ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

永遠のいのちを得させるため

 

「神(創造主)が御子(神のひとり子)を世(地上)に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世(死と死後のさばきが定められている被造物)が(裁きを免れて)救われるためである。」(ヨハネ3:17)

 

 創造主であられる神は、聖なる光です。

 神は、聖なる光の秩序を乱す天使長を、天から追放されました。天使長のもとで神に仕える天使たちも、天使長に率いられて天から出て行きました。

 天から追放された堕天使は、光から闇へと移動しました。神に仕えていた堕天使長は、闇の王者である悪魔に姿を変えました。彼の中には、光はありません。悪魔にあるのは、神のひとり子への妬みと神への反逆と神の被造物を破壊する怒りと憎しみと、神への復讐のエネルギーです。

 

 神は、神のひとり子のために、人を造られました。神のひとり子を妬み敵対する天使たちが天から追放されてから、多くの時が過ぎたときのことです。

 おそらく、神は、堕天使たちの中に、悔いる者たちを見い出されたのでしょう。

 天から追放されたことは、彼らの最後ではありませんでした。憐れみ深い神は、悔いる者たちを、破壊者である悪魔から救うことを御計画されたのでしょう。彼らには、まだ望みがありました。

 

 宇宙には、多くの天体があり、私たちが知らないだけで、多くの生命体がいるのでしょう。それは、星々に住む堕天使たちです。彼らは、神のひとり子を憎む悪魔と悪霊どものようではありません。

 神は、神のひとり子に敵対する堕天使と、そうでない堕天使とを区別されました。神の憐れみは、神のひとり子に敵対していない堕天使たちに向けられたからです。

 

 しかし、彼らも闇に落ちた堕天使です。汚れた者となりました。彼らは、暗い所が一つもない光に入るにはふさわしい者ではありません。神に逆らう堕天使長と行動をともにした彼らは帰ることができません。

 

 エデンの園で悪魔が授けた蛇の言葉に従って、神のことばに背いた「人」をエデンの園から追放されるとき、神はいのちの木への道を閉ざされたのと、同じことです。

 罪を犯さなかった聖い状態に戻らなければ、いのちの木の実を食べる資格はありません。聖くない者がいのちの木を食べるならば、天から追放されてから悠久の時を過ごす悪魔のように、罪あるまま、永遠に神に敵対して生きるからです。

 その終わりは、反逆者を燃やす永遠の滅びです。神は、悪魔と悪霊どものさばきを定めておられます。

 

 神は、堕天使たちのために天体を造り、神への背きの心を砕いて、心から闇を取り除き、神にへりくだって忠実に仕える天使のあり方を学ぶ機会、あらゆる過酷な経験によって汚れを叩き落として、心を入れ替える修行の道を設けられたのかもしれません。

 

 そして、最後の試験会場として、地球を造られたのでは、と私は思っています。地球で愛を学び、エデンの園に置かれた「善悪を知る木」はその成果を確認する最終試験だったのではないかと考えます。

 心に神と同じようになりたいという野心のある者は、どんなにへりくだった振る舞いを見せていても、「善悪を知る木の実」に引き寄せられるのです。

 しかし、「善悪を知る木の実」に誘惑されない者は、「いのちの木の実」を食べることが許されたのではないかと、思うようになりました。

 

 宇宙にいる多くの堕天使たちの、魂の試験会場であるエデンの園を管理する者として、神は、御子とともに、「人」を造られたと思います。

 「人」は神のひとり子と一つ心のものとして創造されました。この「人」の魂は、天上の光の御使いの魂であったのかも知れません。神のことばと一つのものとして、管理者の任務をあずかったのです。

 

 しかし、エバの奔放な心は、蛇の言葉に誘惑されて、神の命令を軽んじ、神のように賢くなるという善悪を知る木の実を好ましく思って、取って食べました。

 エバひとりの背きであれば、神は、罪に落ちたエバに代わって、アダムに新しいパートナーを造られたことでしょう。しかし、アダムの心は、妻エバとともにありました。神の命令よりも、妻の言葉に従って、罪ある者となりました。

 神のことば(神のひとり子)と一つのものとして、神の御子のために造られたアダムは、神のことばに背き、神のひとり子から離れました。

 

 神のひとり子に敵対する悪魔から堕天使たちを救い出す神の御計画は、アダムの罪により失敗し、堕天使たちの救いの道は閉ざされました。

 

 神は、「人」を救うための新たな御計画を定められました。

 エデンの園から追放した人を、悪魔の縄目から救い出して、魂を贖い、新しい創造を施して、神の子どもに造り変える、という壮大な赦しと憐みと恵みの御計画を立てられました。御子のために、御子とともに造られた「人」のために、父なる神と御子と聖霊の愛は、実行に移されました。

 

 地上で働く悪霊どもは、神の御子イエスの姿を見て、叫びました。

 「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時(定められた審判の時)ではないのに、もう私たち(悪魔と悪霊ども)を苦しめに来られたのですか。」(マタイ8:29)

 

 悪霊どもは、神の裁きの御計画を知っているのです。神は、彼らのために、とこしえに燃える火の池を用意しておられます。

 

 しかし、神の御子イエスが世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエス・キリストによって世が救われるために来られたのです。

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

 

 天から追放された、神に背く反逆者である悪魔と悪霊どもの裁きは定められています。

 また、エデンの園から追放された「人」は、一度死ぬことと死後の裁きが定まっています。

 

 しかし、神は、人を愛されました。神のことばと一つ、すなわち、神のひとり子と一つ心である管理者として造られた「人」を惜しまれました。

 

 堕天使たちのために、神は、ひとり子をお与えになることはされません。

 しかし、神の御子のために、神の御子とともに造られた世を愛されました。「非常によかった。」と満足された世です。人の住む地球です。

 神のひとり子を妬む堕天使長とともに天を追放された堕天使たちとは異なり、神のひとり子と一つであった「人」です。人は、悪魔の言葉に騙されたのです。

 

 再び、神は、神の御子のために造った「人」を、神のひとり子と一つにする御計画をされました。

 「人」の世に、神のひとり子を遣わして、神のひとり子と一つとなる人に、永遠のいのちを得させることです。

 神は、死と裁きが定められている罪人を、死と裁きの先にある火の滅びから救い出すために、神のひとり子を「人」にお与えになりました。

 天においても地においても唯一の御子である、神の愛されるひとり子を「人」にお与えになったのです。

 

 神のひとり子は、「人」を火の滅びから救い出すために、神の御子の栄光の御姿を捨てて、見ばえのしない貧しい姿となり、蔑まれ、のけ者にされ、人々から捨てられる「生贄の子羊」となられたのです。

 

 人の子となられた神の御子イエスは、悲しみの人で病を知っていました。イエスは、私たちの罪の身代わりとして、私たちの病を負い、私たちの痛みを担われたのです。

 神のひとり子は、ご自分をお与えになるほど、私たちを愛されました。

 それは、御子(イエス・キリスト)を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。

 

 罪ある者は、いのちの木の実を食べることができません。

 神の御子イエスは、私たちの罪を負い、私たちの代わりに刑罰を受けてくださいました。私たちの罪の刑罰は、神の御子イエスが受けてくださいました。すでに、裁かれた罪は、もはや裁かれることはありません。

 

 何故、イエスは、十字架につけられたのでしょうか。

 イエスは言われました。

 「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子(「人の子」として来られた神の御子イエス・キリスト)もまた(木に)上げられなければなりません。

 それは、(木にかけられたイエスが、神の御子キリストであることを)信じる者がみな、人の子(神の御子キリスト)にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14,15)

 

 「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であられるあなた(いのちの根源であられる生けるまことの神、イエスの父なる神)と、あなたのお遣わしになったイエス・キリスト(死と滅びから救い出してくださる神の御子キリスト)を知ることです。」(ヨハネ17:3)

 

 神は、罪を悔改めて神に罪が赦され神と和解する者に、キリストの御霊を授け、神の御子イエス・キリストとひとつの「新しい人」に造り変えられます。

 肉体に血液が巡り、各器官を生かしているように、新しい創造の人のうちには生かす御霊が宿り、永遠のいのちを得させてくださいます。

 

 私たちが信仰により、永遠のいのちを持つことは、神のひとり子キリストの誉れであり、父なる神の栄光なのです。

 

 神の御旨は、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち【真理の御霊】を持つことです。