神の律法を守らないことは、魂を傷つけることです。
最初の人アダムは、神の命令に背き、いのちを失いました。
ひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がりました。
一つの違反によってすべての人が罪に定められました。すべての人は、罪によって死んだアダムから生まれているからです。全人類は、神を犯しました。
死が宣告された人からは、いのちは生まれません。罪の中で死んで行くのです。
ひとりの人の違反によって多くの人が死にます。
しかし、憐れみの神は、御自分のひとり子に肉体を造って、処女から生まれる「人の子」とし、彼に、罪の呪いを負わせられました。
神が遣わされた神の御子イエスは、罪の生贄、すなわち、罪の贖いの子羊として、神にささげられて、神の怒りをなだめました。
神は、罪の贖いの神の子羊イエスの血によって、人の罪を赦し、多くの違反を義とされました。
聖なる神は、一つの違反のために罪に定めました。そして、ひとりの違反によって多くの人が死にました。アダムの死は、人類の死でした。
しかし、神の赦しの恵み(十字架のキリストが流した血による罪の贖いの恵み)は、それにもまして、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物(永遠のいのちを得させるキリストの御霊)は、多くの人々に満ちあふれるのです。
「また、賜物には、罪を犯したひとり(アダム)によるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が(ひとり〈神の子羊イエス〉の死によって)義と認められるからです。」(ローマ5:16)
「もしひとりの人(アダム)の違反により、ひとりによって死が(人類を)支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物(罪を贖うキリストの血と、死から甦らせる生かす御霊)とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。(もし私たちが、彼〈神の子羊イエス〉とともに〈罪に〉死んだのなら、彼〈死から甦ったキリスト〉とともに生きるようになるのです)
(キリストを信じるゆえの困難と迫害を)もし耐え忍んでいるなら、彼〈キリスト〉とともに〈千年王国を〉治めるようになる。もし彼〈主イエス・キリスト〉を否んだなら、彼〈イスラエルの王である神の子羊イエス・キリスト〉もまた私たちを否まれる。(臆病によりキリストを否む者は、千年王国の都に入ることはできない)」(ローマ5:17)
「私たちは真実でなくても、彼(神の子羊イエス・キリスト)は常に真実である。彼(神の御子イエス)にはご自身を否むことができないからである。」(テモテ2:13)
もし、神の子羊イエスが、ご自身が神のひとり子であることを否んだり、神が遣わされたキリストであることを否んだとすれば、それは、真実ではありません。
神の子羊イエスは、神がお認めになる真実なキリストであり、また、神のひとり子なのです。
それゆえ、私たちが、キリストを否むことは、神の子羊イエスの真実を証ししていないことになります。私たちは、キリストの御前で偽り者となるのです。
そして、罪を贖うキリストの血を否定する者や、神の御子であることを否定する者は、キリストもまた、「不法をなす者(天の御国の法を破る者)」と宣告し、退けられます。
天の御国にはいるように召された民族がいます。アブラハムの子孫です。
それゆえ、神は、アブラハムとアブラハムの子孫に、しるしをお与えになりました。
「あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」(そう12:2,3)
神の祝福は、アブラハムの子孫ユダヤ民族とともにあり、また、神の呪いは、アブラハムの子孫イスラエルとともにあるのです。
神は、人間が支配する世を終わらせると、新しい正義の世、すなわち、キリストが統治する千年王国を、定めておられます。
キリストの御住まいは、イスラエル王国です。キリストは、イスラエルの王として、再び、地上に来られます。
ノアの時代、水の滅びから救い出されたのは、神に聞き従って箱舟を造ったノアの家族でした。神の設計どおりの箱舟の中にはいったノアの家族が救われたのです。
ノアが「セムの神」と呼んだ神である主は、セムの子孫アブラハムと契約を結び、火の滅びから救い出すために、アブラハムに与えたカナンの地を相続するアブラハムの子孫をイスラエルと名づけて、神の家イスラエルを造られました。
神は、アブラハムの子孫ユダヤ民族に「聖書」をゆだね、神の祭司の国民イスラエルとして育て、そして、イスラエルに、神のひとり子イエス・キリストを遣わされました。
神は、世の罪を取り除き、火の滅びから救い出すキリストを、神の家イスラエルに遣わされたのです。イスラエルは救いの家です。
大水で滅ぼされた世に設けられた神の救いは、ノアの箱舟でした。
火で滅ぼされる世に設けられた神の御救いは、キリストを王とするイスラエルです。
バラムは、神の霊が彼の上に臨むと、真理(変わらぬ神の法)を悟りました。
そして、言いました。
「あなた(ユダヤ民族)を祝福する者は祝福され、あなた(イスラエル)を呪う者は呪われる。」(民数記24:9)
神が、アブラハムに与えられた一つのしるしは、子孫であるイスラエルの上にも記されていたのです。
そのしるしは、人の目には見えません。しかし、神がアブラハムとアブラハムの子孫にお与えになった「とこしえの法」なのです。
現在、日本国民の中にも、反ユダヤ主義、反イスラエル主義思想を受け入れる魂もあるようです。ガザのニュースを見聞きしての判断でしょうが、聖書を知る人たちは、聖書のみことばに立って判断していただきたいと思います。
人間のあわれみの心が、神のあわれみにまさることはないからです。
たとい、教会が人の道を歩むとしても、自ら判断しましょう。教会に従うことが神の義ではなく、神の御霊、すなわち、神のことばに従うことが神の義だからです。
人間の感情が、平和をつくるのではありません。
神にへりくだる者に、平和が訪れるのです。
神の御霊に逆らう罪は、赦されない罪である、とイエスは言われました。
教会のせいにも、兄弟姉妹のせいにもできません。彼らに同調したのは、自分自身の魂なのです。
心の罪は、悔い改めれば赦されます。しかし、御霊に犯した罪は、魂を傷つけます。
また、皇室の問題は、大和民族に課せられた試験なのかもしれません。何を選択するかは、その人自身の選びなのです。
宮家は、神に仕える天皇家を支えるために存在しています。それが、務めなのです。しかし、天皇家と同じ方向を見ずに、自分勝手に振る舞って秩序を乱すならば、役目を果たしていないことになります。
宮家の役割を守らないで天皇家を足蹴にする者に、国民の安寧と世界平和の祈りをささげる、神の祭司の任務を任せられるはずはありません。神を侮ってはいけません。
神の権威(天皇)を侮る者は、権威を与えておられる生けるまことの神を侮る者です。目に見える天皇の権威にへりくだらない者に、どうして目に見えない神がわかるでしょうか。神の秩序を乱し、聖なる神の御霊を汚す者が、どうして神に仕えることができるでしょうか。
たとい、政府や宮内庁やそのほかの支持者たちが、宮家を高く上げても、どうか、神を知る人たちは、神を畏れて、神が権威を与えておられる天皇ご一家の祝福のために祈りましょう。
世の流れのまま、世に仕えるならば、聖なる神を汚し、自分自身の魂を汚すことになります。
自分の魂は、自分で守るよりほかはありません。社会の動向によって、判断が揺れ動くようでは、その人の目は、神の御霊の導きを見失ってしまいます。
黙示録21:8には、臆病な者、不信仰の者は、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもと同じさばきを受けて、火と硫黄との燃える池の中にある第二の死に定められることが、書かれています。
「神が(信仰によって生きる)私たちに与えてくださったものは、臆病者の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。」(テモテ第二1:7)
自分の魂を傷つけてはいけません。汚してもいけません。
神が、火の滅びから救い出すために、地上に用意された神の家イスラエルにはいって、イスラエルの王キリストの御救いの時を待ち望みましょう。
神は、イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出すとき、二本の門柱とかもいに雄羊の血を塗った家の中にいた者たちを、御使いに打たれる災いから守られました。
神の命令は、「朝まで、だれも(羊の血の塗られた)家の戸口から外に出てはならない。」(出エジプト12:22)でした。
私たちも、世が明けるまで、すなわち、世が終わりキリストが来られるまで、キリストの同胞の民であるユダヤ人とともに、神の御救いが約束されているイスラエルの家の中に留まりましょう。
これは、救いを求める人、真理を求める人、永遠のいのちを求める人、魂の安息を求める人、天の御国をめざす人への警告です。