照大御神について、新しい考察を得たことを語っていました。
天照大神が岩戸に隠れたという日本神話は、日本人の誰もが知ることですが、この岩戸をキリストの墓と重ね合わせて考察されています。
天照大神の岩戸隠れによって世界は暗闇に覆われたことと、天照大神が岩戸から顔を覗かせると世界は輝きを取り戻したこととは、キリストが墓に葬られたことと、キリストが墓から甦られたこととを表しているというものです。すなわち、天照大神は、死と復活を体験した神である、と考えるのです。
それで、伊勢神宮に祀られている天照大御神は、人の子となられた神のひとり子キリストが祀られているのではないか、というのです。この人は、クリスチャンではありませんが、そのような考えに至ったそうです。
伊勢神宮の外宮には、内宮の天照大御神に日々食物を用意しておられる豊受大神が祀られています。
伊勢神宮外宮の豊受大神はイスラエルの神ヤーウェイであると、証言する霊能者や預言者たちは複数おられるようです。彼らは霊によって、そのことを捉えているのです。
日本人の間では知られていませんが、外国人の霊能者たちは、霊的に察知して、すぐにわかるそうです。
天照大御神に食物を用意する豊受大神。
なぜ、天照大御神は日本一の神なのに、ほかの神(豊受大神)に食事を用意されなければならないのか、と私は以前から不思議に思っていました。
また、食事を与えて天照大御神を養う神ならば、豊受大神は天照大神御よりも偉い神なのか?でも、日本の神は天照大御神であって、天照大御神は日本国の神々の主権者なのではないのか?私の中の謎でした。
しかし、この考察を知って、納得しました。
天照大神御が神のひとり子キリストの和名ならば、豊受大神は神のひとり子キリストの父の和名なのだ。
伊勢神宮の外宮の神と内宮の神とは、父と子である、と理解できました。
日本列島には、神の御子イエス・キリストの出現に関する多くの言い伝えが各地に残されています。
キリストは死から甦ると、永遠のいのちと永遠に生きる新しい御霊のからだの「新しい人」として、イエスの弟子たちに現れました。キリストは、復活のからだで、弟子たちに現れたのです。
「イエスは(十字架の死の)苦しみを受けた後、四十日の間、彼ら(イエスの弟子たち)に現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。」(使徒1:3)
「イエスは彼ら(十二使徒)が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。」(使徒1:9)
イエスの弟子たちは、死から甦ったキリストにお会いしました。
そして、十二使徒は、「聖霊のバプテスマを受けるために、エルサレムで待ち望みなさい。」と命じる、目の前にいる復活のキリストが、地上を離れて、天に上って行くのを目撃しました。
弟子たちがイエスとともに過ごしていた時には、イエスはまだキリストの権威を受けておられませんでした。
キリストの油を注がれた神の御子イエスですが、父なる神から、キリストの権威を受けておられなかったのです。
キリストの油が注がれていた神の御子イエスは、神のことばを語る預言者の油と、レビ人の祭司を仲介に立てなくても、父なる神に直接祈って、その祈りが神に聞き入れられる大祭司の油、また、ユダヤ人の王として遣わされたイエスには、ダビデの王座に着座する「とこしえのイスラエルの王」の油が注がれていたのです。
キリストの油が注がれた神のひとり子ナザレのイエスは、キリストの任務を成し遂げられました。
神の祭司の国民ユダヤ人たちに、父について、御国について、永遠のいのちについて教えられました。そして、ご自分のからだを、罪の贖いの神の子羊としてささげられました。十字架の死によって、神の子羊イエスは、世の罪を取り除いたのです。
イエスは、死からの復活によって、神の栄光を現わされました。また、父なる神は、復活のキリストがイエスの弟子たちに出会うことで、十字架につけられたナザレのイエスが、神が遣わされた神の御子キリストである、ということを証しされました。
無割礼の異邦人の使徒として召されたベニヤミン族のパウロは、福音を伝えました。
その福音とは、次のことです。
「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目に甦られたこと、また、ケパ(ペテロ)に現われ、それから十二弟子に現われたことです。
その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。」(コリント第一15:3-6)
キリストの復活のからだは、肉体のようには、時間と空間に拘束されていません。霊の存在だからです。瞬間移動も壁をすり抜けることもできます。弟子たちの目に見えたように、単なる霊体ではありません。幽霊ではないのです。
耳も口もあり話ができます。食物を食べたり飲んだりもできます。肉体のように触ることもできます。これが、来るべき千年王国にはいる人たちの新しいからだなのです。
さて、聖霊によって生まれ、死から甦って「新しい人」(神の子どもたちの初穂)となられた神の子羊イエスは、キリストの任務をすべてやり遂げて、遣わされた方(天の御座におられる父なる神)のみもとに帰られました。
御座におられる神は、キリストの任務を成し遂げた神の子羊イエスに、聖霊のバプテスマを授ける「キリストの権威」をお与えになりました。
天に帰られる時、父の約束を待ち望むようにと命じられた、復活のキリストの命令に従い、弟子たちはエルサレムに集まって、「もうひとりの助け主」を待ち望みました。
「(バプテスマの)ヨハネは水で(悔い改めの)バプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマ(真理の御霊)を受けるからです。」(使徒1:6)
聖霊のバプテスマを授けるキリストの権威を受けた神の子羊イエス・キリストは、父から受けた「キリストの権威」により、約束のもの(もうひとりの助け主)を待ち望む弟子たちに、聖霊のバプテスマを授けて、真理の御霊をお与えになりました。
すると、聖霊を受けた弟子たちはみな、聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、御霊のことばで話しだしました。
真理の御霊を受けた人は、御霊によって真理を教えられます。
人知を超えた不思議なことを理屈を並べて疑ったりはしません。御霊の教えてくださるままに、信仰によって受け取ります。
神の子羊イエスは、イスラエルのユダヤ人の間を巡られました。
しかし、復活後のイエス・キリストは地上におられる間に、もう一つの神の民である大和民族のところにも行かれたのではないかと思います。日本列島のあちらこちらに、キリストの伝説が残っているのは、その当時の大和民族の人々が、復活のキリストにお会いしたからだと思います。
イエスは言われました。
「わたし(神の子羊イエス・キリスト)は羊のためにわたしのいのちを捨てます。
わたし(神のひとり子)にはまた、この囲い(イスラエル)に属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。
彼ら(大和民族)はわたし(生けるまことの神が遣わされた救い主)の声に聞き従い、一つの群れ(十二部族の回復したイスラエル)、ひとりの牧者となるのです。」(ヨハネ10:15,16)
私は、「この囲いに属さないほかの羊」は、無割礼の異邦人のことだと思っていました。
しかし、大和民族に隠された奥義を知ると、これは、失われた十部族のことをさしていたのだ、と思うようになりました。
「神である主はこう仰せられる。
見よ。わたし(主)は、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼ら(ヤコブの子ら、すなわち、ユダヤ人)を四方から集め、彼らの地(父祖アブラハムに与えた約束のカナンの地)に連れて行く。
わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つにするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。
彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。
彼らは二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。わたしは、彼らがかつて罪を犯したその滞在地から彼らを救い、彼らをきよめる。彼ら(大和民族)はわたしの民(神の民)となり、わたしは彼ら(大和民族)の神となる。
わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。彼ら(ヤコブの子ら)は、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた国、あなたがたの先祖が住んだ国(イスラエル)に住むようになる。
そこには彼らとその子らとその子孫たちとがとこしえに住み、わたしのしもべダビデ(キリスト)が永遠に彼らの君主となる。」(エゼキエル37:21-25)
神は、大和民族の中からユダの総督を立てて、イスラエルの地に、二部族の南ユダ王国と十部族の北イスラエル王国を一つにし、十二部族のイスラエルを回復されるのでしょう。
日本列島には、大和民族を守る天照大神御と豊受大神が祀られています。