「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方(神とともにあったことばである、神のひとり子)は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方(「人の子」として来られた神のひとり子)にいのち(真理)があった。このいのち(神のひとり子のことば)は人の光であった。
光は闇(の世)の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。(闇は、世を偽りで覆い、罪を授け死を抱えて、死人を飲み込みます。しかし、神の栄光を携えて天から来られた神のひとり子の放つ真理の光は罪を取り除き、闇を破り、死人を死から救い出して、いのちへと導きます。闇は、真理の光を飲み込むことができません。神が遣わされた神の子羊のいのちの光は闇の中に輝くのです)」(ヨハネ1:1-5)
「わたし(主)は陰府(よみ)の力(死の滅び)から、彼ら(神の民)を解き放ち、彼ら(契約の民)を死から贖おう。
死よ。おまえのとげはどこにあるのか。
よみよ。おまえの針はどこにあるのか。
あわれみはわたし(裁き主)の目から隠されている。(死も、死者の国も、悪魔の罪、神のひとり子への妬みと神への反逆の産物です。しかし、神は、死の力を砕き、死者の国から、死者の魂を贖い、神の子どもたちを救い出します。しかし、死をもたらす破壊者である悪魔と悪霊どもへのあわれみは、神の目には隠されている。「いったい、だれがおまえをあわれもう。だれがおまえのために嘆こう。おまえがわたし〈主〉を捨てたのだ、おまえはわたしに背を向けた。わたしはおまえに手を伸ばし、おまえ〈天から追放した反逆の堕天使〉を滅ぼす。わたしはあわれむのに飽いた。」[エレミヤ15:6]悪魔や悪霊どもは、今に至るまで悔いることをしない)」(ホセア13:14)
キリストは、天から遣わされた神のひとり子です。
神は、契約の民を救うために、神のひとり子に肉体を造り、ユダヤ人の処女から生まれる「人の子」として、遣わされました。
キリストは、初めから、神とともにおられた方です。
天もなく、地もないとき、御父とともにおられた神のことばである「神のひとり子」です。神は、人を、御子のために造られました。御子とともに、人を造られました。
キリストは、いのちの根源であられ永遠に生きておられる御父とともにあって、神の民に現わされ、人の世に現れた、永遠のいのちです。
神の御子イエス・キリストは、神のひとり子の栄光の御姿を捨てて、肉体を着る「人の子」となられました。
時間空間の拘束のない栄光のからだ(神のひとり子の栄光の霊体)を捨てられた神の御子は、時間空間に拘束される不自由な肉体の「人の子」となられました。
天の御国は、霊のからだの世界です。
肉体の「人の子」となられた神のひとり子は、天の御国のからだを失いました。
天の御国のからだを失った神のひとり子は、「人の子」のままでは、御父のみもとに帰ることはできません。
神のひとり子は、退路を断つ覚悟を持って、肉体の「人の子」となって、この地上に来られたのです。
神のひとり子は、キリストの使命を担う神の子羊イエスとして遣わされました。
神の子羊イエスは、罪に縛られて死者の国に葬られる、アブラハムの子らの罪を贖い、罪を悔いる魂、悔い改める魂を死から贖って解放するために、神に従って、来られました。
契約の民を罪の呪いと死から解放するために、父なる神は、罪のない神の子羊の贖いの血を要求されたのです。
それで、神は、御自身のひとり子を、神の子羊として遣わされたのです。
アブラハムとの契約を成就するためです。
アブラハムは、キリストの日(すべての民族を滅びから救い出すキリストの訪れの日)を見ることを思って喜びました。神は、アブラハムに、アブラハムのひとりの子孫が「救世主」となることを約束しておられました。
アブラハムは、イサクの子孫から、キリストが生まれることを知っていました。また、キリストは、全能の神、主のひとり子であることを知っていたのです。キリストは、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く「人の子」です。
イエスは言われました。
「アブラハムが生まれる前から、わたし(神のひとり子)はいるのです。」(ヨハネ8:58)
アブラハムが生まれる前から、御父とともにおられた神のひとり子が、神の契約の民イスラエルを贖うために、十字架にかかられました。
キリストは、すべての民族の救い主となるために、神の契約の民、神の祭司の国民ユダヤ民族の手によって屠られて、罪の贖いの血を流されました。
イエスは、目を天に向けて、言われました。
「父よ。時が来ました。あなたの子(神のひとり子)があなたの栄光(御父の栄光)を現わすために、子の栄光(神の子羊ナザレのイエスが神の御子であることを証ししてくださる聖霊の御力)を現わしてください。
それは、あなたからいただいたすべての者(神の子羊イエスが神から出た者であることを信じる人たち)に、永遠のいのちを与えるため(神の子羊イエスが一度死んでも、死に打ち勝って甦ることで、キリストの勝利を目撃した彼らが、キリスト信仰に生きるため)、あなた(父なる神)は、すべての人を支配する権威を子にお与えになったからです。
その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。(神の御救いの真実を確信し、神のキリストに繋がることです)
あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざ(奇蹟としるし)を、わたしは成し遂げて、地上であなた(生けるまことの神)の栄光を現わしました。
今は、父よ、みそばで、わたし(神の子羊イエス)を(神のひとり子の)栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光(神のひとり子の栄光の御姿)で輝かせてください。」(ヨハネ17:1-5)
天上から地上に来られた神のひとり子は、地上の肉体のからだであり、人間と同じです。霊体の御使いよりも低い者となられました。
肉のからだは、霊の世界である天にはいることはできません。肉のからだは朽ちて土に還ります。天上のからだを得なければ、天の御国にはいることはできません。天の御国には、はだかの魂は存在しないのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければなりません。
神の子羊イエスは、罪の贖いの血を流すと、墓に葬られました。
死者の国へはいり、小羊の贖いの血で、死者の魂を買い戻されたのです。
神の子どもたちの魂を買い戻した神の子羊イエスを、聖霊は、死から甦らせました。
死から甦った神の子羊イエスは、御霊によって新しく生まれ、永遠のいのちと御霊のからだを得て、「新しい人」として復活されたのです。
イエスの弟子たちは、復活のキリストにお会いしました。不思議なからだです。時間空間に拘束されない自由なからだです。
「朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。」(コリント第一15:54)
ユダヤ人たちは、キリストは死のない方である、と聞いていました。キリストは死なないのです。ユダヤ人たちが待ち望むメシアは、永遠に生きる方です。
しかし、キリストだと噂されるナザレのイエスは、自分たちと同じ肉体の人間です。しかも、十字架で血を流して死んで、墓に納められたではありませんか。
復活のイエス・キリストは、イエスをキリストと信じるイエスの弟子たちの目には見えましたが、信仰のないユダヤ人たちには見えません。不信仰なユダヤ人たちは、キリストの復活を知ることができませんでした。
イエスの弟子たちは、復活のキリストにお会いして、いよいよナザレのイエスは、神の御子キリストであるという確信を得たのでした。
ナザレのイエスは、死に勝利した、神の御子キリストです。
今は、ユダヤ人たちの霊は塞がれており、キリストの真理を悟ることができません。
しかし、聖書のみことばは、十字架につけられた神の子羊ナザレのイエスのことが書かれていたこと、また、聖書のみことばは、神の御子イエス・キリストによって成就することを悟るのです。
「この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、永久に死を滅ぼされる。(主キリストは勝利を取られた)
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、御自分の民へのそしりを全地の上からのぞかれる。」(イザヤ25:7,8)
その日、復活のキリストを見るユダヤ人たちは言うのです。
「見よ。
この方(死から甦られたキリスト)こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。
この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25:9)
天から地上に、「完全な人の子」となって来られた神の御子イエスは、死に勝利して、御霊によって生まれる「新しい人」となって、天に帰られました。
主イエス・キリストの足跡を歩む私たちも、御霊によって生まれ、「新しい人」となって、天の御国にはいるのです。
パウロは言います。
「兄弟たちよ。私(パウロ)はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。
聞きなさい。私(パウロ)はあなたがたに奥義を告げましょう。
(キリストを信じる)私たちはみな眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものに甦り、私たちは(天上のからだの新しい人の姿に)変えられるのです。」(コリント第一15:50-52)