ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

愛子さま

 

 愛子さまの映像を観ると、なぜか胸が熱くなります。

 柔らかな癒しと温かな安らぎ、深い魂の喜びと澄みきった平安。

 大和魂は息を吹き返します。

 神の御手の中にある神の器なのだ、とつくづく思います。

 

 お母様の雅子様が「適応障害」の診断を受けて苦しまれているお姿を、身近に見ておられた幼い愛子さまの小さな胸は押しつぶされそうになっていたことでしょう。

 美智子様や紀子様の雅子様いじめは報道されず、ただ、雅子様の弱さのように、国民に伝えられていました。

 

 美智子様が皇太子妃であった当時、昭和天皇の后であられる香淳皇后に嫁いびりされていると報道されていたことは国民のよく知ることですが、状況が明らかになってみると、皇室が皇族として日本国民の象徴であるための指導であったことがわかります。

 

 衣装代にお金をかけ過ぎています。皇太子妃は皇太子よりも前に出たり、目立ったりすることは好ましくありません。といった、皇室の歴史を守り、天皇の務めを繋いでいく天皇家としての品位を教えておられたのです。

 

 民間出身の美智子様に、皇族の在り方は全く縁のないものでした。皇族の一員になることがどういうことなのかを理解されていなかったのです。

 それまでの皇太子妃は、皇族や貴族のご出身だったそうです。

 美智子様は、初の民間出身の皇太子妃でした。

 

 香淳皇后は、着せ替え人形のように贅沢な衣装を身にまとうことが国民の象徴にふさわしい皇族の在り方だと思っておられませんでした。昔の日本人らしく、物を大切にされて、ご自分の立場を優位にするのではなく、全国民の幸福を願う国母のような存在でした。

 

 美智子様は目立つことがお好きなようで、王女のように振る舞われました。日本の皇后は天皇を支える、精神的な存在であるのに、なぜか、国民の注目を浴びるアイドルのように振る舞い、天皇の霊的務めをどこまで理解しておられたのかはよくわかりません。

 

 美智子様は、香淳皇后の忠告を姑の嫁いびりだとして、皇室内でいじめにあっているシンデレラを演じ、メディアを巧みに利用して国民に声を届けていました。

 私たちはすっかり騙されていました。

 

 香淳皇后は、皇室内のことを外部に言い広めるような民間人出身者ではありません。皇族にふさわしく、口を閉ざされました。

 いじわるな姑の汚名を着せられても、弁明はされません。皇室の品位を保たれました。

 

 昭和天皇は香淳皇后のことを「長宮(ながみや)」と呼び、香淳皇后は昔ながらの夫を立てる女性であって、昭和天皇のことを「お上(おかみ)」と呼ばれたそうです。

 香淳皇后の目には、美智子妃は言葉の通じない異国人のようだったことでしょう。今まで接して来られた皇族や貴族の方々にはなかったタイプだったのかも知れません。

 報道陣に自己正当化を主張する皇太子妃の姿に、声を失っておられたのではないでしょうか。

 

 代替わりをして、美智子皇后が皇太子妃雅子様の姑になると、美智子妃は嫁いびりに勤しまれました。香淳皇后に嫁いびりをされて来たと思い込んでいた美智子様は、自分と同じ民間人出身の嫁の良き理解者になるどころか、社会的に優秀であった雅子様を蹴落とすことに全力を尽くされました。

 

 もともと皇族ではない美智子様は、皇族の品格を引き継ぐような学びをしておられません。品位のない世俗の人の卑しさで、根気よく執拗にこき下ろし、雅子様の人格を傷つけることに精を出されました。

 

 民間人ご出身といっても、雅子様は、美智子様のようではありませんでした。香淳皇后のように、言葉を飲み込んで耐えられました。

 

 民間人の内面性のまま皇族となっておられる美智子様や紀子様のように、自由奔放に自己主張されません。

 賢い雅子様は、皇室を汚すことを望まれません。ただ、ひたすら耐え抜かれました。それには、天皇の愛の支えがありました。

 

 愛子さまは、そんなご両親を見てお育ちになりました。たとい正しいことであっても、美智子様の大きな壁が阻みます。何も言わないで耐えることが一番の守りなのです。人間の本質と歪んだ社会の道理を皇室内で学ばれたことでしょう。

 

 雅子皇后は、釈明せずに耐えながら、また、境遇を客観的に捉えながら、霊の動きを見分わける力と皇族としての品格を身に着けていかれました。

 闇の中にも光がありました。天皇の支えと、愛子さまへの愛です。耐え忍ぶ中にも希望があり、真実の愛というものを体験していかれたのでしょう。

 

 そんな中、内親王の愛子さまが、学校でのいじめによって不登校になられました。雅子様は、自分自身のことよりも、内親王の愛子さまの痛みに寄り添われました。愛子さまの痛みをともに負う心の痛みは、ご自身の苦しみにまさりました。雅子様は愛子さまを支えるために強くなられました。

 

 雅子様と愛子さまは親子であって、精神的には「同期の桜」のような、まるで同じ目標に向かって一つ心となる同志のように感じます。

 日本国民のために立つ天皇家の皇后となるため、また、皇室の品格を保つ皇族となるために、黙して耐えられました。

 

 どうでしょうか。美智子様は皇后の任務を終えて上皇后となられた今でも、いまだに、皇族の人になっておられません。

 女王様を夢見る一般人のようです。孫の眞子さんが、夫となる小室圭さんから「君は僕のお姫様。」と言われたといって喜ぶ平民そのものの姿に、一般人か!と驚いたのを思い出します。宮内庁の職員に仕えられて皇室の中で生まれ育っているのに、皇族の資質が見受けられない、ということに愕然とします。

 

 天皇家の祈りの務めに、ふさわしくありません。国民の霊的見張り人としての役目を担うことはできません。

 悠仁さんに教育費が180億円もかけられていたということですが、なんと、帝王学は全く学んでおられないのです。

 秋篠宮家は、自分たちのために多くの金銭や財を必要としますが、天皇として国民の安寧と世界平和のために祈り、自分の人生をこの聖なる務めのためにささげる覚悟はないのです。

 

 日本国の象徴の天皇の務めにふさわしい品格は、豪華な宮廷に住み、多くの使用人がいて、贅沢に暮らすことだと思っているのでしょうか。

 

 つい先日、私の思いが変えられたことに気づきました。

 秋篠宮をあわれに思うようになったのです。それまでの心のしこりはなくなり、感情は手を離れて、ただ静かなあわれみが残っています。

 

 イエスが、イスカリオテ・ユダに「人の子を裏切るような人間は呪われます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」と言われた、静かな悲しみが伴うあわれみです。

 

 愛子さまが天皇になればよい、という国民の願いがありますが、愛子さまはそれでお幸せなのだろうか、と思うと、私には何とも言えません。

 

 美智子様は、孫の愛子さまに、「十五歳になったら、皇室から出て行くように。」とたびたび言っておられたようです。

 

 ただ、愛子さまが通られた道の過酷さを思うとき、やはり、神が召しておられる方なのだ、と思います。

 愛子さまの悲しみも涙も孤独も、心のひだに刻まれた召命の印だと思います。

 

 「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神がちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。」(ペテロ第一5:6)

 

 皇后雅子様も、内親王愛子さまも、神の召命を受け、また、その召命を受ける覚悟を持たれた魂なのでしょう。ご自身のための涙は愛の泉に変えられて、ほかの人のための涙が流されるのでしょう。

 

 神は、おふたりを心配してくださり、ともにいてくださいました。そして、火のような試練をともに歩み、勝利を得させてくださったのでしょう。

 おふたりから立ち現れる柔らかくも力強く、包み込むような優しい愛が、勝利された証です。

 

 愛子さまのこれから歩まれる道は、これまでにまさって、霊的に厳しい道です。敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

 しかし、愛子さまは、天から授けられた愛とまことによって、悪魔に勝利して行かれることでしょう。

 

 愛子さまは、大和民族から出る、白い兄とイスラエルのメシアとアロンのメシアの三人のうちのひとり、白い兄の子孫ではないかと思うようになってきました。

 愛子さまは、日本民族の垣を越えて、アジアの希望となり、世界の慰めとなるように思います。

 

 神が設けられる「目に見えないとこしえの神の国」を創造する神の御霊に導かれる方だと思います。

 今上天皇、雅子皇后、愛子さまは、霊的ともしびとしての務めを果たして、生きたまま天に引き上げられる、携挙の御霊の教会の人ではないかと思うようになりました。

 

 永遠のいのちを得させられる生けるまことの神の御計画のために、御霊によって生まれる魂を神のために整えるふたりの証人を、日本列島から立たせるための、祭司の務めをされるのでしょう。

 

 そして、ふたりの証人のうちのひとりは、かつて北朝の天皇と入れ替わった南朝の天皇の血統の人のように思います。

 

 聖霊の器は、愛子さまの働きと守りのために執り成しましょう。

 私たちの務めは、日本国の垣を越えて、永遠のいのちを得させるとこしえの神の国の建て上げのための務めなのですから。

 神の子どもの魂は、私たちとともに真理の光(とこしえのいのちの希望)に向かって、ともに歩んで行くことでしょう。