ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

創世記十六章 彼女のもとで身を低くしなさい

 

 神から祝福の約束を受けたアブラムとアブラムの子孫。

 しかし、アブラムには、子どもがありません。神は、アブラムから生まれ出て来る者に、跡を継がせる、と仰せられました。

 

 アブラムの妻は、一度も妊娠したことがありません。不妊の女で、すでに七十歳を過ぎています。

 妻サライは、アブラムに言いました。

 「ご存知のように、主は私(サライ)が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷(エジプト人のハガル)のところにおはいりください。たぶん彼女(女奴隷ハガル)によって、私(妻サライ)は(アブラムの)子どもの母になれるでしょう。」(創世記16:2)

 

 妻サラがひとり子イサクを産んだのは、閉経後の九十歳のことです。

 この提案をしたサライには、すでに閉経の兆しがあったのでしょう。子どもを宿すことは不可能なからだである自分を省みたとき、サライの女奴隷によって、アブラムの子どもを胸に抱く母になる、という考えに至ったのだと思います。

 

 女奴隷ハガルは、女主人サライの所有です。それゆえ、サライの奴隷であるハガルが産む子どもも女主人サライの所有です。ハガルの子は、女主人サライのものとなります。

 ハガルの胎にアブラムの子どもを宿らせるならば、サライは、アブラムの子どもの母となることができます。

 

 神は、アブラム自身の子どもに、アブラムの契約を受け継がせると仰せられました。アブラムの血を引く子どもが必要なのです。

 その時はまだ、アブラムと契約を結ぶ神の御計画の中に、妻サライがあることは知らされていませんでした。

 

 閉経した女が妊娠することは、あり得ないことです。それに、サライは七十五歳の年寄り女です。どうして、子どもを宿すことを期待できましょうか。サライの言うことは最もなことです。

 アブラムはサライの言うことを聞き入れました。

 

 「アブラムの妻サライは、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に(それまでは、今か今かと期待して、サライの胎に子どもが宿るのを待ち続けていた)、彼女の女奴隷のエジプト人ハガルを連れて来て、夫アブラムに妻として与えた。

 彼(アブラム)はハガルのところにはいった。そして彼女は身ごもった。彼女(サライの女奴隷のハガル)は自分が(主人の子どもを)みごもったのを知って、自分の女主人(アブラムの妻サライ)を見下げるようになった。」(創世記16:3,4)

 

 おそらく、その当時は、一夫多妻制の時代だったでしょう。しかし、アブラムは、妻サライを心から愛していました。サライ以外の女を妻にすることはありませんでした。

 サライが子どもを産むことのできないからだであることを知ったアブラムは、神の契約を成就するために、サライの勧めによって、サライの女奴隷をそばめとしたのです。

 

 ハガルを愛して妻にしたのではなく、ハガルによって、サライをアブラムの子どもの母とするために、アブラムはハガルのところにはいりました。

 

 すると、この女奴隷エジプト人のハガルは、自分が主人アブラムの子どもをみごもったのを知って、自分の女主人サライを見下げるようになりました。

 

 アブラムの子どもを宿しても、奴隷は奴隷です。女奴隷ハガルは、女主人サライよりも高くなることはできません。

 ところが、ハガルは分を超えて、心が高ぶりました。

 

 「そこでサライはアブラムに言った。

 『(女主人である)私(サライ)に対する(女奴隷ハガルの)この横柄さは、あなた(アブラム)のせいです。私(妻サライ)自身が私の女奴隷(ハガル)をあなた(私の夫)のふところに与えたのですが、彼女(ハガル)は自分がみごもっているのを見て、(アブラムの妻である女主人の)私を見下げるようになりました。

 主が、私(アブラムの妻)とあなた(アブラム)の間をおさばきになりますように。』」(創世記16:5)

 

 妻サライの腕に、夫アブラムの子どもを与えるために、女奴隷ハガルはアブラムの子どもをみごもったはずです。ハガルの胎内にいるアブラムの子は、女主人サライの子どもとなるはずではなかったですか。

 しかし、女奴隷ハガルは、主人アブラムの妻気取りでいます。妻サライをイライラさせるのです。

 

 「アブラムはサライに言った。

 『ご覧。あなたの女奴隷は、あなた(アブラムの妻である女主人サライ)の手の中にある。(ハガルは妻サライの女奴隷であり、アブラムの子を身ごもった今でも、サライの奴隷ではないか)

 彼女(サライの女奴隷ハガル)をあなた(女主人のサライ)の好きなようにしなさい。』

 それで、サライが彼女(ハガル)をいじめたので、彼女(女奴隷ハガル)はサライのもとから逃げ去った。」(創世記16:6)

 

 アブラムは、自分の血を分けた子どもを喜ぶ一方で、妻サライへの愛は変わりません。女奴隷が自分の子どもを宿したからといって、アブラムの心が、サライからハガルに転じることはありません。

 

 主の使いは、サライのもとを逃げ去った女奴隷ハガルを見つけました。

 「(主の使いは)『サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』と尋ねた。

 彼女(ハガル)は答えた。『私の女主人サライのところから逃げているところです。』

 そこで、主の使いは彼女(アブラムの子を宿す女奴隷ハガル)に言った。『あなたの女主人(サライ)のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。』」(創世記16:8,9)

 

 主の使いは、アブラムの子を宿すハガルを、「サライの女奴隷ハガル」と呼びました。そして、女主人サライのもとで身を低くするように命じたのです。

 

 ハガルの胎にいるアブラムの子は、神の御計画にはない子どもでした。たとい、アブラムの血を引く子であっても、神がお定めになった、アブラムの契約と祝福受け継ぐ、アブラムの跡取りではないのです。

 

 アブラムとサライは、アブラム自身から生まれ出て来る子を求めました。それが、女奴隷ハガルがみごもるイシュマエルでした。

 しかし、「アブラム自身から生まれ出て来る子」と主の仰せられたアブラムの跡継ぎの子の母親は、妻のサライでなければならなかったのです。

 神は、アブラハム(高貴な父)とサラ(王女)との間に生まれるひとり子、イサクの子孫に、国々を治める神のひとり子イエス・キリストを遣わすことを定めておられたのです。

 

 主の使いはサライの女奴隷ハガルに言いました。

 「見よ。あなた(ハガル)はみごもっている。男の子を産もうとしている。その子をイシュマエル(「主は聞き入れる」という意)と名づけなさい。主があなた(ハガル)の苦しみを聞き入れられたから。(主人アブラムと女主人サライの要望により、主人のそばめとなって、主人の子を宿したのに、アブラムの血を引く胎の子まで捨てられるのでしょうか。しかし、ハガルの苦しみの叫びを、主は聞き入れてくださいました。女主人のもとに帰って子どもを産むことが許されました。しかし、主は命じられます。『あなたの女主人サライのもとで身を低くしなさい。』)

 彼(イシュマエル)は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(神に聞き入れられることによって、女奴隷ハガルの産むイシュマエルは、アブラムの子として育てられることが許されました。私生児ではありません。多くの財産を持ち、多くのしもべと奴隷たちのいる、大変豊かなアブラムの家の子どもとして成長します。しかし、その子イシュマエルは、アブラムの跡取りではありません。いずれ、彼は父の家を離れ、野生のろばのように図太くて自由で、兄弟であっても群れとならず、おのおの好き勝手に、また、互いに敵対して住む者となるのです。イシュマエルの子孫はアラブ民族と呼ばれています)」(創世記16:11,12)

 

 神は、アブラハムとサラのひとり子イサクから、神のひとり子イエス・キリストを遣わすための神の祭司の国民イスラエルを造られました。

 彼らは、一つの国民となるのです。ユダヤ民族十二部族は、一つの国民となるのです。

 

 しかし、イシュマエルの子孫のアラブ民族も十二部族ですが、彼らは、一つの国民になることなく、互いに敵対しています。そして、イサクの子孫ユダヤ民族を共通の敵として、イスラエルに敵対しています。

 

 主の使いは、イシュマエルを宿した女奴隷ハガルに、何と命じたでしょうか。

 「あなたの女主人(サライ)のもとに帰り、女主人のもとで身を低くしなさい。」でした。

 

 主の御前には、ハガルは女奴隷、サライは女主人です。

 女奴隷が産む子どもは奴隷の子であり、女主人の産む子は主人の跡取りです。

 もし、女奴隷の子が、女主人の子にへりくだるならば、主人アブラハムの家に留まることができるのです。

 

 死の床にあるヤコブは、エジプトで生まれた、ヨセフのふたりの子ども(マナセとエフライム)を祝福しました。

 ヤコブの長子としての権利を持つヨセフに、父ヤコブは言いました。

 「私(父ヤコブ)がエジプトに来る前に、エジプトの地で生まれた(エジプトの大臣である)あなた(ヨセフ)のふたりの子は、私(ヤコブ、すなわち、イスラエル)の子となる。エフライムとマナセは(ヤコブの子の)ルベンやシメオンと同じように私の子(イスラエル)とする。

 しかしあとからあなたに生まれる子どもたちはあなたのものになる。(ヤコブに、子と認められないヨセフの子らは、エジプトで生まれたエジプト人となり、イスラエル民族に数えられることはない)

 しかし、彼ら(あとから生まれたヨセフの子どもら)が家(父ヤコブの家、すなわち、アブラハムの契約と祝福を相続するイスラエルの名)を継ぐ場合、彼らは、彼らの兄たちの名(エフライムの名かマナセの名)を名のらなければならない。」(創世記48:5,6)

 

 同じ父ヨセフから生まれていても、最初の子マナセとエフライムは、ヤコブの子となり、アブラハムの契約と祝福を受け継ぐユダヤ民族に数えられて「イスラエル」となるが、あとからヨセフに生まれる子に関してはそうではない。

 もし、契約の民イスラエルに加わりたいならば、すでにイスラエルのうちに数えられている兄のマナセかエフライムの名を名のることで、イスラエルに加わることができる、としたのです。

 

 「あなたの女主人のもとで身を低くしなさい。」とハガルに命じられた主は、彼女の子孫にも命じられるでしょう。

 アブラハムの契約の子イサクの子孫であるユダヤ民族に高ぶらずに、イスラエルから出た神の御子イエス・キリストにへりくだり、イスラエルの兄弟となるならば、アブラハムの家に住まうことができるのです。

 

 イエス・キリストを信じ受け入れるアラブ人は、ユダヤ人を愛する者となって、兄弟姉妹として交流し、イスラエルをわが家のように祝福する者となるようです。

 

 そして、主は、アブラハムの血を引かない異邦人にも、同様のことを命じられることでしょう。もし、神の御救いの契約の中にはいりたいならば、イサクの子孫イスラエルに高ぶってはならない。和合して暮らしなさい。