神は、神を恐れる正しい人アブラハムを選び、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルを神の祭司の国民とされ、ユダヤ民族に神のことば『聖書』をゆだねられました。
聖書には、神について、人について、神の御計画について書かれています。
神が、地上に神のひとり子を遣わすことと、神のひとり子に繋がり神の御子イエスに従う者たちを天の御国に入れるという御計画です。
聖書には、神の御国に招かれる民が守らなければならない律法と、神が遣わされる神のひとり子に関する預言と、神のひとり子が治められる国についてのことばが記録されています。
ユダヤ人たちは、『聖書』を学び、聖書の教えを守る民です。しかし、聖書の教えには、その務めを任されたレビ人たちの人間的な教えも加わりました。
すると、ユダヤ人たちの思いに覆いがかけられました。レビ人の教えは、神の御旨を悟るのに妨げとなり、真理を悟ることができなくなりました。
私的解釈をすることで、聖書に書かれたキリスト(神のひとり子)の全貌はわからなくなりました。
それで、神のひとり子イエス・キリストがイスラエルに来られたのに、祭司や律法学者たちは、ナザレのイエスが神の御子キリストであることがわからなかったのです。
祭司の部族であるレビ族は、その思いの暗さによって、民を神のひとり子のもとに導くことができませんでした。祭司たちは、民を神のひとり子であられるナザレのイエスから引き離して、神の御子に聞き従うことを妨げました。
神がイスラエルにお与えになった律法は、ユダヤ民族にとって益とはなりませんでした。
彼らは、律法を持たない無割礼の異邦人よりも悪いものとなってしまいました。なぜならば、聖書により神のひとり子に関する知識を得ていながら、神の御子ナザレのイエスを信じようとしなかったからです。レビ人は、自分たちが信じないばかりではなく、信仰を持つ民をユダヤの会堂から追い出したのでした。
神は、初めの契約を欠けがあるものとされました。
神は、ユダヤ民族を救うために、また、世界のあらゆる民族を救うために、新しい契約を用意されました。
「主が、言われる。
見よ。その日が来る。わたし(イスラエルと契約を結ぶ神、イスラエルの神)が、イスラエルの家(十部族の北イスラエル)やユダの家(十部族の南ユダ)と新しい契約を結ぶ日が。(新しい契約により、神が二つに引き裂いた十二部族は、一つのイスラエル王国とされる)
それは、わたし(イスラエルの神)が彼らの先祖の手を引いて、彼らを(四百年間の奴隷の家)エジプトの地から導き出した日に彼ら(イスラエル)と結んだ契約(神御自身の指で石の板に書きつけたモーセの律法)のようなものではない。
彼らがわたしの契約を守り通さなかったので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は仰せられる。(それゆえ、神はイスラエル王国の不義の罪を罰して、イスラエル王国を、北イスラエル王国と南ユダ王国とに引き裂いた。現在も、二つは分裂したままである)
それらの日の後、私が、イスラエルの家と結ぶ(新しい)契約は、これであると、主が言われる。
わたし(全地を統べ治める全能の神、主)は、わたしの律法(天の御国の律法、すなわち、生ける神の御子の御霊)を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。
わたし(天の神)は(思いの中に御子の御霊を入れた)彼らの神となり、彼らはわたしの民(神の子ども)となる。(神は、神が遣わされた神のひとり子イエス・キリストに聞き従う人たちの心に、『アバ、父。』と呼ぶ御子の御霊を遣わせてくださる。それゆえ、彼らは、天の神を『天の父。』と呼ぶ神の子どもとされる)」(へブル8:8-10)
神は、イスラエルにお与えになった最初の契約を古いとし、新しい律法をお与えになりました。ユダヤ民族に与えられた聖書を『旧約聖書』と呼び、神の御子イエス・キリストがお与えになった新しい契約を『新約聖書』と呼びます。
最初の聖書(旧約聖書)の契約は、文字の律法でした。
新約聖書の新しい律法は、神のひとり子の御霊(死から甦られた神の御子イエス・キリストの御霊)による律法です。
文字の律法を解読するのは、レビ人でした。民は、レビ人によって、神のみことばを教えられました。
御霊の律法は、ひとりひとりの心に書きつけられて、御霊ご自身がイエスのことばを思い起こさせ、また、真理を教えてくださいます。
心に書きつけられる御霊の律法は、文字の律法とは、全く異なる性質のものです。
「彼ら(レビ族)が、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ。』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで(幼子から年寄りに至るまで)、彼らはみな、わたし(人を生かす生けるまことの神、主)を知るようになるからである。
なぜなら、わたし(天の神、主)は彼らの不義(罪の報いである人の死)にあわれみをかけ、もはや、(神のひとり子を信じ受け入れて御子イエス・キリストに従う)彼らの罪を思い出さないからである。(神のひとり子と繋がり御子イエス・キリストに従う者は、キリストのからだであり、神の子どもとされるからである)」(へブル8:11,12)
『旧約聖書』には、神のひとり子の訪れが書かれています。神のひとり子がイスラエルに遣わされた時、神の民である彼らが、神の御子イエスを知り、神のひとり子キリストに聞き従うためでした。しかし、ユダヤ人たちは、キリストを悟ることができませんでした。
『新約聖書』には、神が遣わされたキリストがお与えになる、新しい律法【真理の御霊】の契約が書かれています。
それは、いのちの契約です。割礼の民ユダヤ民族の垣を越えて、あらゆる民族、あらゆる国、あらゆる国語の人々と結ばれる契約です。
天から遣わされた神のひとり子に繋がり、神の御子イエス・キリストに聞き従う人は、信仰により「真理の御霊」を受けます。
神の御子イエス・キリストは、御霊のからだと永遠のいのちを持つ「新しい人」として、御霊によって生まれ、死から甦られました。
イエス・キリストにつく者は、死から甦られたキリストの御霊を分け与えられて、キリストのからだを生きる者とされます。
キリストのからだは、一度死んでも死から甦る新しい人、すなわち、御霊によって新しく生まれて、永遠のいのちを持つ神の子どもたちです。
地上に遣わされた聖霊は、おのおのに御霊を分け与えて、キリストのからだを創造されます。天から遣わされた神のひとり子(神の御子イエス・キリスト)を頭とするキリストのからだです。
御子の御霊は、キリスト教の中だけでなく、ユダヤ教の中でも、仏教の中でも、古神道の中でも、日本神道の中でも、そのほかの宗教の中でも、また、無宗教の中でも、真理のことばとして、いのちを啓示しておられます。
多くの宗教の中に、神は真理のことばを与えておられます。生けるまことの神に思いを向ける者たちのために、狭き門へと導く啓示の光をともしておられます。
彼らの中には、永遠のいのちの約束はありません。しかし、真理に思いを向けるならば、いのちの道を見い出すこともあるのです。
キリスト教には、輪廻転生の思想はありません。また、先祖を敬うことが希薄で、存在の根を忘れてひとりで存在しているかのようです。魂のことがよくわかりません。
しかし、輪廻転生を信じる仏教には、先祖を敬い、いのちを繋ぐ魂の原理が啓かれています。彼らは、キリスト教に隠されいる真理を大切に守って来ました。
古神道には、自然の中で働くいのちの神の体験があります。律法で思いが覆われたユダヤ教やキリスト教が忘れた、生けるまことの神のいのちの原理は、今に至るまで、伝承されています。
キリスト教、古神道、仏教など、おのおの分け与えられた賜物があります。
ひとつの宗教の中で、真理全体を知ることはできません。だれも誇ることのないためです。
私は、日本列島から、世界の救いのために働くふたりの証人が立つと思っています。
このふたりは、ユダヤ教徒でも、キリスト教徒でもありません。聖書を知らない人たちかもしれません。
一人は古武道の精神を持つ仏法を生きる人のようです。ナザレのイエスのように生きる人でしょう。
もう一人は、生けるまことの神に、霊によって仕えている古神道の人だと思います。
ふたりは、異邦人の時の終わりが近づくと、御霊によって真理を悟ります。キリスト教の教えによって知るのではありません。聖書によって悟るのではありません。
真理の御霊によって、教えられるのです。
私は、キリスト教の中に真理の全体像があるとは思っていません。
『聖書』のみことばは真理であっても、真理の御霊によらなければ、神のひとり子を悟ることはできず、神の御子イエス・キリストと繋がることも、御子の御霊を受けることもできません。
熱心に聖書を調べて来た、聖書の民であるユダヤ教徒でさえ、真理(イエスのことば)を悟ることができませんでした。
大和魂の良い点は、霊的感覚で真理を見分けて、生ける神の御霊を捉えることができるところだと思います。
日本民族は長い間、仏教、神道、そのほかの宗教を互いに汚さず、良い所を認めて融合してきた歴史があります。
真理は唯一です。
真理は、一つの宗教のものではありません。神は、日本民族に受け入れられたそれぞれの宗教の中に、おのおのに啓かれている真理を散りばめておられます。
私たちは、それぞれの真理を合わせ鏡のように映し出して、それぞれのうちにある真理を見、自分たちの教えの中には欠けている真理に出会うのです。
御霊の信仰は、宗教の教えに閉じ込められていません。
すべての宗教を覆う広さと豊かさがあるのです。
「すべての聖徒とともに、(真理の)その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛(神のひとり子の人への愛)を知ることができますように。
こうして、神御自身の満ち満ちたさまにまで(すべてを覆い、おのおのに分け与えられた真理の御霊により、神の愛の完全な姿を映し出すまで)、あなたがたが満たされますように。」(エペソ3:18,19)